きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.6.30 東京・新宿 |
2006.8.26(土)
義母の依頼で畑作業を手伝いました。耕運機を使って耕すだけですけど、3ヵ所の畑で2時間ほど掛かりました。慣れない仕事ですので両手にマメを作って大変でしたが、気分はさわやかでしたね。曇空で暑くもなく、畑仕事をやるには絶好の日よりでした。でも、さすがに疲れたようで昼メシを食べたあとは1時間ほど寝てしまいました。百姓のマネ事ですから大きなことは言えませんが、目覚めもさわやかでした。
○『かわさき詩人会議通信』40号 |
2006.9.1 非売品 |
<目次>
叙事的な詩に、「起承転結」のすすめ/河津みのる
さようなら槇耕平さん/枕木一平
太陽のように燃えて/岩田幸枝
たちばなの記(3)/さわこよし
よみがえる詩詞/山口洋子
友よ(小さなバラード)/斉藤 薫
エアロバイクをこぎながら/寺尾知紗
闘病句集「花恋」/さがの真紀
惜別/小杉知也
待つ/丸山緑子
槇耕平さん追悼・小特集
五月/槇 耕平
槇さんのこと/斉藤 薫
槇さんへ/さがの真紀
追悼文 槇耕平さんに/枕木一平
槇さん宅へ伺った思い出/丸山緑子
槇さんさようなら/岩田幸枝
槇さんへの追悼文/山口洋子
槇氏追悼/寺尾知紗
五月/槇 耕平
上着をつければ汗ばむ五月
久しぶりにきみを訪ねた
日が長くて暮れかけて
いつまでもうす明るい夕方
(ああ――)といってきみは迎えた
きみの奥さんもそのうしろから笑いかけていた
やせていたきみは日に焼けて
きみの奥さんも元気そうになって
それから赤ん坊
この前は生まれたばっかりだったのに
そしていまもまだ口をきけないが
抱かれた腕からするりとぬけて
から紙や障子をバリバリ破く
蚕が桑の葉を食い噛むようだ
ぼくたちは顔をみあわせて笑う
ビールをご馳走になって
それでぼくはあまりしゃべらなかったが
ひろし・ぬやまのあのぶざまは
おれにいい教訓だった、と言った
それが言いたくて来たのだったが
きみはなにもかも分かっていた (六七・五)
今号は今年5月に93歳で亡くなった創立メンバー・槇耕平氏の追悼特集になっていました。紹介したのは槇氏の遺作で、1967年の作のようです。この短い詩から槇耕平という詩人の姿が良く見えると思います。「赤ん坊」を「蚕が桑の葉を食い噛むようだ」と見、「それが言いたくて来たのだったが/きみはなにもかも分かっていた」と結ぶ「きみ」との信頼関係に詩人の大きさを感じました。追悼文でも会員の皆さまに慕われて様子が判り、会にとっても大きな損失だったろうなと思います。ご冥福をお祈りいたします。
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