きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.7.7 クリスタルボウル(「アリキアの街」にて)



2006.9.16(土)

 群馬県榛東村の現代詩資料館「榛名まほろば」に行ってきました。第18回まほろばポエトリーステージ・若い早稲田の詩人たちと吉増剛造・トーク「言葉が露光する秘密の場所−南方から東京へ」という長いタイトルでしたが、内容も長く濃かったです。

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 写真は出演者たち。左から中里勇太氏1981年生、キキダダマママキキ氏1979年生、永澤康太氏1983年生、そしてオブジェを前に朗読する吉増剛造氏1939年生。若い3人の朗読詩は意味を超えた詩と言ってよいでしょう。懇親会で吉増さんが3人の朗読を非常に気にしてして、居残った10人ほど全員に意見を求めましたから、私はこう答えました。<意味を解釈してはならず、鑑賞すれば良い。絵を観ているように聴くことができた>と。吉増さんからさらにどういう絵なのかと質問がありましたので<ある人は淡い色彩、またある人は強い色調を感じた>と答えました。貴重なご意見をありがとうございました、と言われましたから、多分、我が意を得たりと思ったのでしょうね。それにしても、自分の教え子だから当然かもしれませんが、吉増さんが3人への評価を非常に気にしていたのが意外でした。

 キキダダマママキキ氏は最近よく見かける名なので、どこで切れるのか、ペンネームの由来は何か気になるところですが、ご本人から解説がありました。キキダダが苗字、マママキキが名で良いようです。まったく気づきませんでしたがドモリだそうで、ドモったときの発音をペンネームにしたとのことでした。早大大学院修で日経勤務という秀才。この人の朗読が迫力あって良かったなぁ。
 吉増さんはいかにも繊細な感じの詩人ですね。名前から強面を想像してしまいますけど、そんなことはありません。ブラジルに行って撮ったカピバラ(ネズミ目の哺乳類)の焼き増しした写真を全員に配ったりして、面白い人なのかもしれません。いずれ機会があったらゆっくりと話したいものです。まほろばの富沢智さん、吉増さん、佳い夜をありがとうございました。



詩とエッセイ『回転木馬』119号
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2006.9.15 千葉市花見川区 鈴木俊氏発行 非売品

<目次>

山上の墓地/朝倉宏哉 4
夏休み・白いハンカチ/川嶋昭子 7
みかんからザボンヘ・アガパンサス/川原公子 10
役割・くじ引き/小笹いずみ 13
エッセイ
「躾
(しつけ)」ということ/大川節子 16
不器用のすすめ/杉 裕子 18

シンビジューム/佐野ヤ子 22
ふたりづれ/田中ひさ 24
点スケ・水の器/つむり葉月 25
エッセイ
桜/那須信子 30
戻されたお玉/橋本榮子 34

夕暮れ/中村弘子 36
ほいじゃあ・すれ違い/長沢矩子 38
目を伏せて・青年は/村上久江 42
短詩四篇/鈴木 俊 46
受贈書籍・詩誌等御礼 47
編集後記 50
回転木馬バックナンバー  54



 すれ違い/長沢矩子

風とすれ違った
ずいぶん急いでいるようだったのでそのまま別れたけれど
風も探していたらしい

わたしもあせっていた
一生懸命走れば走るほど
すれ違いの距離が深まっていったのも知らず

それから年月も走った
走らずにいられなかった足が上がらなくなった
一途に探す心がどこかへ行ってしまった

小さなすれ違いの数数が
葉桜の毛虫のように糸を引いて揺れている
わたしは何を探していたのだろう

とにかくこの細い道を辿って行こう
地球は丸いというではないか
ならばすれ違ったあの風と地球の向こうで会えるかもしれない

やあ 探していたのは君だったんだ なんて白髪をなびかせて
風のじいさんばあさん
一幅の掛け軸にニッコリおさまったりして

背景の森の木の葉
ときどきざわめいているけど
もう知らない

 擬人化された「風」がおもしろい作品です。「風のじいさんばあさん」とありますからこの場合の「探していた」「風」は素直に男性と採ってよさそうです。「ずいぶん急いでいるようだった」青春、「すれ違いの距離が深ま」るばかりだったあの頃を思い出します。最終連も佳いですね。「もう知らない」は捨て鉢な詩語ではなく、ちょっとすねた程度だと思います。男と女はそうやって「すれ違っ」て生きていくものなのかもしれません。



大石規子氏詩集『学童疎開』
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2006.8.15再版 横浜市中区 花梨社刊 1000円

<目次>
箱根へ行く 8    空製警報 12
最後の疎開 14    ビスケット 16
池谷さん 18     箱根細工の店の前で 20
食べ物 22      六年生 26
棟梁になった国雄ちゃん 28
がんぱしねぇ タイちゃん 30
賢一くんの初恋 32  炒り豆 36
線路を行けば 38   僕の昭和二十年 40
シラミとノンちゃん44 赤痢 46
あけみちゃん 48   幸せな友江さん 50
昭ちゃんの帰京 52  笹本先生のお話 54
その頃の歌 56    失ったもの 残ったもの 60
誕生日 62      四十五年ぶりのクラス会 64
あとがき 68     再版にあたって  69



 箱根へ行く ――集団疎開地を訪ねて

紅葉を分けて
登山電車が宮ノ下駅に止まる
降りる私は重力を失い
秋冷に ぴしっと叩かれる

何十年ぶりかで訪れた疎開地
あの頃も 紅葉は燃えていたのだろうか
記憶を探っても 赤い色はない

赤い色は見たくない
燃える色は消してしまいたい
団欒の家 毯つきの友だち 石蹴りの露地
街ぐるみ 地形さえも奪った色だから
戦災の炎をくぐってきた父の目も
真っ赤だった
面会に来たはずなのに
その日のうちに 横浜へ連れ戻された
まだ 戦争は終わっていないというのに

――すべて失った
  これからは家族一緒に暮らそう
  (死ぬ時も一緒だ)

ごっとん 登山電車が出てゆく
ごっとん ごっとん ごとごと
この音は
腐った玉葱を運んだリヤカーの軋む音
駅からの急坂を 宿泊先の旅館まで
当番の友だちと運んだのだ
子どもには重すぎる車
踏んばるたびに 腐った臭いと汗
玉葱は むいてもむいても白い身を現さなかった

賄い場の裏
ドラム缶に湯が煮えたぎっている
衣服をつっこみ シラミの消毒をかねた洗濯だ
日課のように子どもたちが山へ入り
三、四本ずつ背にくくりつけてきた枯れ枝が
ぱしぱしと燃える

ガラス越しに 人の気配のないロビーを覗く
ここに長い食卓が置かれ
茶碗一杯ずつの御飯を食べた
量が多い少ない 食べるのが早い遅いが
小ぜり合いの種だった
それでも膝小僧は一列に並び
夜は(兵隊サン オ元気デスカ)と
せっせと手紙を書いた

旅館の和風建築の玄関から
ナップサックのアメリカ青年が
金色の脛毛を光らせ
イラストマップを片手に出てきた
憎めといわれた敵国人
戦争が始まる頃は混血の子もいて
中国人・韓国人の友だちもいた
みんな普通に遊んでいた

私の記憶は
箱根土産の寄せ木細工のように
濃い色薄い色の 茶色の時が
縦横にきっちりと嵌めこまれ
ころりんと よい音で出てくるはずの引き出しが
必ず どこかで ひっかかる

 13年前に出した詩集の再版です。このあとに『学童疎開 その後』が続きますが、その出版に合わせたと「再版にあたって」に書かれています。続き物のように両著を一気に拝読しました。
 紹介した作品は巻頭に置かれていました。「何十年ぶりかで訪れた疎開地」の今と、当時の様子が重ねられて歴史的にも貴重な作品です。また、この詩集、続く『学童疎開 その後』の書き出しとしては最良の選択でしょう。「赤い色は見たくない」という作者の思いが両著に貫かれています。最終連が佳いですね。「私の記憶は」「必ず どこかで ひっかかる」。それを納得しながら読ませていただきました。



大石規子氏詩集『学童疎開 その後』
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2006.8.15 横浜市中区 花梨社刊 1200円

<目次>
八月の友だち 8   池谷さん 12
石段の子ども 14   母さんも同じ 16
鋏 18        サクラ モミジ 20
箱根の雪 22     赤い絽の着物 26
名簿の一行 30    進駐軍の靴 34
ララ物資 36     金網の向こう 40
丘に眠る小さな星 44 火の海 46
椿 48        夏の母 50
夕暮れの母 52    海(だった) 54
あの夏休み 56    霧笛 60
祖父母の家 62    写真 64
こぶしの花が咲くと66 「無言館」 68
「Y市の橋」 70    不二夫さんという名 72
昔 戦争があったんだって 76
二人の佐々木さん 78 眠りの淵で 82
空のむこうで 84   ペン・フレンド 86
旧友(一九九六年) 90 三人だけのクラス会(一九九七年) 94
間門国民学校(一九九八年) 98
さみしいクラス会(二〇〇二年) 104
線の丘と青い海と(二〇〇三年) 106
みなとみらい−そして(二〇〇四年) 112
はじめての同期会(二〇〇五年 冬) 116
終わりに 120



 池谷さん

国民学校五年生の頃、箱根の集団疎開先で
一緒だった池谷さん。朝に晩に、あなたの
顔が浮かびます。
朝は、陽の陰に隠れて恥ずかしそうに、で
も、大空いっぱいに手をひらひらさせて、
今日の私を励ましてくれます。
晩には、ご苦労さまでしたというようにお
辞儀をして、陽とともに海のかなたへ消え
てゆきます。
こんなに私に近いのに、あなたの黒髪や透
けるような頬に触れることはできません。
あなたは、あの日から天国の人。
あの日−昭和二十年五月二十九日、横浜が
大空襲をうけて灰になってしまった日。あ
なたも何千という人と一緒に、穏やかだっ
た小さな町ごと、いなくなってしまったの
です。病気で、箱根から家に帰っていたた
めに。
それ以来、私たちは魂と魂で話し合ってき
ましたね。
今夜も言います。早稲田の制帽とマントを
軍服に替えて、南の島に行ったままの叔父
によろしく。凛々しかったお兄さんたちに、
優しかった近所の人たちにもよろしく。

 紹介した「池谷さん」は、同名の作品が『学童疎開』にもあります。シリーズとして拝読しました。前出では疎開先の風呂場の向こう、芦ノ湖の上に人魂がでますが、「私」は箱根に帰って一緒に勉強したかった「池谷さん」だと信じます。その「魂と魂で話し合ってき」た作品が紹介した「池谷さん」です。「国民学校五年生」、わずか10歳で負わされた少女たちの運命に胸が熱くなりました。
 著者は佳い仕事をしたと思います。歴史の証言としてぜひ多くの人に読んでいただきたい両著です。



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