きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.7.7 クリスタルボウル(「アリキアの街」にて)



2006.9.20(水)

 彼岸の入り。たぶん生まれて初めてのことだと思うのですが、父親とともに墓石の掃除をしました。墓地は同級生の住職を脅して30年ほど前に安く買ってありました。墓石を建てたのは継母が亡くなってからで、10年ほど前。ですからそれほど汚れているわけではないんですが、それでも水垢がかなり着いていました。ブラシでこすって、歯ブラシでさらに細かい処をこすって…。30分ほどで終了。まぁ、少しは綺麗になったかな。
 会社勤めの頃はもちろんやったことがありません。そんな時間があるんだったら会社に行って仕事をするか、自室で本を読んで過ごす方を選んでいました。退職して少し時間の余裕ができ、誰もがやることに目を向けることができるようになりました。つくづく狭い世界で生きていたのだなと思います。我ながら非常識人間だとは思っていましたけど、なぜ、どこが非常識だったのか、少しは判ってきたような気がします。



隔月刊詩誌RIVIERE88号
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2006.9.15 堺市南区 横田英子氏発行 500円

<目次>
厳しいかたち/平野裕子 (4)
身を捩って抜けて行く向こう/河井 洋 (6)
骨の悲しみ/泉本真里 (8)
詩を書いて/松本 映 (10)
ひまわり/水月とも (12)
危うい均衡の中を/石村勇二 (14)
季節の移り変わり/安心院 祐 一 (16)
蛙・日々/藤本 肇 (18)
匂い袋・パラソルに問う/横田英子 (20)
RlVIERE/せせらぎ (22)〜(25)
 石村勇二/横田英子/釣部与志/河井 洋
弥生の昔の物語41 嵐のあと/永井ますみ (26)
夜汽車とワンカップ/釣部与志 (28)
船/正岡洋夫 (30)
追憶/ますおかやよい (32)
戦いのある街/戸田和樹 (34)
赤い指/蘆野つづみ (36)
音はない/後 恵子 (38)
洗濯機/MARU (40)
戸田和樹詩集「嘘八景」特集 (42)〜(45)
受贈誌一覧 (46)
同人住所録 (47)
編集ノート/石村勇二 (48)
表紙の写真・TORU/詩・石村勇二



 夜汽車とワンカップ/釣部与志

上り列車なのか 下りの線路なのか不明
くたびれた身体を堅い座席に ゆだねている
乗る客車を選ばないから 旅人は独り駅に着いた
なんの躊躇いもなく 乗り込んだ車両
順番がくれば 定刻に発車のベルが鳴る

みえない時刻という線路のうえで揺られ
行き先が違うと叫んでも 停車しないから
スイチバックの試行錯誤は急勾配の木下闇
長いトンネルも暗さの続きだから車窓は沈黙している
車内の電燈が一瞬消えたのは 直流と交流の切り替え

週刊誌を読み飽きたあとは しばらくまどろみ
どうせ知らない乗客同士 交わす言葉もない
押し黙った空気の中で口唇が渇いている
気ままという自由は 淋しいものだ
何を求めているのだろう 無駄な乗車券一枚を握り

ずいぶんと長く乗っているような気がする
行き先は 始めから無い
どこかで降りられる気もするのだが座ったまま
知らない町に放り出され心細さより
まだ暗い車内のほうが 気やすいのだ

昏い景色に目をやっているうちに
居眠りをしていたのだろ
お客さん終着駅ですと 時計針の車掌が肩をたたく
ここはどこですか 私は何処に行けばいいの
あなたの時間は もう終わりました
これから先 無賃乗車でどこまで行けるでしょうか

 最終連を見て、人生は「無賃乗車」なのかどうか考えてしまいました。貨幣や経済というものは人間社会の仕組みに過ぎませんから、基本的には「無賃乗車」なのかもしれませんね。「気ままという自由は 淋しいものだ」というフレーズもそれに近いものだと思います。「あなたの時間は もう終わりました」と告げられる日まで「ずいぶんと長く乗っているような気がする」一生、「無駄な乗車券一枚を握り」しめているだけの生、それが人生というものかもしれません。そんなことを感じさせられた作品です。



季刊『楽市』57号
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2006.9.1 大阪府八尾市
三井葉子氏編集責任・創元社発行 952円+税

<目次>
●詩
傘 おに/椋原眞理…4
雨の音 早苗/小西照美…7
ノブがゆるんでいる/永井章子…10
夏の鳥/中神英子…12
犯人の処置 父/谷口 謙…15
採集/木村三千子…22
墨蹟と会う/太田和子…24
金の鱗/加藤雅子…26
乳母車/福井千壽子…28
船に乗って/斎藤京子…30
田舎道/三井葉子…50
まだなにか告げようとしている/福井栄美子…52
どくだみを摘む/川見嘉代子…54
神無月/渡部兼直…56
水を飲ます/山田英子…58
枷/司 茜…60
●随筆
私さがしの季節/萩原 隆…32
断想(19)/木内 孝…37
事実への思い/玉井敬之…41
ふたたび京町家から/山田英子…46
●編集後記…64



 枷/司 茜

おだいじにね
転ばないようにね

はい

じゃあな

五月の連休明けも間近い
朝の駅の改札

転ばないようにね 気をつけて
姑らしい人は
エスカレーターを下りていく息子とその妻らしい二人に
身を乗り出して 繰り返し言っている

「おめでたですか」と声をかける
「ええ 来月生まれる予定です
 やっと 跡継ぎが生まれてきます」

  遠い日
  本籍地新潟県亀田町 姓はKを名乗る家の長女として私は大阪
  府布施市に生まれた 後に疎開先の若狭で八歳違いの妹が生ま
  れた 弟は生まれてこなかった 父は仏師であった 戦後間も
  ない頃であったので仕事らしい仕事もなく暮らしは楽ではなか
  った 父は終日小さな仏さまを彫っていた ひと彫りひと彫り
  そっと息をかけ眺め又彫っていく そばで私は蒸かし芋を食べ
  ながら宿題をした
  時が経ち世の中が落ちついてくると 父の仕事ぶりが買われて
  近隣の寺から仕事の依頼がくるようになりささやかな生活がで
  きるようになった
  そんなある日 うちには男の子がいないから茜がKを継ぐのだ
  よ お金も何もない家だけれど五代続いているからここで絶え
  てしまうと お父さんが悲しむから いいね 頼んだよ 母は
  言った ノートの隅っこに好きな男の子の姓の下に茜と書いて
  胸をときめかせていた頃であった 黙りこくっていた 母は大
  任を果たしたというふうであった
  私はいつしかこの家に生まれたことを恨むようになった
  十八歳の冬 霙の朝 家を出た 自由になった 恋もした が
  肩先にはいつも父母がいた
  俺は十人兄弟の末っ子だからとKの籍に入ってくれる男がやっ
  と現れた 父母は私以上に男を頼った 死の間際に父も母も男
  に礼を言った 平家の末裔だと信じる男の父母は男を許すこと
  なく逝った

茶碗をかちゃかちゃさせる音がした
冷蔵庫をぱたぱたさせる音がした
やがて男が歌ってる
昨夜もまた

  租谷のかずら橋や
  蜘蛛の巣のごとく
  風も吹かんのに
  ゆらゆらと
  吹かんのに吹かんのに
  風も
  風も吹かんのに
  ゆらゆらと
        *

おう
手を上げて
七代目が上がってきた

八代目は
        *徳島県「租谷の粉挽き歌」

 第7連の2字下げの部分が中核を成し、話としては面白いのですが、私はそれ以上に構成に魅了されました。最後の最後まで読まないと全体がわかりません。最後まで読んで、ああ、そうだったのかとまた最初に戻ります。すっかり作者の術中にはめられたという感じですね。それが心地好い。
 「姓はKを名乗る家の」「父」と「母」は「五代」目。「私」と「Kの籍に入ってくれ」た「男」は六代目。「おう」と「手を上げて/七代目が上がってきた」から、これは息子さんでしょう。さて「八代目は」? ここが佳いですね。ここで最初に戻るのですが「おめでた」はこの家族とは関係ない人です。でも、そこから息子さんにも近々おめでたが待っているのではないかと連想させます。実際には判りません。詩作品ですから現実とは思いませんが、そんなことまで考えてしまいます。代々続いていく日本の家族、日本の歴史にまで思いを馳せて楽しんで鑑賞しました。



詩誌『濤』12号
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2006.9.30 千葉県山武市
いちじ・よしあき氏方 濤の会発行 500円

<目次>
広告 川奈静詩集『ひもの屋さんの空』 2
訳詩 ポルトヴェネーレ他/フィリップ・ジャコテ 後藤信幸訳 4
作品 ある告白/鈴木建子 6
   空をひらいて/村田 譲 8
   メロポエム・ルウマ/いちぢ・よしあき 10
   昨今 ]/山口惣司 14
濤雪 吾が家の事情/いちぢ・よしあき 16
詩誌・詩集等受贈御礼 17
編集後記 18
広告 山口惣司詩集『天の花』 19
表紙/林 一人



昨今 ]/山口惣司

 ニッポンちゃちゃちゃを やめてくれ

多くのものが瓦解し
焦土と化してしまった
日本の
担おうとしても
担うすべの無かった
背筋の冷たさ

それでも歯を食いしばって
担おうとしてよろめいた
素足の痛みを忘れない

それでも僕らは
敗戦後を必死に生き抜いて来た
日本チャチャチャ!
日本チャチャチャ!
ニッポンニッポンと連呼する
サッカーやバレーの応援風景に
熱気よりも寒気を
いや背筋に刃物を突きつけられた
痛みを感じるのは
僕らだけの僻みだろうか

日の丸を背負って野球をした
と胸を張る選手や監督
日本を背負うことになって
とオシム・ジャパンの一員となった
若手のサッカー選手たち

ちょっと待ってくれ
君たちに軽々に
日本を背負って貰いたくは無い

でも
僕らにそんなことを言う
資格があるのだろうか

大正末期から昭和初期に掛けて
僕らは軽々に
国威発揚を唱える政治家や
軍部や右翼に
僕らの故郷を
踏みしめ踏みしめ歩んできた大地を
いとも軽々に
委ねてしまったのではないか

でも………
だからこそ!
矢張り言う資格がある!
アジアのいたるところに
ぐんぐん伸びる
戦争の魔手に
盛に日本ちゃちゃちゃを
送り続けた僕らの過ちを
僕らは無にしてはならないのだ

クソ真面目の若者だから
スポーツ選手だから
またその応援だからと
僕らは軽々に見逃してはならない

やたら日本を背負ってくれるな!
ニッポンちゃちゃちゃを
やめてくれ!

 私も「日本チャチャチャ!」は嫌いなのですが、実のところなぜ嫌いなのかは整理がついていませんでした。「君たちに軽々に/日本を背負って貰いたくは無い」というフレーズでようやく理由が判ったように思います。「やたら日本を背負ってくれる」ことへの嫌悪感だったのですね。
 しかし、作者はあくまでも「僕らにそんなことを言う/資格があるのだろうか」と謙虚です。その謙虚さの上に「だからこそ!/矢張り言う資格がある!」と苦しい胸の内を明かします。ここは重いですね。そんな先輩の作品を通して「僕らは軽々に見逃してはならない」と改めて感じた次第です。



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