きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.7.7 クリスタルボウル(「アリキアの街」にて)



2006.9.25(月)

 午前中は年金移行手続きで忙殺されてしまいました。退職に伴い企業型から個人型に変更しなければならないのですが、書面がたくさん…。なにせ初めての退職ですから、へぇー、こんなことも必要なのかと驚きの連続です。一応、完璧に仕上げたつもりで郵送しましたけど、戻ってくるかもしれないなぁ。自営業の人には当り前のことだったのでしょうが、そういう面ではサラリーマンは甘やかされていたのかもしれません。



住連木律氏詩集『楔の音律』
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2006.8.21 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊 2000円+税

<目次>
思うこと
此岸の月 8     彼岸 10
バスに乗って 12   子守歌(朔の月) 16
白い髪で茶色い顔のホームレス 20
海(望の月) 22
動植物・風景のこと
おいしい卵 26    ほたる 28
雨上がり 30     山路 32
優しい木 34     私は木になりたい 36
拾われ子猫 40    赤とんぼ 42
輪廻のカラス 44   つゆむすぶみみ 46
白樺林 48      ひまわり 52
子供の頃のこと
宝物のクレヨン 56  目覚まし時計 58
水たまり 60
子供を育てるということ
静かな女の子 64   授乳 68
とうのめざめ(我が子へ) 72
少年 74       聖マルタンのマント 76
小さなお茶会 78
友達のこと
アクセス方法 84   時計草 88
迷走中 92
添え書 『楔の音律』に寄せて 比留間一成 98
あとがき 102



 少年

小麦の粒の一粒に
小麦の全てがあるように
あなた一人のその中に
宇宙の全てが満ちている

小麦の丈に隠れるほどに
あなたが小さかったころ
空飛ぶツバメも地を這うアリも
同じ不思議でできていた

小麦畑が地平まで
金の穂波でうねるころ
あなたは小麦色に焼け
海の彼方を思いやる
視線は空を突き抜けて
見果てぬ先を見たがっている

背丈が母を超えたとき
あなたはここを捨てるだろう

 第1詩集です。ご出版おめでとうございます。お名前は<しめのき・りつ>さんとお読みするそうです。
 紹介した「少年」は「
子供を育てるということ」の章の作品ですが、五七調になっているのが分かると思います。五七調を主体とした珍しい詩集と云えましょう。詩集全体を通して感じるのは、おそらく著者生来のリズムであって、無理をして創ったものではなさそうです。
 「少年」では特に第1連に注目しました。「小麦の粒の一粒に/小麦の全てがある」という視点は、深い論理に裏づけされた詩語と思います。新しい時代の新しいリズム、論理の出現と謂っても過言ではありません。今後のご活躍を祈念しています。



文芸誌『彗星』創刊号
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2006.9.10 静岡県掛川市
土屋智宏氏編集・彗星の会発行 700円

<目次>
わが駿河区南部図書館ライフ/美濃和哥 1
ジョバンニへの手紙/土屋智宏 6
西瓜/影山久茂 15
ダブルシルエット/井村たづ子 20
にわたずみ 井村たづ子 24
霧とにごった空の中 土屋智宏 26
薔薇という字は/なかむらみちこ 28
さりながら未必の故意というものの胸底ひとつ眠る暁/脚本・土屋智宏/演題・美濃和哥 32
風の譜/河原治夫 75
同人紹介
編集後記
題字/鈴木蝶光 表紙絵・挿絵/斎藤永良 挿絵・裸婦



 にわたずみ/井村たづ子

朝刊には今日も
私とよく似た女がゆらゆらと浮き上がってくる

彼女たちは初め
今生の疲れを引きずるように
五、六人でにらみ合い、つつき合い
ある者はうつむいたまま、紙面のはじっこを
かきまぜている

夏の浅い庭
羽虫が湧く古井戸
女たちはここでも二、三人の輪を作り
ずるずると降りてくる

容疑者の顔として
殺人者の深くえぐれた目をして
いびつな背景にびっくりして跳ねる石

活字と活字の深い溝
言葉のひとつひとつの暗い茂みに出会うよう
苦悩を打ち明ける女たち
私はいつから仲間になったんだろう

樹にぶつかり谷に流され
孤独やら疎外やらがべったりとインクににじむ
空の赤いところから
ライオンが一頭躍り出て
急に暑さが増してくる

口を開けたライオン
獲物を捕りはぐれた雄の複雑な横顔
私たちはいっせいに声もたてずに彼の森へと急ぐ
存在やら人生やら
わけのわからない夕暮れに向かって
見えない方にと

 新しい文芸誌の創刊です。おめでとうございます。
 浅学にして紹介した作品のタイトル「にわたずみ」の意味が判りませんでした。広辞苑で調べると潦≠ニ書き雨が降って地上にたまり流れる水≠ニありました。平安時代には庭只海≠ニ理解されていたらしいともありますから、「夏の浅い庭」から考えるとこちらの方が作者の意図に近いかもしれません。
 おもしろい作品だと思います。「朝刊」の中の「私とよく似た女」たち、「容疑者の顔」、「活字と活字の深い溝」などと「にわたずみ」が重層してイメージをかき立てられます。最終連の「存在やら人生やら/わけのわからない夕暮れに向かって」というフレーズも佳いですね。人生の黄昏に向かっている私などにはぴったりの言葉です(^^; 刺激されて何か書きたくなってしまいました。



詩誌『プラットホーム』4番線
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2006.9.1 東京都世田谷区
宮本智子氏他・プラットホーム舎編集 300円

<目次>
《詩》
愛/近藤明理 4
猫のガールフレンド/近藤明理 8
遠い海/高梨早苗 12
日記/宮本智子 16
すずめ賛歌/宮本智子 18
幻の森/田中聖子 22
《エッセイ》
電車の中の息子たち/近藤明理 28
夏の朝に/高梨早苗 30
ああ、お宝/宮本智子 32
束の間の命/田中聖子 34



 日記/宮本智子

とんぼが
羽をやすめて
とまっている あいだに

こころの野原のどこかで
つぼみが ひらきはじめた

じゃがいもが
ほくほく
茹であがる あいだに

こころの果樹園で
果実が まるく熟していった

千の朝を むかえても
空の青が
(あ)せないように

千の夜を ねむっても
こころの大地は
ちいさな種を たやさない

 「こころ」という言葉は現代詩では遣わないという暗黙の了解があると思っていますが、この作品ではそれが許されると云えましょう。おそらく「日記」というタイトルと第5連の「千の朝を むかえても/空の青が/褪せない」というフレーズが「こころ」という表面的な甘い言葉を打ち消す作用をしているのだと思います。特に「空の青が/褪せない」という詩語は佳いですね。「日記」や「こころ」が人間の、謂わば身勝手な言葉なのに「空の青」はそれとは無関係に超然としていることを感じさせます。「空の青」は「褪せない」という言葉は、ことによったら幾世代も遺るかもしれませんね。



『関西詩人協会会報』43号
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2006.10.1 大阪府交野市
金堀則夫氏方事務局・杉山平一氏発行 非売品

本号の主な記事
(1)面 第13回総会のご案内
(2)面 追悼 福田万里子さん/詩で遊ぼう会のご案内
(3)面 ポエム・セミナー「自作を語るU」
(4)面 新入会員紹介
(5)面 詩画展の報告・「詩と現実」報告・運営委員会の模様
(6)面 会員活動・イベント



 花見つけ/横田英子

車窓から探している
去年の場所に
すっくと立っているひがん花
石津川の堤の斜面にも
みごとに群生している
真っ赤な波のうねりが
朝の陽を浴びている

私の花見つけは
いつから始まっただろう
探して探して本当の花は
まだ見つからない
空の瞳孔を雲が流れる

何かを見つけるために
過ごした日々だが
何かを得るために
何かを無くしていった

空白の位置に杭を打たれる
杭が並ぶ分
花が消えていくのか

赤赤と炎がゆらめいて
今年のひがん花が招いている
そしてまた私の花見つけが始まる

 「ポエム・セミナー『自作を語るU』」に横田英子さんのエッセイ「私と詩とひがん花と」が載っており、紹介した詩はエッセイの最後に置かれていた作品です。20年ほど前の詩集『炎みち』の中の作品のようです。一般的には嫌われている彼岸花ですが、作者は自転車通学の高校生の頃から魅せられていた、とありました。しかし「杭が並ぶ分/花が消えていく」現在、静かな告発の詩と云えるかもしれません。「何かを得るために/何かを無くしていった」というフレーズも佳いですね。普遍的な言葉は20年などという時間を超越すると言ってよいでしょう。「自作を語る」という試みにも好感を持った企画です。



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