きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.7.7 クリスタルボウル(「アリキアの街」にて)



2006.9.27(水)

 まったく、、、いつものことだけど、、、どこかで何度も書いた話だけど。愛犬百個(ももこ)を美容院に連れて行きました。5000円! しかも月に一度で、来月の予約までして来て…。さらに悔しいのは午前中の3時間をしっかり使っていること。
 自慢じゃないが私は三月に一度で3600円、しかも45分から50分。来月の予約なんてやったことがありません。せめて犬並みに扱ってくれ!
 ま、自分で好きで買ってきた子だから、今さら文句を言うスジアイではないし、この辺では可愛い部類に入るらしく、美容院の宣伝チラシに使ってくれるほどの美形のようだから、まぁ、いいかあ、とも思っています。馬鹿だね、ホントに。自分ではそう思わないけど、世間様はこういうのをイヌキチって言うんだろうな、きっと。そうそう、美容院の名前、「犬きち」(^^;



金子以左生氏詩集『阿佐緒私抄』
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2006.9.22 東京都足立区 銀嶺社刊 2000円(税込)

<目次>
序詩 赤鶴 2
A→石原 純
嫦娥 8 小景 14 洛中洛外図屏風――上杉本 18 処決 24 蔦の細道図屏風――伝光琳筆 50
靉日荘にて
阿佐緒(a) 36 阿佐緒(b) 45  純(a) 48 純(b) 53
別離 59 邸内邸外図屏風――長谷川等学筆 65
B→古泉千樫
越智 72 今昔 78 誰が袖図屏風――黒田本 84 その妻 88 その子 93 滑脱 98
その他
白薔薇 106
跋 丸山勝久 112
あとがき 116



 靉日荘
(注1)にて

阿佐緒(a)

内と外とを劃絶するガラスの家は 風のあるたび 砂で埋った そ
の矩形の内側で 私のたましいはずっと行きどまりである
顔をあげれば海 伏せれば目のある砂の気配がする
鬱蒼と私は砂に埋没している 屍体のように微動もなく 青んで

ここから見える保田
(注2)の海は キラキラ輝いて どこまでも露草
色にさわいでいる その風景は怪訝なものではない 日常の退屈な
うつろいに似ている 叢雲動く ふるえる風 遠のく外国航路の船
音が止絶え 私は乱調である 左右に砂が無限に延長する 巾をな
くした運河のように

なにもかも捨て去った男は つつましく庭に菜園を拓いた 蜜蜂を
飼って生活の足しとした 生い立ちとの違いから 伸び出る異類の
蔓草は 直立すべき組織の発達が不十分なので ずれる

私は群落の上の明るさが好きだ 己れ自身で渦巻き 光を巻きとる
葉を広げる 光寄生である 男に向って発達しようと手を伸ばせば
組織の発生は満足ではない いつも男から墜落し 元の矩形の底で
ある

いくつもの雑誌が私達を特輯した いくつもの写真が私を平になぞっ
た いくつもの紙面の中で 私は たった一つの表情で なめらか
にほほえんでいる
扁平に 奇異もなく 私はグラビヤの微笑をし 男へ 不安定なよ
びかけをする 返事の無い抜けた虫歯のような空白
言葉の跡絶えた部屋は ゆっくりと家が鼓動をはじめ 砂が一斉に
目を開ける

明るく 白く 閉塞する家は 実は男の身体である その体内で砂
がなめらかにふとり 落ちている 零れる不服で部屋が皺より 大
きく腹部をふくらませては しぼみ 私の領域を侵犯する 海の光
景は どこへでも道が続き どこにも自由は選べるが その先で
全てが消失しているのだ 本当に精神は豊かな鳥のようなものであ
るのか 識閾のあたりで 母が病んでいる その姿が遠い電球のよ
うに見える 病床のそばに駆けつけても ほとんど口をきいてもら
えなかった 男のからだの動きがするから 男の持つ刺のような突


砂達が庭のライラックや矢車草を枯らしては指でたべている 昨日
私が植えた茨さえたべているのだ 気づくと 私は砂に鋭く目指さ
れている たべられる 突起のない私は食べられる 目の裏 舌の
隅 耳の奥 いたるところ砂に侵食され私は枯れつつある
恐ろしさに戦くことさえままならぬ 叫んでみても壁が縮んでは伸
び 風とともに砂をまき散らしている その者達が私の声さえたべ
るのだ

机の上に一本の薔薇 一顆の果実 萎えた詩歌のようなもの アラ
ラギを追われた 私をかばった友も退会させられた
(注3) 歌集を出
したが酷評だった その頃から立方がくねる 時計に食べられてい
る薔薇や果物 全部を否定しようと願う私は 無呼吸な黒いかたま
りとなる 椅子に安らいでも 重みで床が沈み 影が傾く 私は孤
立している 一本の薔薇のように 一個の果実のように
時として 私は己の器官によって 動態する 一塊から一尾になっ
て 空気の中を泳ぐこともある
ふるさとの水の流れを思い出すので 背鰭を動かし すっかり砂を
落している 心安らいで 古里の家のまわりを泳いでいる
私をかばう友が死んでも 出棺の時出席をめぐって はげしく男と
争った それ以来 私は屍体のように無動である
なぜか 隣りの部屋で 男の上に別の女の匂いがする 私は急いで
黒い塊となる

今 私は人の姿に近似している 正当な姿は故郷に残した子供の目
の中に位置している この部屋では 蝋のような色が私である 又
は男が心をよせる 一本の薔薇の鮮明が私である
私の歩行が制止されるゾーン 禁足がつむじとなって男に連続して
いる 私の棲息は 風のあるたび砂で埋まる死都である
その四つ角で 私は狂いつつある

  *

この世にのぞみなるもののなべてうしなひ健康にだにあらぬ吾なる

あるじも婢もこの家に吾のあることを暗き塊と思ふなるべし
                           阿佐緒

(注1)石原純と原阿佐緒が千葉県鋸南町保田に建てた所謂愛の巣といわれるもの 二人は七年間生活を共にした
(注2)靉日荘の所在地 阿佐緒は靉日荘を紫花山房と称した
(注3)三ケ島葭子 婦人公論に「生けるものの悲しみ」を書き阿佐緒を弁護 アララギを破門となった

 タイトルの「阿佐緒」は原阿佐緒という大正年間の女流歌人だったようですが、浅学にして知りませんでした。あとがきに概要と著者の意図が書かれていますので冒頭を紹介してみます。

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 「阿佐緒私抄」と言う題で作品を書き始めて、十年以上になる。一年に一、二篇の歩みであった。原阿佐緒の生涯は鮮烈だ。その美貌のためだろうか、阿佐緒が出逢った男性は現在知られているだけで、小原要逸 古泉千樫 庄子勇 石原純 真山孝治 と五人を数える。その内から石原純→Aと古泉千樫→Bをとりあげたものが、この「阿佐緒私抄」である。なぜこの二人であるかと言えば、他の人達は阿佐緒との交渉で、どちらかと言えばプラス(大金を貰って彼女と別れる等)している。それに反して石原純は、東北帝国大学教授と言う地位と、ボーアの量子条件を自由度系に拡張した理論によって帝国学士院恩賜賞を得たという名誉を全く捨ててしまった。そして古泉千樫は彼女との関係の中、子供を死なせてしまう。歌集の中の「柩を抱きて」一連の歌は痛ましい。

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 そんな女流歌人に関わった二人の男を描いたのがこの詩集だったわけです。全編を通すとその壮絶さが判りますが、ここでは「阿佐緒」の立場で書かれた「靉日荘にて/阿佐緒(a)」を紹介してみました。彼女の世間からの評価、交友関係が判る作品だと思います。ここでは「砂」が重要な位置を占めています。思わず安部公房の「砂の女」を連想してしまいました。砂の家に取り込まれてしまう男も大学教授。ことによったら安部公房も原阿佐緒に刺激されて書いたのかもしれませんね。
 著者はこの詩集は抒情詩ではないと断っています。しかし叙事詩とは言っていません。単なる抒情詩ではなく、叙事における著者の心境を描いた作品と捉えられると思います。閉塞著しいと言われる現代詩に、著者のこれまでの仕事も含めて風穴を空ける詩集だと思いました。



中島登氏訳詩集『螺旋階段の虹』
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2006.9.20 東京都渋谷区
パンセ・ライブラリー刊 2580円

<目次>
ブレーズ・サンドラール
新聞 11                  塔 14
コントラスト 20              肖像画 24
アトリエ 27                ぼくのダンス 30
彼女のドレスは身体の線をあらわにする 32  炸裂音 35
最後の時 38                フィアット 40
静物 43                  タイトル 45
構成 47
ボリス・ヴィアン
ぼくはくたばりたくない 51         生きる理由 59
人生 それは一本の歯のようだ 61      頭の中を風が吹くとき 62
もううんざりだ 64             もしもぼくが詩人だったら 65
男が真っ裸で歩いていた 66         やつらが世界を壊す 67
ぼくはなりたかった 71           詩人 73
ぼくは魚の骨の形をした人生をのぞむ 74   なんでも百回も言われてきた 76
ばくは脊柱ガンで死ぬだろう 77       脂肪に 81
なにかがある? 82             赤色の人生 84
蜘蛛 86                  大きな通過 88
ほんとうにくだらない話 89         島嶼 91
十人十色 93                人生についての詳しい説明 94
ぼくの妹 96                詩法 98
トラヴェルシエール通り 99         無人島 102
心ときめく歌 107
.             ある友への忠告 112
チャールズ・ブコウスキー
脚と臀(ヒップ)とお尻 117
.         ハツカネズミ 120
ぼくの庭 123
.               部屋を借りる いかす女の子 124
フィリップス 一九五〇年 128
.       刑務所の男におくるクリスマスの詩 130
おそらく そうだ 140
.           モーニング・ラブ 142
ナナ 146
.                 ヘンリー・ミラーは可哀相だ 148
群集 152
.                 新たな戦争 156
ジュエル・キルハー
子供のようにわたしは歩いた 161
.      アダムの痩せた肋骨 165
野性の馬 165
.               ブコウスキーの寡婦 167
シアトル 170
.               日光浴 172
ボストンの赤屋根ホテル 174
.        やるせない心 176
ラブ・ポエム 178
.             きれい 180
サラは言った 181
.             コーヒーショップ 184
慢性的な病気 186
.             あなたに手紙を認めながら 188
あなたを受け入れるために 191
.       新月 194
わたしを知ってる誰か 196
.         離婚ののちに 198
五月は日脚がのびて 201
.          雌牛が変だ 204
サウナ風呂 208
.              優しさ 211
峡谷の狼 214
.               神しずかにおわします 216
奇蹟 220
あとがき 223



 なにかがある?/ボリス・ヴィアン
          ジャック・プレヴァンスに

第一に
自分より若い女と結婚することは多くのメリットがある
女と結婚することは多くのメリットがある
結婚することは多くのメリットがある
ごたごたがあるにしても
多くのメリットがある

第二に
自分より年上の女と結婚することは大いにメリットがある
女と結婚することは大いにメリットがある
結婚することは大いにメリットがある
ごたごたがあることを別にしても
多くのメリットがある

第三に
大いにごたごたはある
女と結婚するメリットを別にしても

 訳者が「世界にはわれわれの知らない優れた詩人が沢山いる。彼らの詩を少しでも多く日本語にして紹介していくのが、私の仕事の一つであると思っている(あとがきより)」と、様々な詩誌で発表した訳詩をまとめたものです。紹介されているのはブレーズ・サンドラール(フランスの詩人・1887〜1961)、ボリス・ヴィアン(フランスの詩人・1920〜1959)、チャールズ・ブコウスキー(ドイツ系アメリカの詩人、小説家・1920〜1994)、ジュエル・キルハー(アメリカの女流詩人・1974〜)の4人。ジュエル・キルハー以外はすべて故人です。ここではボリス・ヴィアンの作品を紹介してみましたが、最終連が佳いですね。「女と結婚する」ということは何処の国も同じかと笑ってしまいました。国境、民族を越えた男の気持を紹介してくれた訳者に感謝、です(^^;



詩誌『花』37号
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2006.9.20 東京都中野区
菊田守氏方・花社発行 700円

<目次>
紅の波/呉 美代 4            河畔/山田隆昭 5
魚籠/酒井佳子 6             わが「浮巣」/佐久間隆史 8
無明/秋元 炯 10             桑の木/都築紀子 12
ゆらゆらと/鈴切幸子 13          鼓橋幻境/田村雅之 14
風景/和田文雄 16             靴/川上美智 17
待ち人/宮崎 亨 18            カナリア/神山暁美 19
スモカを塗った靴/篠崎道子 20       久遠の空に/鷹取美保子 28
若者とひき蛙/狩野敏也 30         きんぴらごぼう/坂東寿子 32
レールの先/中村吾郎 33          来年のことを言えば鬼が笑う/馬場正人 34
鼓動/青木美保子 35            尻を拭う/石井藤雄 36
春の炎/佐々木登美子 37          野草/小笠原 勇 38
日常の中に/坂口優子 39          おじいちゃん/菅沼一夫 40
ためらい/原田映子 41           ドクダミ/平野光子 42
剥落した暦/高田太郎 44          屁みたいな/鈴木 俊 45
清朝宦官
(かんがん)日録 そのT/山田賢二 51  春蝉/湯村倭文子 52
雛罌粟/水木 澪 53            縒りのあまい糸/山嵜庸子 54
サバンナ/峯尾博子 55           茶樹源記/飯島正治 56
魂まよふ/天路悠一郎 58          逝く夏に/柏木義雄 60
望郷/丸山勝久 62             <Now> の舟/宮沢 肇 64
日本の灯
(あか)り/菊田 守 66
評論 三島由紀夫の詩人性と作家性とのかかわりについて−初期の詩篇をめぐって/佐久間隆史 22
書評 湯村倭文子詩集『雪明り』をめぐって/栗原清子 46
書評 『夕焼けと自転車』菊田守著を読む/石村柳三 48
エッセイ 落穂拾い(3)/高田太郎 50
書評 『土橋治重を語る』を読む−土橋治重の禁欲精神について−/中村不二夫 68
第十三回「風忌」報告/丸山勝久 70
第十三回『風忌』ご挨拶/鎗田清太郎 71
エッセイ 松本隆晴さんの詩のこころ/菊田 守 76
「故松本隆晴さんを偲ぶ会」報告/宮沢 肇 78
「花」36号同人会報告/都築紀子 79
編集後記 80



 カナリア/神山暁美

矢車がからまわりする空から
鈴の音がきこえてくる
幾重もの波となって
縁側のふちに寄せてきている

「ローラーカナリアの声だな」
新聞から目をはなして父がつぶやく

あの日 先頭にカナリアはいた
空にいちばん近い頂をもつ山のふもと
足せば十になる数の名の村
迷彩服 重装備の男たちを従え
黄色をまとっただけの身を
鳥かごの止まり木に
針金のような脚でささえて

開け放した窓から見える風景に
寒々とした記憶を滲ませながら
なおも歌声は潤いをもって
部屋の中までしみてきている

母は車椅子の向きをかえ耳をすます
定年で退職をしたばかりの夫がいう
「カナリアを飼おうか」
わたしは夕餉の献立を考えている
予定をもたない家族の
おだやかな明日のために

 あぁ、「おだやかな」日になったのだなと思います。「先頭にカナリア」を連れて毒ガスを検知しなければならないような事件は過去のものとなりましたが、現実には政治の問題、若者の就労の問題など課題は山積しています。それでも上九一色村は元の平和を取り戻し、「車椅子の向きをかえ耳をすます」「ローラーカナリアの声」が「潤いをもって」います。「父」「母」「夫」と「予定をもたない家族」ばっかりになったとしても、安心して「夕餉の献立を考え」ることが出来るようになったと云えましょう。しかし作者は「迷彩服 重装備の男たち」が動いた事実は忘れてはいません。その思いが最終連の「おだやかな明日のために」に収斂されていると思います。事件の描き方、構成と申し分のない作品です。



詩誌『石の詩』65号
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2006.9.20 三重県伊勢市
渡辺正也氏方・石の詩会発行 1000円

<目次>
アイコクシン/濱條智里 1         そらの教室/北川朱実 2
飽和のとき/真岡太朗 4          小鳥と身体/米倉雅久 5
永遠のコドモ会 Y/高澤靜香 6      勾配/橋本和彦 7
居場所/落合花子 8            魔女宣言 ]]]\/濱條智里 9
三度のめしより(十九) なにかこう、収拾がつかなくなって/北川朱実 10
(一)鬱 (二)医薬 (三)品性/加藤眞妙 14  春宵琥珀色/浜口 拓 18
桜漬け/坂本幸子 19            塩焼き/澤山すみへ 20
軌跡/奥田守四郎 21            五月/谷本州子 22
白菜(ペェチュ)/キム・リジャ 23      さよなら/西出新三郎 24
夏の道/渡辺正也 25
■石の詩会 CORNER 26
■同人著書一覧 27
題字・渡辺正也



 そらの教室/北川朱実

教室はまちがえる場所だ
もっと手をあげて
たくさんまちがえればよかった

ふとんに入ると明日になるから
「おやすみ」ではなく
「行ってきます」が正しい

答案用紙をまるめて捨てて
廊下に立たされたけれど
からだの中には
どんなゴミも捨てられる庭があって

時々 そのゴミを掘りかえしては
思い出したり
思い出さなかったりした

――北アメリカのヘアーインディアンは
  一キロメートル先のキツネが見えます
  風の匂いを嗅ぐだけで
  地平線のむこうでへラジカが倒れたのがわかります
保健の先生はそう言った
けれども 人混みの中にいて
私は 誰の顔も見えない日があった

ひなたとひかげの間の
白でも黒でもない場所
そこを とことこと
野良猫が歩いていくのは見えるんだけどね

そう 答は急がなくてもよかった
九九がいつまでもいえなくて
母親を泣かせたけれど
けさ庭で 若いうぐいすが
ホケッ ホケッ ホーホケッって鳴いたんだ

世界には
自分の年を
一本の木が花をつける
その回数で数える人々がいるらしい

そんなふうに もっとゆっくり歩けばよかった
リヤカーなんかに大切なものを積んで
ときどき立ち止まって
オシッコなんかして

待ちくたびれたのは
バスではなく
人でもなく
もっとほかのものだった

 第1連の「教室はまちがえる場所だ」というフレーズに魅了されましたが、読み進めると第8連も佳いなと思いました。「自分の年を/一本の木が花をつける/その回数で数える人々」には自然と一体化して、かつ向日性を感じます。私だったら花が枯れたり、落葉したりを回数として数えかねませんからね。「リヤカーなんかに大切なものを積んで」というフレーズも文明の限度を言っているようで好ましく思いました。自動車ではなく、自転車の延長としての「リヤカー」には自然との共棲があると云えるでしょう。文明の発達はその程度で良かったのかもしれません。それが「もっとほかのもの」へも繋がっていくかもしれないと思った作品です。



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