きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.7.7 クリスタルボウル(「アリキアの街」にて) |
2006.9.28(木)
何事もなく一日は過ぎていきますけど、思ったことがなかなか進まないなぁと、ちょっと不満です。詩をあと2〜3編書かなければいけないんですが、ミューズが降りて来てくれません。日本詩人クラブの宿題もまだたくさん残っているし…。日本ペンクラブの方は、まあまあかな。一日12時間ぐらいはパソコンに向かっていますけど、効率が悪いのかもしれません。今まで会社勤めをしながらよくやってこれたもんだと我ながらあきれ返っています。そうそう、書斎の片付けも中途半端。それでも気持が悪いという感情が起きませんから、根っからのグウタラなんだと自覚しますね。パソコンだけ見てれば、背後の本の山は見えない(^^; ま、じっくりと余白の人生を過ごしましょう。
○個人詩誌『一軒家』14号 |
2006.10.1 香川県木田郡三木町 丸山全友氏発行 非売品 |
<目次>
お客様の作品
随筆
イチゴ狩り/宮脇欣子 1 初冬の風景/中井久子 2
夏の想い 二題/池田みち 3 介護生活/平井賢一 4
よこちゃん/吉原たまき 5 昔の常識・今は非常識/星野歌子 5
随想二題/伊東美好 6
童話 ヤエ先生とユキちゃん/森 ミズエ 8
論文 句を読むということ/田島伸夫 10 詩型について/成見歳広 12
詩
濃霧/佐藤暁美 13 長雨/内藤ヒロ 14
いのち/新井朝子 14 道化師/窪田幸治 14
はじまりにむかって/宇賀谷 妙 15 草よ/吉原たまき 15
不安/中原未知 15 あなたの手のひら/友里ゆり 16
夏の言葉通り/成見歳広 16 あかりの中で/小島寿美子 17
目/高橋智恵子 17 尺八/筒井ひろ子 18
幸福の銃/飯塚 真 18 仲間はずれ/丹治計二 18
たっくんと一緒に/吉田博子 19 青い花/戸田厚子 19
鳥の習性/高崎一郎 19 姉妹/角田 博 20
何かおかしい/吉村悟一 20 昭和五十年神田神保町界隈/星 清彦 21
夕方/山上草花 22 迷い猫/小山智子 23
午睡/沢野 啓 23 秋雨前線/大山久子 24
俳句 徳増育男 24 山上草花 24
川柳 川西一男 24 徳増育男 24
短歌 晩年の母/藤原光顛 25
一軒家に寄せられた本より
高橋智恵子詩集/高橋智恵子 25 育てつつ育てられ/言寺はる 26
青ぶどう 27
短編小説 あめやんたん物語 (28)
詩 草抜き。省略。土のいたずら。なまけもの。虫かご。嫁入り。(31−32)
身辺記 青大将 (33)
省略/丸山全友
娘と昼食にする
「モーウ」
牛小屋で牛が叫んでいる
「餌をやるのを忘れとるから催促しとるわ」
「父ちゃんには牛の言うことわかるの」
「あれは『もう(モーウ)腹減った』と言っとるんや」
「朝早く叫ぶのも『もう(モーウ)腹減った』や」
「食べてすんで鳴くのは『もう(モーウ)腹一杯や』な」
「じゃ、夜鳴くのは『もう(モーウ)眠い』なのね」
「あんた、娘にまた何か言ったの?何を言っても『モーウ』としか言わないよ」
帰宅した妻が牛小屋に向かって叫ぶ
「牛の言うことわかる」「父ちゃん」と、それを応用する「娘」。そして「妻」が良いですね。「また何か言ったの?」という発言ですから、こんなことが度々あるのでしょう。何でもないことのようですが、家族のあたたかい関係が浮き彫りになっていると云えましょう。現代の日本人が忘れてしまった風景を思い出させてくれる作品です。
○個人詩誌『if』12号 |
2006.10.1 広島県呉市 ちょびっと倶楽部・大澤都氏発行 200円 |
<目次>
結婚式 1
たぬきデンタルクリニック 3
デッサン 5
ちょびつれづれ 6
ifつれづれ
デッサン
車座になりイーゼルを立て、人物デッサンをしていた。
描いている人がどこかの絵に描かれている人のような、体の線の細い女性が私の左隣
だった。
「美しい」ってこんな女性を言うのだろうなと、左の肌で感じながら自分のへたくそな
デッサンを我慢していた。
隣の女性はデッサンも巧い。
終了の合図に一息ついて左を見ていないように見ていた。
隣の女性に先生が声をかける。褒められるのかと思ったら注意を受けたらしい。しかも
「今から点滴を受けなさい」
とどこかに連れて行かれた。
女性は美しかった。そして不幸そうだった。家族に恵まれないのか、恋がうまくいかな
いのか、それとも違う理由かわからないけれども。
残された絵には、町の大きな美術館で現在展示中の女性が描かれていた。
美しい女性も同じ顔をしていた。
「町の大きな美術館で現在展示中の女性」と「同じ顔をしていた」「美しい女性」。しかも「『今から点滴を受けなさい』とどこかに連れて行かれた」ひと。なにやら謎めいていますが、現実の生活はこんなものなのかもしれませんね。「左の肌で感じながら」「見ていないように見てい」る「隣」のひと達。「理由」を詮索するつもりはないけど、ちょっと気になってしまう…。現代生活のそんなところを描いた作品として読み取ってみましたが、作者の意図とは違っているかもしれません。
○詩誌『詩区 かつしか』85号 |
2006.9.17 東京都葛飾区 池澤秀和氏発行 非売品 |
<目次>
食べちから/みゆき杏子 冥い星/しま・ようこ
リスの栗拾い・ほっかぶり/工藤憲治 晩夏・クラス会で/内藤セツコ
伝言・偽装/池澤秀和 岩野先生/堀越睦子
晩夏/青山晴江 たった一夜/石川逸子
人間六十八 愛と死・人間六十九 私の故郷は地球/まつだ ひでお
忠兵衛独り言/小川哲史 時代の流れと言うけれど・何も要らない/小林徳明
たった一夜/石川逸子
たった一夜空けて帰ってきた家なのだが
あたりの様子はまるで変わってしまっていた
お隣もお向かいも 筋向かいの家にも
見たことのない人が住んでいるようだった
黒塗りの車が止まっていて
黒い服を着た男たちがぞろぞろ
奥の路地へはいっていった
どこの家に不幸があったのか
とりあえず家へはいろうとして
家がなくなっていることに気づく
家の建っていたところは駐車場になっていて
片隅にポツンと生えているザクロの樹があり
たしかに庭にあった樹なのだった
家がなければどこへ帰っていけばいいのか
たった一夜とおもったのは間違いで
途方もない時間をすごしてきたのだろうか
ウラシマクローに会いたい
会えばきっと話があって
あれやこれや興奮したまま たがいにしゃべりまくるだろうな
路地の奥から 黒い服を着た男たちがぞろぞろ
棺をかついで もどってくる
あの棺にはいっているのは私ではないだろうね
そばを通っていくとき
金木犀の香りとともに
〈ふふふ また戻ってきますよ〉
なつかしい笑い声がきこえたようで
「たった一夜空けて帰ってきた」だけなのに「ウラシマクロー」になってしまった「私」。しかも「あの棺にはいっているのは私」かもしれない。何とも不思議な作品ですが、現代の喪失感を描いていると考えれば納得できますね。有るはずのものは有り、自分の存在は当り前と思って暮らしていますけど、よくよく考えてみるとそんなものは泡沫なのかもしれません。
しかし最終部分には救われます。「また戻ってきますよ」という「なつかしい笑い声」が「きこえ」る限り、まだ大丈夫。それが聞こえなくなるまで生きるしかない、そんなことを感じさせられた作品です。
○柏原圭女氏詩画集『まぼろしの波』 |
2006.8.22 京都市右京区 洛味社刊 1000円 |
<目次>
やぶみょうが 9 まご 10
春 11 <詩画論・抄>「詩画」の願い 12
桃 13 天神さん 14
散歩 15 つくし 16
茶の花 17
目 18 <詩画論・抄>
子どもの心と芸術 19
あけび 20 こがらし 21
小判草 22 柏もち 23
夕化粧 24
やいと花 25 <詩画論・抄>
神のような愛を 26
(えり) 27
きつねのちょうちん 28
山 29 粟 30
くず 31 ふるさと 32
印空寺 33 むくげ 34
虫 35
あとがき
つくし
摘んで
いて
みんな
はなれて
いった
洛味社の詩画集叢書第3弾です。味わい深い絵とともに書が添えられた美しい本です。ここでは「つくし」を紹介してみました。「みんな/はなれて/いった」という詩語にイメージがふくらみます。一緒に「摘んで」いた人が離れて行ったようにも、一本の「つくし」が摘まれて仲間から離れたようにも、摘まれたつくしが籠の中でバラバラに離れたようにも、いろいろに鑑賞することができます。もちろん、それら全ての総体と採っても良いでしょうね。楽しめる詩画集です。
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