きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.9.16 群馬県榛東村「現代詩資料館・榛名まほろば」にて



2006.10.4(水)

 本を読んだり銀行に行ったりしている間を縫って、日本詩人クラブ詩書画展の作品公開の準備を進めています。先日も書きましたがピンポケが多くて恐縮していますけど、記録として残したいと思っています。まともな写真をお持ちの方は是非お寄せください。明日、公開できると思いますので、ご覧になってくだされば嬉しいです。拙HPではなく日本詩人クラブHPに載せます。



詩誌『馬車』35号
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2006.10.5 千葉市美浜区
久宗睦子氏発行 非売品

<目次>
扉詩…インサイド・アウト/ついきひろこ
野球帽・Hommage…春木節子 4
ボイルドエッグ・ツバメの帰朝…堀田のぞみ 8
六月の雨・交差点…高橋紀子 12
夕立・微熱の顛末…
 洋子 16
――――――――――
招待席
来世…豊岡史朗 20
ごっここっこ…林 立人 22
――――――――――
栗の日・さやまのもり…山本みち子 26
わたしたちのうたえる・てがみ…久宗睦子 30
ヒーリング・湯たんぽ ある日は いい夢 みられる…小丸由紀子 32
〔評論〕〈生物文学〉8…堀田のぞみ 36
不在・雲・休日…田中順三 40
視線・ツンドラの風が吹いてくる…馬場晴世 44
しめこのうさぎ・蟻地獄…丸山乃里子 48
はぐくみ・一つの場所…ついきひろこ 52
Loss Time・黙示・音楽…本多 寿 58
MEETING ROOM 64
後記・同人名簿



 しめこのうさぎ/丸山乃里子

うさぎにオオバコを食べさせた
うさぎはおもしろくもなさそうに食べた
オオバコは中学校の土手から摘んできた
まいにち摘みにいった
草がなくなる冬はうさぎをわたしたちが食べた
だれがうさぎをしめころすのかは知らない
同居中の叔母の口ぐせは「しめこのうさぎ」だった
(思い通りになった)(思いがけない幸運がきた)
という意味で使っていた
しめこのうさぎは小さなオリに入れられていた
二匹いた 白と茶色 わたしたち家族はうさぎに
名前をつけなかった
名前をつけると食べる気がしなくなると感じていたから
魚だって種類の名前はあっても一匹ずつ名付けないのは
そのためだろう
食うものに固有の名前をつけてはいけない
白いうさぎも茶色のうさぎも肉になったら
おなじ味だったか どうかは忘れた
オリだけが雪の庭に置かれて雪に埋もれた
春になると少ししめって姿をあらわした
それから間もなく叔母は男をみつけて(しめこのうさぎ)
と言って家を出ていった 男の名前は知らない

 おもしろいけど、怖い詩ですね。特に最後の「男」のくだりは、我々男共を震え上がらせるのではないかと思います。「草がなくなる冬」に「しめころ」されて「わたしたち」に「食べ」られるのが、所詮、男共の運命なのかもしれません。
 「食うものに固有の名前をつけてはいけない」という指摘も良いと思います。確かに「名前をつけると食べる気がしなくなると感じて」しまいますね。おもしろくて怖くて、モノ事の本質を鋭く突いた作品だと思いました。



詩誌『ONL』87号
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2006.9.30 高知県四万十市
山本衞氏発行 350円

<目次>
現代詩作品
西森 茂/人類が英知あるものとなる日 1  小松二三子/八月の空 4
浜田 啓/「八月の日」 6          福本明美/夏の夕暮れ 7
岩合 秋/金魚鉢 8            土志田英介/白痴の谷 10
水口里子/「きいや」と招かれて 12      大森ちさと/特別列車 13
山本歳巳/震える脳 14           丸山全友/嫁入り 17
文月奈津/しごと 18            大山喬二/橡の木の森へ(4) 20
横山厚美/素直 22             土居廣之/あの頃 23
山本 衛/河・他 24            河内良澄/あかい いろ 26
柳原省三/アンリツ・他 27
随想作品
葦 流介/幸徳秋水の漢詩6 30       秋山田鶴子/小さいポスト 31
徳廣早苗/Y君への手紙 32         芝野晴男/将棋大会 33
山本 衛/追悼三沢浩二先生 34
後書き 36
執筆者名簿 37
表紙 田辺陶豊《鳥W》



 「きいや」と招かれて/水口里子

「きいや」
初めて 高知に来た日
呼んでくれた 幼友達アサコちゃん
春の山を遊山する
茅花 虎杖 目ざとく見つけて

「きいや」
同義語で兄弟に囲まれ
学校に学び 職場で働き
義父と義母に招かれ
その線上に暮らしがある

「きいや」
会えば悪口を放つ友の誘い
電話で 或いはハガキで

いつの日か 御仏の前に額ずく日
聞こえてくる 招かれる声

 最初は「きいや」の意味が判りませんでしたが、来いや≠ネんでしょうね。味のある言葉です。「幼友達」「兄弟」「義父と義母」、そして「会えば悪口を放つ友」。この組み合わせ、推移とも無理がなく、すんなりと読ませてくれます。そして最終連。「御仏の前に額ず」き「招かれる声」も、やはり「きいや」。おいで≠ナもいらっしゃい≠ナもない「高知」の言葉がその先の幸せを約束してくれているようです。



詩とエッセイ『想像』114号
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2006.10.1 神奈川県鎌倉市
羽生氏方・想像発行所 100円

<目次>
六ヶ所再処理工場から負わされる被曝…小出裕章 2
詩「七月の庭・きゅうり」ほか…羽生槙子 7
プロレタリア詩人大江満雄…羽生康二 10
花・野菜日記06年8月…15



 七月の庭・きゅうり 1/羽生槙子

生きていく重圧に
ときどき怖くなることありません?
そういう時 庭に出ると
きゅうりが 今日は五本も
つるにぶら下がって
低いところの一本なんか
もう大胆に 大地で寝ているんです
その安心感といったら!

 私の家の裏にも畑があって、この夏は「きゅうり」が何本も「つるにぶら下がって」いました。私が栽培しているのではなく義母が趣味の延長でやっていますから、それほど興味も起きずたまに見る程度です。ですから「大胆に 大地で寝ている」ものがあるとまでは知りませんでした。作者はおそらく毎日世話をしているのでしょう。その愛着が「その安心感といったら!」という言葉に現れていると思います。「生きていく重圧に/ときどき怖くなること」があって、「そういう時 庭に出る」という行為そのものが「庭」への愛着の現れとも云えましょう。地面にしっかりと足を着けた作品だと思いました。



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