きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.9.16 群馬県榛東村「現代詩資料館・榛名まほろば」にて



2006.10.10(火)

 夕方、銀座5丁目の「ギャラリー・しらみず美術」という画廊へ行ってきました。小川英晴さんとミズテツオさんの詩と絵の展覧会の初日で、両氏の詩と絵の本『少年』出版記念会もやる、というものです。小川さんとは日本詩人クラブの理事仲間として一緒に仕事をしたこともあるし、先日の詩書画展では飾りつけの指揮を執っていただきました。そのお礼という意味もありますから、これは何が何でも行かなくちゃなるまい、と張り切りました。

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 出版記念会とは言っても、そこは芸術家・小川英晴氏のこと、「詩とギターの夕べ」と題した荘厳な会でした。狭い画廊に50人ほど集まったでしょうか、立ち見も出るほどの盛会でした。写真は左からギター演奏の佐藤さん、朗読のやすみさん。やすみさんは川柳作家で、NHKの「趣味悠々」に出演しているそうです。今度、見てみよう。そして右が詩人で画家の小川英晴さん。嬉しそうでしたね。
 朗読は30分ほどで、あっけないぐらいでしたが、そのくらいがちょうど良いのかもしれません。二次会は有楽町の「八起」という居酒屋。こちらも座りきれないほどの人が参加して、あぁ、みんな小川さんが好きなんだなと思いました。私は当然しっかり呑ませてもらって、いろいろな人とおしゃべりして楽しみました。いい夜だったなあ、小川さん、誘ってくれてありがとう!

 そうそう、会期は14日の土曜日まで。外堀通り「旭屋書店」の目の前の「壹番館ビル」の4階です。よろしかったら訪れてみてください。水彩の少年の絵と、小川さん自筆の詩が出迎えくれます。



小川英晴氏詩と絵の本『少年』
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2006.10.10 東京都豊島区 舷燈社刊 1000円+税

<目次>
少年 8       願いごと 10
青空 12       美しい声 14
花と少年 16     花を愛する少年 18
恋する少年 20    少年と少女 22
恋 24        老いゆく少年 26
幻の少年 28     少年の青い水 30
気を失う少年 32   美しい風景 36
夢 38        静寂 42
美しい余韻 44    絵の中の少年 46
さかなの記憶 48   待つ 50
黄金の翼 52     ジャングルジム 54
鳥の声 56      美しいひびき 58
こころ 60



 幻の少年

少年が夕ぐれを愛するように
夕ぐれは少年を愛した

その日から夕ぐれは毎日ひとりずつ
少年を浚っていった

街から少年が減ってゆくことで
広場はすこしずつひろくなった
少年はあらたな物語をはじめることなく
毎日ひたすら夕ぐれを待った

夕ぐれがむらさきに染めかえる日
最後の少年もこの街から旅立っていった

夕ぐれが去って もはや誰も
少年のことを口にするものはなかった

また朝が来て 夜が来て
少年のいない広場が夕ぐれに彩られる
するとそこに幻の少年がやって来て
澄みわたる声で歌をうたった

 上述の出版記念会で1000円を支払って、いただいた本です。小川さんの詩とミズテツオさんの絵が収録された美しい本です。絵の雰囲気は上の本の表紙で味わってください。会場に飾られた詩と絵がこの本で再現されているわけではないようです。いくつかの詩と絵は会場で観た記憶がありますが、ほとんどは別物だと思います。
 紹介した詩はヘンな解釈をつけないで、描かれた世界を楽しめば良いと思うのですが、私には「少年を浚っていった」の喩は、少年が大人になることなのではないかと感じました。「幻の少年」とは次の世代として読んだ作品です。



詩誌『えこし通信』11号
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2006.10.10 東京都練馬区
えこし会・中村文昭氏発行 FREE PAPER

<目次>
すずほね通り/海埜今日子
戦後は、更に、炎/豊原清明
変人とありきたりの変人/田村一行
いよかんの実るその庭で――遺言
(ナンセンス)(四)/中右史子
指先の無線/林 花子
流星――吉行理恵に寄す/中村文昭

<小特集 孤独遊びの天才 吉行理恵>
座談会 クリハラ冉・鯉渕史子・林 花子・チョルモン・栗原飛宇馬・中村文昭
暖色の灰色
(グレー)の喩(メタファー)――吉行理恵小論/クリハラ冉
吉行理恵小論 昇天のメタファー――抽象を生むということ/鯉渕史子
吉行理恵の現実への意味づけ/林 花子

詩集評 境節『薔薇の はなびら』/クリハラ冉



 
いよかんの実るその庭で――遺言(ナンセンス)(四)/中右史子

その家の
庭のさきにはいよかんの木々があって
そのむこうには
まっさおな海と空とがひろがっていた。

かれ芝のゆるい斜面を駆けくだれば
そのまま
海へ空へと とんでいってしまえそうな気がしていた。

「すきなだけ もっていってくれていいのよ」と、
その人は私にそう言って、
少女だった私の腕いっぱいに
いよかんの実をもたせてくれた。

 その人は 私の祖父を愛した人で
 私は 彼女が愛した男の孫だった

それから二十年も経った夏のある日
海岸の方から
あの家が建つ丘をみつけた。

 あそこは彼女が祖父の最期をみとった家
 二人が暮らしたさいごの家だった

もう二人とも あそこにはいないんだな
と、そう思った。



おじいさんがいるなんて
はじめて知ったその日、
ロマンスカーにはしゃぎ
熱海の市場のナマコにはしゃぎ
そうしてどこまでも小暗い丘を登りつめつづける車で
しらない家の前まで連れて行かれても、
私はただ そこから見える海のひろさに はしゃいでいるばかりだった。
だからその日 その家の 庭に面した明るい部屋で
白い病床に座っていた祖父が
人生の最期の春をながめていたことも
そこにのこしてきたものも
何ひとつ私は気づかずにいた。

「あのひとは
 ――お手伝いさんよ」
母はその日、そう私に嘘をついた。

  あの人は
  祖父を愛した女のひと。
  祖母から夫をうばったひと。
  祖母が産んだ たった一人の男の子を
  その手で育てあげた人。

  私の母から 少女だった日に 父を家族をうばった人。

母はあの日、少女の日の そのひずむようなくらがりを踏んで
あの家に上がった。



母が産んだ娘の首のうしろには
赤い痣がみえかくれしていて
ある日私がそれに気づいたとき、母は
「顔じゃなくてよかったわね」と言った。
それは祖父の顔の
その断ち切れない肉親のしるしだった。
私にはみえないその痣は
私のものではなく ずっと
母のものだった。



むかし息子をうばわれたことのある老女は
真夜中にきゅうに 狂ったように叫びだしたりした。

いったい誰が名付けたというのか、
その男の子にはまさ≠ニいう
産みの女のその名まえと おなじひびきが含まれていて、
呼びかけるたび、その人は
微量の毒を口びるにふくみつづけなければならなかった。

 祖父が死んだ あの暑い夏の日の火葬場
 私がみたのは そこでくずおれていた老女は
 いったいだれの すがただったのか――

ふたりの老女の そのとおいあいだを
埋め合わせきれない無数の言葉のあいだを
まぶしそうにその庭を
いっときよぎった少女の腕に
その人はいくつもいくつも いよかんの実をもいできて
腕いっぱいにもたせたのだった。
 それはあのとき
 あの家で どこか小暗いところから春を眺めていた母の
 かくしてもかくしてもかくしきれずにいる
 くらがりに凍てつくようなその少女の ひしひしとしたそのまなざしのために
 いつの日か 父をうばってしまったその人が
 ぜったいに 口にはできない言葉のつのる その実のおもたさなのではなかったか――



それから幾夏かが過ぎ
いよかんの実るあの家は
とうに売りに出されていたのだと知った。

子もうまず 愛する男をみとったあとで
いよかんの実るあのまぶしい庭をはなれて
それからひとり 老女はどこへ去ったというのか――

 その家の
 庭のさきにはいよかんの木々があって
 そのむこうには
 まっしろな海と空とがひろがっていて

 かれ芝のゆるい斜面をかけくだれば
 そのまま
 木々をこえて
 海へ空へと
 とんでいってしまえそうな 春の日だった。

その家は彼女が祖父をみとった家
二人が暮らした さいごの家。

 こちらも前出出版記念会の二次会で頂戴しました。紹介した詩は、まるで1編の小説を読んでいるような錯覚に襲われた作品です。作者の中右さんの略歴が載っていましたが、ちょうど私の娘と同年代です。そんな意識で拝読しましたけど、「祖父を愛した女のひと。/祖母から夫をうばったひと。」という「あの人」の存在は、世代とは関係ないように思いました。「赤い痣」という「断ち切れない肉親のしるし」、「産みの女のその名まえと おなじひびきが含まれてい」ることなどが効果的に遣われています。そして「いよかん」の象徴性が佳いですね。「まっしろな海と空とがひろがっていて」、「そのむこう」の人間の業を感じさせる作品だと思いました。



詩誌『じゅ・げ・む』16号
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2006.10.5 横浜市港南区
田村くみこ氏連絡先
かながわ詩人の会発行 600円

<目次>
涯ない道●…富家珠磨代 4
決め事●…富家珠磨代 6
ウォーキング●…宗田とも子 8
虹のエール●宗田とも子 10
終戦記念日●…田村くみこ 12
格差社会●…田村くみこ 14
点火を待つ 郷愁篇●…林 文博
(リン ウェンボー) 16
チューニング●…林
 文博(リン ウェンボー) 18
【同人雑記】●…22
 <富家珠磨代/田村くみこ/林
 文博(リン ウェンボー)>
全国受贈講読・詩集
題字●上野裕子



 終戦記念日「夢」/田村くみこ

現代病のひとつに数えられるストレスってやつに侵されたのか
この頃妙に眠れない。ある日むしょうにせせらぎの音が聞きた
くなったので、行ける範囲内ではあったけれどせせらぎの音を
聞く旅にでた。仕事と仕事の合間をぬうように何度も歩き続け
たのに今だにせせらぎの音に出遭っていない。せせらぎらしき
音はたくさん聞いた。けれどあれは本当のせせらぎの音ではな
い。往きずりの旅人にも聞いてみた。「どこかに心を癒すせせ
らぎの音の在り処を知りませんか」。族人はみな「さぁ」、と答
えた。諦めかけたとき少年が笑顔で手招きしていた。
その日から少年と私の奇妙な旅が始まった。少年が追いかける
オニヤンマを裸足で追いかけた。サワガニに挟まれて悲鳴をあ
げた。アブラゼミは繋ぐべき生を抱えながら飛び立っていった。
急げいそげ、もうすぐ闇に追いかけられるぞ。
こんなに楽しい時間のあとではもう私には残された時間がない
ように思われた。
これは博打みたいなものだ。頬杖をついて眠りかけたとき何処
からともなくあのなつかしいせせらぎの音が聞こえたような気
がした。私は少年の腕を引きずっていた。どうしても君にだけ
は聞かせたい。走りかけたとき少年は言った。「せせらぎの音
になんの意味があるのか」、僕の時代にはこんな小川にも人が
沢山死んでいたんだ。「僕には安らぐ場所さえないのだ」と。
少年は逞しい青年になって雑路のなかに吸い込まれていった。
あとには魂だけが取り残されて胡弓のような音
(ね)を震わせ続けた。

 何度もタイトルに戻りながら読み進めて行って、どこが「終戦記念日」なんだろうと思っていました。しかし「僕の時代にはこんな小川にも人が/沢山死んでいたんだ」というフレーズでハッとしました。そして「少年は逞しい青年になって雑路のなかに吸い込まれていった」を読んで納得しました。副題の「夢」も意味が判りました。巧い作り方だと思います。「終戦記念日」をこのように書いた作品に出会ったことはありません。これからも「終戦記念日」は書き継がれなければならないと思いますが、同じように書いていたのでは真意が伝わり難くなるでしょう。一石を投じた作品だと思いました。



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