きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.9.16 群馬県榛東村「現代詩資料館・榛名まほろば」にて |
2006.10.17(火)
16時から日本ペンクラブの事務所で開催された電子メディア委員会にオブザーバー出席してきました。私の所属する電子文藝館委員会と兼任の会員が、最近、HPを全面削除されるという事件が起き、その件が電子メディア委員会で採り上げられことになり、日本ペンのHPに電子文藝館を作っている文藝館委員会も無関係ではなかろうということで出席を求められたものです。オブザーバーとは言っても両委員会とも同じような人数だったので、合同委員会のような形になりました。もともと両委員会とも電子メディア研究会が母体で、そこから発展的に分かれただけですから、兄弟のような関係なのです。
該当の会員のHPがプロバイダーによって削除された経緯がまず報告されました。HPに引用された文が著作権侵害にあたると関係者からプロバイダーに通告があり、プロバイダーはプロバイダー責任法とプロバイダー会員規約に基づいて削除した、というのがアウトラインです。いろいろ問題点はありそうですが、以下に集約されると思います。
(1) 著作権侵害の内容が妥当か。
(2)
仮に削除するとしても全面削除ではなく、該当部分の削除に留められなかったのはなぜか。
(3)
プロバイダーは該当会員にメールで指摘したそうだが、該当会員はそのプロバイダーのメールは今までも見ていない。従って指摘があったことを知らないのでいきなり削除されたと思っている。プロバイダー責任法やプロバイダー会員規約ではメールで指摘することで可となっているが、これは妥当か。
結論としては、今回は当事者の片方だけの報告なので、事件の真相を理解するためにはプロバイダー側の意見を聞く必要があるということになりました。近々双方を事務所にお呼びしてお話を伺おうということで参加者全員が一致しました。それは良いことだと私も賛成しています。
ことは個人の問題だけでなく、インフラとして整備されてきたインターネットでの表現の問題だと思います。場合によってはプロバイダー責任法の改定まで求めなければならないかもしれません。電子メディア委員会と電子文藝館委員会というレベルを超えて、日本ペンクラブ全体、あるいは文筆家全体の問題、あるいは双方向のネットで表現している人全体の問題にも波及しそうです。腰を据えて取り組むつもりでいます。拙HPでも状況を報告していきますから、ご意見のある方はメールいただけるとありがたいですね。
○詩誌『青衣』123号 |
2006.10.20 東京都練馬区 青衣社・比留間一成氏発行 非売品 |
目次
<表紙>…比留間一成
記憶の紙…布川 鴇 2 舞う…井上喜美子 4
騙し絵…伊勢山 峻 7 春落葉…河合智恵子 10
<平灰>…12
船型の雲…上平紗恵子 14 鬼が通る…表 孝子 17
鬼さん泣く…表 孝子 20 秋風帖−風韻詩…比留間一成 22
<あとがき>
騙し絵/伊勢山 峻
爆音がしたので
飛び込んだ防空壕に
軍事教官から
敵国語教師と呼ばれた
英語教師がいた
木ぎれを燭台にして
蝋燭がともっている
紙片をかざし
−何が見える
醜悪な西洋人の老婆
炎が揺れるたびに
振り返った目が凝視する
−もう一度見直してみろ
じっと見ているうちに
若い女性の後ろ姿に変わる
−騙し絵っていうんだ
もう一枚紙片を取り出す
何匹かの蛇が何かにからみついている
瞬いてもう一度
蛇は樹皮になり
少女の裸体が浮かび上がる
−女が見えたか
黴臭ささが鼻をつき
蒸し暑さ増す
五十キロ離れた都市が
爆撃され
西北の空が赤く燃えていた
敗戦になって出番ができたのに
英語教師の姿はなかった
しばらくして
占領軍のトラックの上から
手を振る英語教師をみたと
生徒間の話題になったが
「英語教師」がいたのですから中学校の頃という設定だと思います。「防空壕」に避難しながらもそんな余裕があったのかと、当時を知らない私はまず驚きました。防空壕では何をしていたのか、想像もつかないというのが本音かもしれません。
「騙し絵」は思春期の少年には艶かしく映ったでしょうね。「英語教師」はそれを承知しながら見せていたように思います。あるいは「軍事教官から/敵国語教師と呼ばれた」自身への騙し絵≠セったのかもしれません。そんな悲哀も感じ取れます。最終連の「占領軍のトラックの上から/手を振る英語教師」も騙し絵≠セったと採ってみました。奥行きの感じられる作品です。
○高田昭子氏詩集『空白期』 |
2006.10.15 東京都東村山市 水仁舎刊 1800円+税 |
<目次>
春−叙情 8 誕生日 36
桜咲く 10 みず色のまり 38
春の翌日には 14 もみじの寺 40
蜃気楼 18 燃える森 42
ららばい 20 絶え間なく 44
みみ−こころ−からだ 22 秋祭 48
水無月 24 紡ぐ 52
龍釣り 28 鳥 54
駱駝に乗って 30 竹の花 56
七月になったら 32 残像 58
竹の花
夜の竹林
その一節ごとに宿る真っ白な空虚
それを重ねつづけて
竹はひっそりと天に向かってゆく
根は闇のなかで途方もない夢のように交錯する
いだかれるたびに
胸のなかには
かすかに竹林の風がふいてきて
竹の花が咲く
花は次第に増えてゆく
もっとも天に近いところから
タイトルポエムの「空白期」という作品はありません。詩集タイトルの由来をあとがきでは、前回の詩集から4年が経っており、その期間が空白期だとしています。過去の作品の領土から抜け出すための時間、とも書き加えられていました。その思いが顕著に現れているのが紹介した「竹の花」と云えましょう。「その一節ごとに宿る真っ白な空虚」が「空白期」なのだと思います。「それを重ねつづけて」「天に向かってゆ」き、「花は次第に増えてゆく」のだと読み取りました。ちょっとこじ付け気味かもしれませんが、私の中では「竹の花」とあとがきの言葉が違和感なく、素直に結びついています。己の内面を凝視した好詩集だと思います。
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