きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.9.16 群馬県榛東村「現代詩資料館・榛名まほろば」にて



2006.10.18(水)

 昨日は午前中にNiftyのサービスマンが来てくれて、光ファイバー通信開通後の無線LANの設定をやってくれました。うちには2台のノートパソコンがあるので、2台ともやってくれることになっていたんですが、なんと1台には無線LANカードが搭載されていないことが判明。1台だけ設定して、2台目は私が無線LANカードを買ってきたあと、ということになりました。嫁さんと娘が使っているパソコンには内臓されていたのがせめてもの救いですけど、肝心の私のパソコンには内臓されていなかった……。あーぁ、調べれば簡単に済むことなのに、新しいXPだから付いているでしょ、と放っておいたのが敗因でした。やっぱりどこか抜けているなあ(^^;

 で、今日は気を取り直して買ってきました。2800円のものは売り切れで4800円のもの。上は1万円を越えるものもありましたけど、そんな高いものには手を出しません。安いものでも機能的には充分、、、のはず。明後日もう一度来てくれます。今日もそうでしたが、それまでは、ネットに接続するときは隣の部屋に置いてあるルーターの近くまでパソコンを持って行って、LANケーブルに繋ぐという不便さ。でもダイヤルアップに比べるとメチャクチャ速いですね、当り前だけど。嫁さんのパソコンと2台同時に使っても速度は落ちません。これも当り前だと思いますが。ようやく接続時間も気にせず、思う存分ネット三昧の生活になりそうです。



季刊文芸誌『南方手帖』84号
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2006.10.10 高知県吾川郡いの町
南方手帖社・坂本稔氏発行 763円+税

<目次>

喫茶店/平井広恵 2            沈黙/玉井哲夫 4
モンドリアン/朝倉ハル 6         梅雨明ケ/坂本 稔 10
南方の窓(35) ウィーン通信(11)/高橋幸子
随筆
ウィーン遠からじU(2)/高橋悦子 12    「庚申堂の秋」に寄せて…/甲藤卓雄 16
南方荘漫筆(56)/坂本 稔 22
読者投稿作品
零れ日/さかいたもつ 35
 ◆題字・竹内蒼空/表紙装画・土佐義和



 喫茶店/平井広恵

十年くらい前には精神病院があった山裾
クヌギやカシの林がさわさわと風をめぐらし
冬括れには夕焼けが林の空を サーモンピンクに染めていた
消毒液の臭気や格子の窓
ストライキの旗が立ち
閉鎖となって
窓辺の人たちもみんなみんないなくなった
最近日なたタウンという住宅地になって
明るい壁の家がつぎつぎと建ち
店主が描いたらしい小さなコーヒーカップの絵の看板が
小さな椅子に立てかけられて
日なたという名の喫茶店もできた
セイタカアワダチソウやクズの花サルトリイバラは消えたが
豆畑は新しい
忌部古墳の道を歩いていたキジの親子はどうしているだろう
アオバズクを今年は聞かなかったし
まずまずのカップの絵の店も気がかり
当分開店中でいてほしい
そのうち行きます

 時代の移り変わりと言ってしまえばそれまででしょうが、それを越えた作者の思いが伝わってきます。作者にとって関係の深い土地なのか、そうでないのか…。おそらく深い関わりはないでしょう。それでも「精神病院があった」り「ストライキの旗が立」ったりしたのですから印象深かったのかもしれません。そんな自分とのちょっとした距離感が描かれていると思います。これは小説の世界ではなく、やはり詩でしか表現できないものでしょうね。最後の「当分開店中でいてほしい/そのうち行きます」というフレーズも良く効いています。巻頭にふさわしい作品だと思いました。



会報『南方荘便り』55号
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2006.10.10 高知県吾川郡いの町
南方手帖社発行 非売品

 一汁に一菜をもて天高し 勝又一透

 毎年秋になると自然に思い出される数々の名句…その中で最も好きな一句です。この決然とした潔さに頭が下がるのです。美しい日本の秋空、しかしそれは、この島国に生きる人間の繊細な美的感受性があってのこと。
 明けても暮れてもテレビではグルメ、グルメ…大口開けてガバガバと物を喰うの図、ズルズルズルッと音高く麺類やお茶漬けなどを啜りこむ絵、…そして、地域振興などを看板に繰り返される“大食い早食い競争”の餓鬼道的様相…品性も羞耽も何もかも捨て去って、まさに一億総餓鬼の時代を演出・奨励?しています。
 明けても暮れてもこんな絵が全国に流れ、子供たちもそれを見ながら育っています。その一方で、今の子供は若者は、礼儀知らずで困るなどといってみても空しいだけではありませんか。こんな日本にしてしまったのはわれわれ大人たちです。富士山をゴミだらけにしているのはどこの誰でしょうか。私は生涯富士山には登ろうとは思いません。遠くから振り仰ぐだけで満足です。けれど、かく言う私もそのオトナの一員です。ともすれば時流に巻き込まれそうな自らを省みて恥ずかしいと思います。だから、余計にこの句の凛然たる姿勢に惹かれるのです。

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 坂本稔さんによる文章の冒頭の部分です。私は俳句は門外漢ですが、それでも「一汁に一菜をもて天高し」の句の「決然とした潔さ」は判るように思います。確かに今は一汁一菜なんて死語かもしれませんね。パソコンの変換でも出てきません。
 「美しい日本の秋空、しかしそれは、この島国に生きる人間の繊細な美的感受性があってのこと」という坂本さんの言葉にも惹かれています。「繊細な美的感受性」が無ければ何をやってもガサツになってしまうのでしょう。私も「ともすれば時流に巻き込まれそうな自らを省みて恥ずかしいと思い」をしています。感想に対する感想なんてヘンですが、そんなことを感じました。



詩誌『ひょうたん』30号
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2006.9.15 東京都板橋区
相沢氏方・ひょうたん倶楽部発行 400円

<目次>
岡島弘子/司会…2             柏木義高/そのころの木…4
大園由美子/熊野古道…6          小原宏延/《三宝寺》周辺…8
水嶋きょうこ/みずき…12          中口秀樹/ひとつ…18 もんで…20
長田典子/いったい ii…22         森ミキエ/薔薇の地形…26
相沢育男/きずな…29
小原宏延/水嶋きょう『twins』の震度…30
エッセイ 出会い…32
表紙絵−相沢律子              カット−相沢育男



 きずな/相沢育男

お父さんとお母さん
お母さんとお兄さん
お兄さんと私

友人同士
恋人同士
夫婦

先生と生徒
医者と患者
政治家と民衆

薄っぺらな会話より
やさしい沈黙

 あっ! これ判るな! と思ったのが第一印象です。第1連から3連まで何を書きたいのか判りませんでしたが、最終連でパッと頭に入ってきました。お見事! の一言でしょうね。「薄っぺらな会話より/やさしい沈黙」が必要な関係って、もっと沢山あるのかもしれません。例えば神と人間とか…。読者は読者なりにバリエーションが広がって、普遍性のある作品とも云えましょう。タイトルも佳いですね。楽しんで、そして考えさせられました。



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