きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.9.16 群馬県榛東村「現代詩資料館・榛名まほろば」にて |
2006.10.31(火)
10月も今日で終わりですね。私にとっては退職して丸半年が経った日でもあります。この半年を振り返ると、長かったような短かったような複雑な気持です。意外だったのは、つい半年前まで生活の大半を占めていた会社のことがまったく思い出せないこと(^^; そんな過去のことより、これからどうやっていくか、そればっかりを考えている毎日です。詩界のボランティアもあるし、日本ペンの仕事もあります。毎日、皆様からどんな本が送られてくるのかも興味津々です。
あと半年後の無職1周年記念日にも、同じようなことが書ければいいなと思っています。
○詩誌『鳥』47号 |
2006.10.10 京都市右京区 洛西書院・土田英雄氏発行 500円 |
<目次>
植木容子 床緑(ゆかみどり) 2
中東ゆうき 残る/匂い 5
なす・こういち 風のように/記憶・見たこと 10
大阪生まれの洋画家 なす・こういち 15
元原孝司 実家/鎮魂歌 16
佐倉義信 石川節子の写真に思う 20
作家の自殺を考える−原民喜前編 鬼頭陞明 26
岩田福次郎 連祷 30
いま ここにないものを 思う 内部恵子 38
釣り雑感−忘れ得ぬ人・完結編 元原孝司 41
追想 清岡卓行−ある戦後史の終焉 土田英雄 42
あとがき 48
表抵・カット 田辺守人
匂い/中東ゆうき
今という時代はどんな匂いがするのだろう
たたみの匂い
ほかほかご飯の匂い
太陽の匂い
風の匂い
雨の匂い
草の匂い
大切な匂いが消えていく
父さんの匂い
母さんの匂い
年を重ねた匂い
病の匂い
汗の匂い
夢の匂い
感謝の匂い
残さねばならない匂いが
いやな匂いと消されていく
消臭剤がもてはやされて
気にいらないものは消され
自分勝手という匂いだけが残る今
他の星からは
毒ガスマスク着用が
義務付けられている
地球という星
人は自分の匂いに鈍感だ
「匂い」を詩にすること自体が難しいと思うのですが、この作品はそれを上手くまとめています。その上「今という時代は」「自分勝手という匂いだけが残る」と現実をきちんと批判し、「他の星から」の視線も加えた秀作です。特に最終連にたった1行置かれた「人は自分の匂いに鈍感だ」というフレーズが佳いですね。一人の人間から地球までを一気に飲み込む詩語で、素晴らしい締めだと思いました。
○詩と評論・隔月刊『漉林』134号 |
2006.12.1 川崎市川崎区 漉林書房・田川紀久雄氏発行 800円+税 |
<目次>
詩作品
岸辺の二人…高橋 馨 4 旧作発掘…遠丸 立 7
第二幕目…成見歳広 10 われら消耗品…渋谷 聡 12
影のサーカス−9…坂井信夫 14 祈り−2…田川紀久雄 16
ほんの少しの優しさを…田川紀久雄 18 蛍茶屋…池山吉彬 20
短歌
彼岸蜻蛉…保坂成夫 24
小説
猫のいる風景2…坂井のぶこ 28
エッセイ
作品を認め合う心…田川紀久雄 26 泉谷明詩集「灯りもつけず」を読んで…田川紀久雄 36
後記 41
われら消耗品/渋谷 聡
賞味期限がとっくに過ぎているのだが
未だ
ここに在る
いかされているだけなのだが
とてもありがたい
(腐る寸前が一番おいしいのだが
既に
そこも過ぎてしまった)
消耗品費で片づけられるのだから
過去の栄光も
賞賛の歴史も
忘れてしまった
これまで何があったのか
生きていた領収証なんて
燃やされてしまった
在ることは怖い
犯そうとする未来が待っているから
人を殺さないように
組織には加担しないように
いかがわしい神にはついていかないように
(われらを殺さないでくれ)
精神も肉体も消耗していく
消えてしまうことはないが
暫くは
生と死の間(はざま)で
腐り続けていこう
いずれ
発酵することもあるだろう
退職して粗大ゴミと化している私には身につまされる作品です。「腐る寸前が一番おいしいのだが/既にそこも過ぎてしまった」ところまではまだ行ってないかもしれませんが…。「生きていた領収証」という詩語も佳いですね。最終連の「いずれ/発酵することもあるだろう」というフレーズには感服。ただ腐るだけではない、「われら」の意地を感じました。
○『漉林通信』13号 |
2006.11.10 川崎市川崎区 漉林編集室・田川紀久雄氏発行 200円 |
<目次>
詩のテーマは停滞しているか/田川紀久雄 1
詩 絆/田川紀久雄 1
新・漉林叢書【新刊】 岩崎守秀詩集『水のゆくえ』 2
漉林新詩集シリーズのお誘い 2
絆/田川紀久雄
あなたの笑い顔をみたいから
耐えて生きていられる
あなたのかなしむ顔をみたくないから
今日も頑張って生きていられる
私が生きていられるのも
あなたがいるからだ
世の中の冷たい風も
二人でいると耐えていられる
旅に出かけようといいながら
なかなか旅に出かけられない
近所の川や森に出かけて
遠い旅から帰って来た気分で帰宅する
食卓に並ぶ品は少ないが
なんとか工夫してこしらえたおかずで
今日も楽しい夕餉を迎える
苦しくても二人でいられるから苦にならない
この世にはもっともっと不幸な人たちが一杯いる
一人で生きていたら
生まれてきたことを呪っただろう
お金では買えない心の贅沢
あなたの笑い顔をみたいから
耐えて生きていられる
あなたのかなしむ顔をみたくないから
今日も頑張って生きていられた
(二〇〇六年四月十八日)
「一人で生きてい」くことと「二人でいる」ことの違いを考えさせられます。「あなたの笑い顔をみたいから」、「今日も楽しい夕餉を迎え」たいから、「お金では買えない心の贅沢」があるから「耐えて生きていられる」という姿勢は実感なのでしょう。素直な表現に共感した作品です。
○詩誌『詩区 かつしか』86号 |
2006.10.22 東京都葛飾区 池澤秀和氏連絡先 非売品 |
<目次>
ダダの少女/しま・ようこ 1 光を与えてください/工藤憲治 2
食卓/工藤憲治 3 嫉妬/渡部早苗 4
われもまた・・・/池澤秀和 5 都会/青山晴江 6
まんじゅしゃげ/石川逸子 7 人間七十 老人の嘆き節/まつだひでお 8
人間七十一 秋/まつだひでお 9 深尾菊/小川哲史 10
汝自身を知れ/小林徳明 11 流れる/池沢京子 12
五霞(一〇)−どうぞ素顔のままで−/みゆき杏子 13
深尾菊/小川哲史
(あら咲いているわ)
(深尾菊ね)
わたしを見つけて
初老の女のひとが
軽い声を交わし合った
わたしは深尾菊と呼ばれ
この山里にしか咲くことのない自生の花
他の地に埴え替えられると枯れてしまう
この地はむかし
廣島懸深安郡廣瀬村深尾といったの
この地はいま
広島県福山市加茂町広瀬七丁目というわ
深尾という地名は
もう地図の上に見当たらない
どうしてこんなことになったのか
わたしはちっとも知らないけれど
生まれ育った故郷の名が消されるなんて
わたしはちょっぴり
寂しいうな嬉しいような心もち
深尾という土地の名は
わたしの名としてだけ残っているの
「深尾菊」の立場から、しかも女性・女声として優しく描かれていますが、内容はそう優しいものではありません。「どうしてこんなことになったのか」というフレーズから「生まれ育った故郷の名が消され」た者の憤りが伝わって来ます。しかし、それを「寂しいうな嬉しいような心もち」とするところに、この作者の本質的なやさしさがあるのでしょう。「廣島懸深安郡廣瀬村深尾」と「広島県福山市加茂町広瀬七丁目」の違いも明白で、ときの施政者によって勝手に変えられる日本語の哀しさも伝えている作品だと思いました。
(10月の部屋へ戻る)