きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.10.22 山梨県立美術館 |
2006.11.2(木)
夕方、鎌倉芸術館へ行って、劇団湘芸制作の「江ノ電物語」(極楽寺の巻)を観て来ました。その劇団に最近、先妻の娘が関与し始めたらしく、観に来てくれと連絡がありました。彼女は朝から裏方を務めていたようで、残念ながら逢えませんでしたけど。
物語は大正末期。関東大震災で破壊された江ノ電の路線を地元の棟梁・頭・親方などが復旧させるというもの。若い江ノ電社員と棟梁の娘(江ノ電社長秘書)との芽生え始めた恋もあって、それなりに見せ場はあったのですが全体的には淡々とした印象を受けました。なんで淡々としているのかと考えたら、登場人物が全員、善人なんですね。嫌な奴が一人もいないからどうしても際立つ性格が出てきません。演劇についてとやかく言えるほどの観劇経験も知識も持ち合わせていませんけど、小説を創るとしたら、と考えたらそんなことに気付きました。(極楽寺の巻)とありましたから続編があって、そこでは盛り上がるのかもしれませんが…。
観ていて、じゃあ、お前ならどうする?と自問しました。軽い喜劇仕立ても手かな、と思います。日本舞踊をやる場面で、役者さんがつい「さっき稽古でやったでしょ!」と言いそうになったところがあって、そのノリでやってもいいのかな、と。軽く舞台裏を見せて、軽く笑ってもらって、恋が成就しそうもない二人の悲劇と対比させる…。大衆演劇の常套手段なんでしょうけどね。関西とは違って、鎌倉という土地柄なのかもしれませんけど、上品過ぎるように思いました。観ている人も上品な人が多かったですから、演劇も上品でなければいけないのかも…。
ところで劇団湘芸は1984年に旗揚げして、毎年春・秋の公演を続けてきたそうですから、今年で22年目、44回目の公演だったようです。そのせいか役者さんの演技は立派でした。プロではないと思うのですが、年配の方は堂々としていて、若手はちょっと素人っぽい。その素人っぽいのが何とも言えない魅力でした。登場人物は全員善人ですけど、おそらく役者さんの地でやっているのでしょうね。
○季刊詩誌『新怪魚』101号 |
2006.10.1 和歌山県和歌山市 くりすたきじ氏方・新怪魚の会発行 500円 |
<目次>
上田 清(2)営為(田十五)
曽我部昭美(4)あかね雲
寺中ゆり(5)ランボーの詩(うた)
井本正彦(6)谷川の浅瀬で
岩城万里子(8)器
五十嵐節子(10)朝の鏡
石橋美紀(12)精霊流し
山田 博(14)所以
沙羅(15)朝からりリリィの・・・
佐々木佳容子(16)橋
水間敦隆(10)鳩
前河正子(20)白い蔓陀羅
くりすたきじ(22)河口の人
表紙イラスト/くりすたきじ
谷川の浅瀬で/井本正彦
こんな浅瀬が? と思うだろうが
水中眼鏡でのぞいてごらん
浅瀬の中は光の庭
びっくりするほど広くて
水も、石も、小魚も
みんなキラキラ輝いているよ
宝石みたいな赤い玉石が
水に圧されて
ぶるぶる震えているだろう
その脇からチョロリと顔を出したのが
カワゲラだよ
顔を水に漬けたら、すぐ自の下が水底
そんなちいさな浅瀬だけど
光と、水と、生きものたちの小宇宙
魚たちも、案外たくさんいるだろう?
明るくて、平和で、酸素たっぷりのここが
みんな大好きなんだ
水から顔を上げると
山はわんわん蝉時雨
大方は油蝉だが、ほら
耳を澄ませてごらん
つくつく法師が鳴いているだろう
あれがね
秋の知らせなのさ
八月なのに、もう?
そうさ、山の秋は早いんだよ
もう40年も前の小学生・中学生の頃の川遊びを思い出してしまいました。確かに「浅瀬の中は光の庭」で、「びっくりするほど広く」いんですね。その頃はそれが当り前と思っていましたけど、このフレーズに出会って、改めてそうだったんだなと思い返しています。
「宝石みたいな赤い玉石が/水に圧されて/ぶるぶる震えている」というフレーズも佳いですね。これは実際に見た人でなければ書けないでしょう。最終連も「山の秋」についてよく知っていると思います。懐かしい風景に心が洗われるような思いをした作品です。
○越一人氏詩集『朝顔に』 |
2006.10.30 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2500円+税 |
<目次> 装画 森田直子
T
朝顔に 10
U
鏡 20 青い馬 22
玄関先で 24 点眼 27
今日もまた 30 視力検査 34
長野佐久病院にて 36
V
破れた薬袋 44 耳鳴り 47
病室にて−一九九八年五月六日− 50 歯を抜いて 53
リハ科にて−98・秋− 56 咳型喘息 60
アモバン 63
W
クロッカスが咲いた 68 春 70
春の輝き 72 口紅水仙 75
タンポポ 77 さくら草 80
父の花 83 指を組んで 86
ジャーマンアイリス 88 遠く 92
コスモス 94 花 ピエロ 96
イヌサフラン 100 岩鏡 103
X
春よ来い 106 また一つ冬を越えて 109
立春 二〇〇五年 111 タケオさんの鳥が鳴いた 115
春の記憶 118 某日 123
蝉 127 雨の合い間に 130
梅雨あけ 134 九月六日の詩(うた) 138
秋の入り口で 141 おりてきた秋 144
一本の木 147 秋深む 149
黒い背広を求めて 151 秋−小さい風がいく林にきて− 154
冬、深む 156 新年おめでとう 159
霜の朝 162 雪がふっている 164
雪 166 雪の虹 168
みんな詩人だ 169 福豆 172
ウグイスが鳴いている 176 また 雪がちらついてきた 178
ピエロがやってきた 181
Y
想い出 186 パッチワークする娘 188
風のやんだ朝 191 元気にて候 192
遠い日の歌 196 今年はじめて布団を干した日 199
無題 202 笹だんご 204
大雨洪水警報 207 草取り 211
解説 病みついで六十年日の朝顔 森田 進 213
あとがき 220
朝顔に
どれほど支柱に立ちのぼったか
陽当りのよくない庭の自然生えの朝顔
庭にきた摺り足につる草がひっかかり
思わず朝顔の支柱をつかんだ
朝顔はつかんだ手の先に伸びていた
足をひっかけたつる草を手にした
つる草は朝顔だ
思いもしないところで生えた
これも自然生えの朝顔だ
地を這いどこか絡みつき
立ちのぼつていくものがないか
縄のように涙じりあい
朝顔は行(ゆ)き場を求めて
互いに先端を反りあげていた
どこかで靄やっているのか
なんとなく湿っぽい朝の庭にほごした朝顔の先端を
私は 支柱に巻きつき立ち上った朝顔の
大きくなった葉を付けた茎につけた
庭のふちに伸びた草を刈りとり束ね
それを地を這っていた朝顔の行き場にはずれないための添え木代わりに置いた
これで明日から地を這うことはない
大丈夫だ
そう思ったとき
私は不思議な穏やかさを感じた
蹲んだままの姿勢をゆっくり伸ばしながら
行き場
行き場という
行き場を反芻しながら
私は先日のテレビニュースのことを思った
平成十七年六月二十七日
天皇 皇后両陛下
太平洋激戦地サイパン島にゆかれた
戦後六十年目の初めてのサイパン慰霊の旅だ
「ここが 天皇陛下バンザイ と叫んで
飛びこんでいった崖です」
説明をお受けになっておられる陛下の背景に
ぼやける目の視界に
黒く凸凹した海岸線があった
思わず胸元を突きあげてくる衝撃に
私はうろおぼえの
石垣りんさんの「崖」という詩を口ずさんでいた
「行(ゆ)き場のない行き場所
崖はいつも女をまっ逆さまにする
それがね
まだ一人(ひとり)も海にとどかないのだ
十五年もたつというのに……」
というサイパン島の詩(うた)だ
昭和十九年六月十五日
アメリカ軍が上陸したという
激しい戦いに追いつめられ
行き場のない行き場所に飛びこんでいった
丸くなって落ちていく
そこに縋ろうと手をいっぱいにのばしている
丸くなって先に落ちていくものより
手をいっぱいのばしたその背が白く光っている
アメリカ軍の報道写真が撮った
崖から飛びこんだ母と子だ
白黒(ものくろ)のニュース映画にあった一(ひと)コマ
いつ見たのか
私の記憶の幻影か
止まった時間に遊泳している二つの白い影
覆いかぶさる
止まった時間の行き場のない行き場所
がらがらと走っていく電車
私が乗っているはずなのに
ぼんやりとその電車を見ていた
私の行き場所の切符を売ってくれなかった草軽電鉄
「家(うち)に戻ろうか」
父が呼びもどした声に
私は自分を見た
「歩いてでもいく」
咄嗟に出た言葉に私は乗車を断わられたその電車路づたいに
止まった時間を刻む音に向かった
雨に叩かれ
駈けつけてきた雨合羽に脅かされ
熊笹で囲った小屋にもぐりこんだ
その小屋の側を
ごとごと音きしませ電車が通った
歩く
ただそのことだけが何も言わず正確に行き場のない行き場所へと刻む
「ここが終点の草津駅だ」
兄は私の肩をだきよせ指差して教えてくれた
一日晴れ上った陽は家並みを半分薄暗くしていた
歩かねばならなかった私の病気
晴れた日に助けられ
山中(さんちゅう)にまた一晩過ごすことなく辿り着いた
門柱に暮れようとする陽が注ぎ
粟生(くりゅう)楽泉園の文字が半分陽を受けていた
昭和二十年六月
大きな門のところに門番が立っていた
私は初めて自分が病んでいる病名を知った
「ライ」という病名のそこにあった
そのことごとにかさなることを
親も兄姉(きょうだい)も何一つ話してくれなかった苦しみ 切なさ
雲の流れにみつめている
私の原風景に折り重なる
バンザイクリフというあの崖
氷点下十度をも割りこむ凍土
陽当りのよくない庭の一隅に芽ぶいた自然生えの朝顔
互いに絡みあい
立ち上がり
繁り
盛りあがり
生と死の狭間をさわやかに
花は 咲く
朝(あした) また
その花をさわりにゆく
粟生(ここ)に病みついで六十年目になる
私の夏
75歳になった著者の12年ぶりの第4詩集だそうです。紹介した詩はタイトルポエムで、かつ巻頭作品です。これだけで章立てしているほどの長い作品ですが、この詩集の性格を端的に現しているとも云えるでしょう。作品でもお判りのように、著者はハンセン病患者として「昭和二十年六月」以来「六十年」を群馬県草津の「粟生楽泉園」で過ごしています。
「自然生えの朝顔」と「天皇 皇后両陛下」の「戦後六十年目の初めてのサイパン慰霊の旅」が「行き場のない行き場所」という詩語で見事に結びついた作品だと思います。「私の行き場所の切符を売ってくれなかった草軽電鉄」、「歩かねばならなかった私の病気」というフレーズには思わず胸が熱くなるのを感じました。「その花をさわりにゆく」のは著者の視力が現在、著しく低下してのこと。TVも画面にほとんど眼を着けるようにして見る、と他の作品にはありました。
現在、ハンセン病患者の名誉は回復していますが、それで病気が快復したわけではありません。ハンセン病文学の一画を成す詩は、今でも盛んに書かれています。その中でも群を抜く詩集だと思います。ぜひご一読ください。
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