きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.10.22 山梨県立美術館 |
2006.11.10(金)
午後から小田原市民会館で「文芸のつどい」が開かれました。私も所属する「西さがみ文芸愛好会」と、地元の日刊紙「神静民報社」の共催です。昨日私の手元にも届いた、神静民報社発行の「文苑西さがみ2004-2005」執筆者が対象で、40名ほどが集まりました。
写真はアトラクションの「朗読とハープ演奏」でハープを弾いてくれた横浜栄ハープアンサンブル会員の女性です。朗読とハープの組み合わせというのは初めて聴いたと思うのでしたが、佳いものですね。ハープの音色は肉声を引き立ててくれるようです。
その他、スピーチがあって、会は2時間ほどで終了になりました。その後は二次会、三次会と流れて、だいぶ酩酊しました。しかし帰宅は21時頃。何度か書いてますけど、地元でのイベントは楽です。都内だったら〇時近くになっていたでしょうね。だからという訳ではありませんが、やっぱり地元は大事にしようと思っています。
○会報『「詩人の輪」通信』14号 |
2006.11.7 東京都豊島区 九条の会・詩人の輪事務局発行 非売品 |
<目次>
わかるように楽しく学べる場を――教基法改悪は改憲への一里塚/小森香子 1
アーサー・ビナードさんの講演/Y・K 2
詩 青い炎/磐城葦彦 2
詩 秋になって/榎本愛子 3
詩 いのち削れ/日下新介
「九条の会」憲法セミナーのお知らせ 4
「九条の会・詩人の輪」結成2周年記念メッセージ集に原稿を 4
秋になって/榎本愛子
桃栗三年柿八年
そんな言葉を思い出す秋が来た
やおやの店先には 淡い緑のぶどう
濃い紫のぶどうが つぶらな瞳のように
私をみつめている
やわらかな日ざしよ 午後のひととき
桃も栗も三年たったら実るというのに
遠い地の果ての子ども達は
戦火に焼かれ足がもげてしまった
もげてしまった足は もうはえてこない
目がぱっちり可愛いい少年よ
少年の足よ 桃や栗のようにみずみずしく
なってほしいのに
かの国の少年達に平和がほしい。
「桃栗」という身近な果物と「遠い地の果ての子ども達」を重ね合わせたのが良いと思います。「桃も栗も三年たったら実るというのに」「もげてしまった足は もうはえてこない」、このフレーズは自然の足元にも及ばない人間の浅はかさを如実に述べているところでしょう。短詩ですが鋭い作品だと思いました。
○詩とエッセイ『軸』87号 |
2006.11.10 大阪府浪速区 佐相憲一氏方事務局・大阪詩人会議発行 500円 |
<目次>
詩
逃げる いしだひでこ 1 おほさか暮色−むかで 玉置恭介 2
遺伝子 もりたひらく 3 戦艦大和 脇 彬樹 4
思い出は 木村勝美 5
新会員作品 絶望者の結末 中井多賀宏 6
特別連帯出演 バイクで走るときは 坂田トヨ子 7
エッセイ ヒロシマ・遺言ノート(4) 原 圭治 9
詩
何故死ぬのでしょうか 清沢桂太郎 16 三/鳩の湖 幽間無夢 16
カカオの実を取る子ども達 迫田智代 17 永遠の旅人 竹島 修 17
なぜか雨 松本千鶴子 18 いつまでも 松本千鶴子 19
エッセイ ひらめきの白雪姫/藤本数博 20
詩
夏の午後/アブストラクトの生き物たち 和比古 22
雨/張晶(ヂャンジン)へ 畑中暁来雄 23 ひそひそばなし みくもさちこ 24
きのう 椛島恭子 25
エッセイ 斧とかみそり 山本しげひろ 26
詩
いとしのビート おれんじゆう 29 憧れのあなたへ 臼杵かぼす 30
ワタシはなぜあれ以来参拝しないのか しかやまぶん 32
文化喫茶・結(ゆい) やまそみつお 33 歌謡ラジオドラマ/こっちはこっちあっちはあっち 必守行男 34
手を使うということ(改稿) 清沢桂太郎 35
エッセイ 文学と歴史の道で(2) 佐相憲一36
詩
黒子(ほくろ) 佐古祐二 40 わが臣民 よく忠によく孝に(一) 浅田斗四路 41
ささやき 瀬野とし 42 今日もバラバラ殺人 佐相憲一 43
受贈詩誌等紹介 受贈詩誌・詩集等 44
お知らせ 軸88号原稿募集・カンパ大募集 46
編集後記
表紙絵 山中たけし
逃げる/いしだひでこ
夢から
なかなか覚めない
荒れ地を歩いている
いや逃げている
何からかわからない
だがその怪物は
逃げても逃げても
どこまでも追いかけてくる
欲しいというから
イヤリングもネックレスも
少しばかりのお金も渡した
好きな本と好きな音楽のある
空に向かって大きく深呼吸できる
静かな暮らしが望みだ
マフラーも欲しいならやろう帽子も
追いかけてくるな
だが
うしろから追いすがって言う
私そのものを差し出せ、と
鎖つきの靴をはかされ
心まで欲しいなどと
生きながら死んでくれということだ
パンの半分を差し出したら
残りの半分もよこせという
だから銃口を向けた
夢のままか
醒めない夢に入り込んだのか
荒れ地にいるのが現実なのか
空を飛ぼうとして切り裂かれた死体
は私だ
「夢」の話ですが妙に現実感のある作品です。「欲しいというから/イヤリングもネックレスも/少しばかりのお金も渡した」し、「マフラーも欲しいならやろう帽子も」やろうと言うのに、その上「私そのものを差し出せ、と」言う。それは「生きながら死んでくれということ」で、さらに「パンの半分を差し出したら/残りの半分もよこせという」のですから、「だから銃口を向け」るのは当り前ですね。「好きな本と好きな音楽のある/空に向かって大きく深呼吸できる/静かな暮らしが望み」なのに、それすら奪おうとするもの。最期には「私」を「空を飛ぼうとして切り裂かれた死体」にしてしまう「その怪物」とは? 資本主義という怪物を上手く表現した作品だと思いました。
○個人詩誌『if』13号 |
2006.12.1 広島県呉市 ちょびっと倶楽部・大澤都氏発行 非売品 |
<目次>
(プロローグ)りんご 1 破片 2
わざとさんとエプロンさん 3 インターネット 6
贈り物 7 郵便物 9
〈短文に挑戦〉私の詩作 11 ちょびつれづれ 13
ifつれづれ 14
わざとさんとエプロンさん
わざとさんとエプロンさんは毎夕土手を歩く。犬の散歩でいつも会う。
わざとさんは徹底した気分屋さんだ。極々普通の近所の知り合いのおばさんだ。すれ違いに挨拶するのに私は緊張する。声をかけて返事があるかないか見当がつかない。
自転車をこぐのに必死の様子のふりをして無視されることもある。私が見えているのに正面を向いたまま歩いていく。
挨拶をすると何かへつられると思っているのだろうか。
気分がよいときはにこやかに昔飼っていた犬のことを話す。
町の名士のMさんには挨拶を出し惜しみしないだろう。母と一緒だったら返事をしてくれるだろう。
エプロンさんはたいていエプロンをかけている。首からかけるタイプもあれば、腰巻タイプのこともある。それで家まわりを片づけたり裏の畑の世話をする。窓ふきは豪快にホースで水をかける。布団干しも大好きで窓枠、塀の上に布団も座布団もたびたび干す。
夕食の支度をすませてからだろう。二人は待ち合わせて散歩をする。二人とも話に夢中だ。身振り手振りをまじえて、いつもどちらかが何かを話している。
わざとさんはズボンを履き、エプロンさんはスカートで足元は運動靴という姿で土手を一周して帰っていく。もちろんエプロンかけて。
毎日何を話すことがあるのだろう。
話してもはなしても、言い尽くせないことが二人にはあふれてくるのだろうか。
わざとさんは私と犬のそばを過ぎるとき斜め下を向いている。わざとさんよりちょっと気の弱いエプロンさんは私の挨拶に首を傾ける。
私はしゃがんで橋の欄干にもたれ、犬をぎゅっと抱きしめる。そして私が悪いんじゃないと念ずるのだ。
※ へつられる
(例)ごはん多いけんへつって
それへつってちょっと頂戴
おもしろいタイトルの作品です。二人とも「極々普通の近所の知り合いのおばさん」という設定ですが、ネーミングも良いし、二人の人間性が良く出ていると思います。「そして私が悪いんじゃないと念ずるのだ。」という詩語は「私」と二人を対比させていることになって、この効果もおもしろいと思いました。「へつられる」は減らすという意味でしょうか。おそらく作者が在住している広島県呉市地方の言葉でしょうが、これにも味を感じました。
なお、原文は40字で足切りしてありますが、HTMLでの読みやすさを考慮して、ベタで改行してあります。ご了承ください。
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