きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.10.22 山梨県立美術館 |
2006.11.13(月)
念願のキャスター付きTV台が完成しました。幅900mm、高さ350mm、奥行300mmでコーナーカット。たったこれだけの仕様ですが、探すと無いものです。結局、自作するしかないという結論に至りました。
完成品はこんな形です。材料費は5,000円ほどで済みましたけど、電動丸ノコを買ったりしましたから単価は30,000円ぐらいになったかなぁ。でも使い勝手は抜群です。特に高さには拘りました。ソファーに座って自然な眼の位置の先に画面があること。視線が上過ぎたり下過ぎたりするのは宜しくない、と感じていました。これでストレスなくTVが観られることになりました。でも、一日に1時間ぐらいしか観ないから、投資対効果を考えると無駄だったかな? ま、ボケ防止DIYの手始めということにしておきましょう。
○詩とエッセイ『橋』119号 |
2006.11.10 栃木県宇都宮市 橋の会・野澤俊雄氏発行 700円 |
<目次>
作品T
◇記憶 瀧 葉子 4 ◇白露のころに 酒井 厚 6
◇いのち三篇 簑和田初江 8 ◇蒲公英 大木てるよ 10
◇友の死 和田 清 12 ◇ジャミーが逝った 若色昌幸 14
◇夏の匂いが一面に漂いはじめる 江連やす子 16
◇ゴールの風 國井世津子 18 ◇時・他 都留さちこ 20
石魚放言
雪囲い 瀧 葉子 22 仙波川 簑和田初江 23
評論
志を持って地道に誠実に生きる −山本周五郎の言葉から 宇賀神 忍 24
作品U
◇故郷・他 高島小夜子 28 ◇忘れ物 斎藤さち子 30
◇見事な旅立ち 相馬梅子 32 ◇白い波と青い波 冨澤宏子 34
◇かたち 草薙 定 36 ◇立つ そのあいか 38
◇ズレ 山形照美 40 ◇拭く 戸井みちお 42
◇夜の対話 野澤俊雄 44
書評 野澤俊雄
◇山佐木進詩集『ひぐらし三重奏』 46 ◇向井千代子詩集『白木蓮』 46
◇飛田紀子全詩集『盛装』 47 ◇若林克典詩集『桜庭』 47
橋短信 風声 野澤俊雄 48
受贈本・詩誌一覧 49
編集後記 50
題字 中津原範之 カット 瀧 葉子
拭く/戸井みちお
昔 口を拭くのはナプキン。
拭いたあとが染みになり
みれば 昨日の染みまで残っている。
みてみなさい
これも これも
あなたが汚した染みです。
子どもたちは
捨て去ることのできない染みと向き合って
大きくなっていった。
今 口を拭くのはティッシュ。
そらそら
そんなによごして
その口をふきなさい。
お母さんはティッシュを箱からぬきとって渡す。
もっときれいにふいて
そら そのこぼしたのもふいて。
そうして子どもたちは
口を拭うことをおしえられ
拭いたティッシュは屑かごへ ポイ。
投げ込まれ
あとかたもなく
汚れは消されていく。
そしらぬ顔して
きれい さっぱり
咎のおそれもいっしょに。
「拭く」という行為に使われてきた「ナプキン」と「ティッシュ」。見過ごされがちなそんな日用品でさえ、「昔」は「捨て去ることのできない染みと向き合って/大きくなっていった」と見、「今」は「口を拭うことをおしえられ」るが「拭いたティッシュは屑かごへ ポイ。」も教えられる。しかも「そしらぬ顔して/きれい さっぱり/咎のおそれもいっしょに」捨ててしまう。この差は何だろうね、この差は大きいよね、と作者は訴えているように思います。何気ないところにも鋭い視線を向ける詩人の感性に敬服した作品です。
○季刊個人詩誌『天山牧歌』73号 |
2006.11.10 北九州市八幡西区 天山牧歌社・秋吉久紀夫氏発行 非売品 |
<目次>
小さな島…(イラン)ハーフェイツ・ムサウェイ 秋吉久紀夫重訳・Pl
イランの歴史と詩(1) 秋吉久紀夫・P2
(内容)1,イランという国は
2,古代イランと詩
3,中世イランと詩
賛美…(中国)王家新(ワンヂアシン) 秋吉久紀夫訳・P19
石榴(ざくろ)のつぶやき…秋吉久紀夫・P20
特攻花…稲田美穂・P21
受贈書誌・P22
海外文学情報・P23
身辺往来・P23
編集後記・P23
石榴(ざくろ)のつぶやき/秋吉久紀夫
ブロック塀を越えた隣の庭に、
紅い大きな石榴の果実がぶら下がり
棘のある枝と葉のあいだから、
ちらりちらりと顔を覗かせながら
しきりに何かつぶやいている。
じっと見詰めるあの開けた唇から、
甘酸っぱい果汁がいまにも滴りそう。
わたしは彼女ととっても仲良しだった。
故里の裏庭で彼女の瘤だらけの樹幹に
攀じ登りその汁液を貪っていたから。
彼女みたいなけったいな果樹は、
なかなか容易には探し出せない、
まして石榴というその名前からして。
そこで彼女の名の由来を手繰ってみると、
なんと中国語の「安石榴(アンシリュウ)」に辿り着いた。
生まれはシルクロードの西、
古代イランの安息国(アンシーこく)で榴とは樹幹の瘤(こぶ)のこと。
昔々彼女の祖先はイラクとの国境地帯に
南北に鬱蒼と連なるザグロス山脈の麓から、
駱駝の背に揺られ遙々やって来たのだ。
それにしても、一目で分かる
彼女の塞いだ表情はどうしてなのだろう、
わたしには想えてならない。
いまや忘却の彼方であるはずの原籍地から
立上る戦火の兆(きざし)を嗅ぎつけたのでは。
(2006・11・7)
今号から「イランの歴史と詩」が始まりました。目次でもお判りのように「イランという国は」「古代イランと詩」「中世イランと詩」という内容です。イランと言えば『ルバイヤート』で有名なオマル・ハイヤームですが、当然載っています。他に多くの詩人が紹介されていて、なかでも酒の詩人アブ・ヌワスは魅力的です。
紹介した詩は「古代イランの安息国」に想を得ている作品だろうと思います。「イランの歴史と詩」を読み終わったあとにこの詩を読むことになり、一続きの作品という印象で拝読しました。時代と場所を越えた「石榴」に詩の永遠性を感じ、それが「立上る戦火の兆」に結びつくところに作者の批評性を見出します。日常に埋没した詩が多いなかで、屹立した作品だと思いました。
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