きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.10.22 山梨県立美術館




2006.11.14(火)


 特記事項なし。終日いただいた本を読んで過ごしました。



文芸同人誌『青灯』58号
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2006.11.1 名古屋市千種区
亀沢深雪氏方・青灯の会発行 600円

<目次>
●フィクション・ノン・フィクション
昭物語(完)…阿部堅磐…1          八月に想う…亀沢深雪…6
スリランカと私(2)…溝口弘子…9
●詩・俳句
ちょっといいことが…森島信子…14      性愛のエチカ…尾関忠雄…16
俳句・十題…三浦利博…18
●エッセイ
善光寺まいり…岩見治郎…19         農場で考えたこと(15)…沢田明道…21
子供の戦後史(18)…西本 伸…24
コラム1…8                コラム2…13
○青灯の会規杓…20             ○同人住所録…36
○編集後記…37



 影とともに/相田 昭

夜への帰り道欲しさに
外へ 外へ
飽かず脱げ出ていった私……
なさけ容赦なく
ひっペがされていった
朝ごとの日めくりの音に
あてなどがあっただろうか

巡り逢った何人かの人達と
知り得たことどもと
何をいったい
私は見聞きしたというのだろう
愛 その雪片が
青白い風の中で
まだ
揺れているのだろうか

いきなり
さあ 生きなさい!
生きてみろ!
と 投げこまれた世界
この私にどんな準備ができたというのだ
通りすぎてきた
はたとせに余る年月

それをたとえ
不安と呼ぶにしても
心に残された
時の爪跡や
生きる痛みを悲しんで
〈ああ あんなにも
 もろく
 すべてが移ろいゆくとは〉
などとつぶやくかわりに
自分への言葉を
想い起こしてみよう
ほどなく私の身にも
もたらされるであろう
春の日のためにも

そして
恋い慕う人のように
すべてが美しかったのだと微笑みながら
何時なく
私が振り向く時
いつも異様な沈黙を守って
訪れて来る影がある
どんなに力んでみても
それこそ一生涯かかったところで
なにを私ごときものに
組み伏せられぬ相手であれば
しみじみとさえ
見つめよう
不思議な影
      
かいらいし
来し方知らぬ傀儡師

 阿部堅磐氏による「昭物語」は今回が最終でした。紹介した作品は作中詩で、同人誌に載せられたという想定になっていますが「相田 昭」は阿部堅磐氏と見なして良いでしょう。4年間の大学生活を振り返って、人間の運命について考えていた、という設定になっています。作中詩ではありますが、おそらく実際に大学卒業間際に書かれたものでしょう。その後の実生活の中で何度も訪れたであろう「不思議な影」を察知するところに詩人としての感性を感じます。「飽かず脱げ出ていった私」などの詩句も佳いですね。このように作中詩として遣う方法もあるのだと感心した作品です。



木津川昭夫氏詩集『曠野』
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2006.11.15 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊 2200円+税

<目次>
 T
曠野 8       雪豹 ――Snow Leopard 12
父性の夢 16     天道虫 20
闇の思想 24     暗い誕生日 28
冬の桜 32
 U
雪 36        鞄 40
ミシン屋(1) 44   ミシン屋(2) 48
ミシン屋(3) 52   扇とは 56
桜とむささび 60   イースターエッグを配る日 64
 V
八月十五日の灯り 68 風邪 72
黄金の梨 76     山塊の歌 80
さくらんぼ 84    二月の雪 88
湯ケ島の蠅 92
著者の既刊詩集 98  あとがき 100



 曠野

日本のなかで北海道の風景ほど
曠野という言葉を想い出させる処はない
その寒冷な曠野の川に
バプテスマのヨハネのような洗礼者が棲み
世直しの警句を吐いてくれたらと思うのだが
それは私の自分勝手な妄想でしかないだろう
札幌市厚別区大谷地に姉夫婦が住む
そこは小高い丘の上にあるマンションで
その側を通る広い道路は大変風の強い処である
普通風は北風であれ 南風であれ
ある一点を吹き過ぎてゆくのだが
そこの丘の上の風はなぜか四方から集まってきて荒れ狂い
雨の日などあっという間に傘を攫ってゆく

私が「大魚に呑まれたヨナ」のことなど考えながら
姉夫婦を訪れたのは暑い夏の盛りだった
その辺りには七竈
(ななかまど)の街路樹が青い実をつけ
秋になったら朱色の顆粒が瓔珞のように美しかろうと思われた
だが義兄
(あに)は「ここはよく竈を返す人がいてね」と笑う

北海道の家には塀がなくても泥棒は滅多に入らない
私の眼にはいまの風景と昔の風景が二重写しになって見える
高速道路のコンクリートの上に
うっすらと白い花の咲く野の道が見えてくる
私は他人の屋敷をひそかに横切り
収穫近い秋の唐黍畑を渡る野分を開きながら
真直ぐにまっすぐに歩いて
故里の山ピンネシリの頂上まで行ってみたいと思うことがある

大地の果ての曠野には屈折しない心がある
むかし 六月の札幌祭りの日に
サーカス小屋の象が何頭か逃げ出した
かれらはきっと真直ぐにまっすぐにサバンナを目指したのだろう
バナナの叩き売りの小屋を踏みつぶし
術の家々の玄関を掠め ポリス・ボックスを脅かし
かれらは真直ぐにまっすぐに通過して行った
かれらの野性は素晴らしかったと思う
北海道ほど曠野という言葉が適切な処はない

   *「竈を返す」破産するという北海道の方言

 著者の第15詩集です。V章に分かれた内容は「T章には比較的前衛的な作品を、U章には庶民性のある寓話的な作品を、V章は故里の気候風土や、敬愛する詩人日塔聰の追悼詩」(あとがき)となっています。
 ここではタイトルポエムであり、かつ巻頭詩の「曠野」を紹介してみました。私も北海道生まれで、住んでいた期間は短かったものの「日本のなかで北海道の風景ほど/曠野という言葉を想い出させる処はない」と思います。それは「大地の果ての曠野には屈折しない心がある」というフレーズに集約されていますが、一種の信仰めいた感覚に近いようにも思います。さらに「その寒冷な曠野の川に/バプテスマのヨハネのような洗礼者が棲み/世直しの警句を吐いてくれたらと思う」のは、ひとり、著者の「自分勝手な妄想でしかない」のではありません。おそらく道産子の誰もが感じていることでしょう。そんなことを思いながら拝読した詩集です。



こたきこなみ氏詩集『夢化け』
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2006.10.10 東京都東村山市
書肆青樹社刊 2400円+税

<目次>
 T
奔馬 10                  夢化け 14
怪しい関係 20               悪食考 26
魔法の国 32                裏窓の奥 38
花の生涯 44                飢霊 48
夏化粧  52                つかのま ここを抜けて 56
 U
あとは知らない 62             UFOご一行様地球劇場へ 66
人さえ亡べばそれで済む 68         フェイド・アウト 72
雲の橋 76                 叫ぶ空 80
孤灯 84                  ミーアキャットの一群が 88
調香師よ 92                秋の夜 地球の回転の音を 96
覚え書 100                 初出一覧 102



 夢化け

  1

アパートの一室でこっそり猫を飼っている
獣医学校のケージに幼時から閉じ込められていたのを
明日処分と聞いて内緒でもらって来たのだった
あるとき帰って来ると 猫がいない
閉めたはずの窓が猫の幅ほど開いている
あわてて外をのぞくと何としたこと
あたりは大きな河で すれすれに水が迫り
窓の下に大きな魚がいっぴき跳ねているのだ
飼っている三毛猫とそっくりの三色模様
真新しげな鱗が光る
とうとうやったか 化け猫というがこんな手があったか
いつも隙を見ては外へ出たがった
可哀そうだがペット禁制だし 外の危険も知らぬ箱入り猫
かくまっていたつもりだ
その魚はこちらを見て 二、三度跳ね ゆうゆう泳ぎ去った
命の恩人だなんて猫の知ったことではないのだ
ともあれ ふしぎな野生の底力に感じ入った
そんな夢からさめると猫は猫のままの丸い寝姿である
自らの野生も知らず一生を終わるのだろうか
猫語もわからぬ人間に囲われて……
人の思いどおりにならなくてよいのだ 猫よ
口が利けない生き物の特権である

 タイトルポエムの「夢化け」を紹介してみましたが、これは1から3まである連作です。その内の1の最終はご覧のように「口が利けない生き物の特権である」で終わっています。これは巻頭の「奔馬」にも出てくる詩語で、この詩集の重要なテーマの一つと云えましょう。紹介した作品は夢の中でのことという設定になっていますけど、「人の思いどおりにならなくてよいのだ 猫よ」という呼びかけは、実は人間に対しての呼びかけとも採れます。「化け猫」にもなり得ない人間の浅はかさが告発されている詩集だとも思います。決して強い調子ではなく、対象は「奔馬」であったり「猫」であったりしますが、その奥に人間を見る好詩集です。



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