きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.10.22 山梨県立美術館




2006.11.15(水)


 日本詩人クラブの電子名簿に会費納入状況を記録するという作業を始めました。将来的には宛名シールに会費納入状況を記載するという方向を考えています。いつまで収めてあるか忘れる人が多いですからね。かく言う私も五つの団体に所属していて、忘れてしまうことがあります。個人個人で責任を持って、自分の納入状況ぐらい把握しておくこと! という意見もあり、ごもっともだと私も思います。しかし簡便な方法で、例えば宛名シールに記載してあれば年に何度かに確認できるわけで、それも組織運営者のサービスかなとも考えています。多少のハードルがありますから確約はいたしませんが、早い時期に会員・会友の皆様の利便性を高める方向で進めたいと思っている次第です。



詩誌『ササヤンカの村』15便
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2005.1 宮城県栗原郡栗駒町
ササヤンカ出版局・佐々木洋一氏発行 100円

==カイコの自画像==
<目次>
○「ササヤンカの村」のカイコ
(1)カイコT     (2)カイコU
(3)カイコの自画像  (4)カイコの自我



 カイコT

わたしの首にくるくる巻いている

時々それをきつく絞めたり ゆるめたり

だが意志とは裏腹に
わたしの首のくるくる糸はきつく絞まったまま
あまりの苦しさにもがいては
さらに苦しくなったりする

ある日ぴーんと張りつめた糸が一気にゆるみ
ついには糸の用をなさなくなることもある

わたしの首に糸をぐるぐる巻いている

首の上の重さを思うばかり
この際一気におとしめてしまおうと思ったりする

わたしの首に巻きついた糸を
耳たぶに絡みあげ
こすれる糸の震えを感じてもいる

わたしは飛びたてない

わたしの首に一括りの糸をくるくる巻きながら
カイコのような原型に戻ろうとする

 冒頭の「『ササヤンカの村』のカイコ」では「カイコ(己れ)」と規定されていました。その意識で「カイコ」の4編を読むと、「ひたすら一篇の美しい言葉を吐きたい」(同上)という思いが伝わってきます。ここでは最初の「カイコT」を紹介してみましたが、「わたしの首にくるくる巻いている」のは蚕の糸であり、自分自身の束縛であることが読み取れます。「わたしの首に一括りの糸をくるくる巻きながら/カイコのような原型に戻ろうとする」のは子宮回帰とも云えましょう。現在では蚕を書ける詩人は少なくなったでしょうから、その意味でも貴重な作品だと思いました。



詩誌『ササヤンカの村』16便
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2005.5 宮城県栗原市
ササヤンカ出版局・佐々木洋一氏発行 100円

==群青色の詩へ==
<目次>
○最近の「ササヤンカの村」
(1)しおり      (2)群青色の男
(3)魔        (4)花愛
(5)寄りかからず よりかかり



 しおり

破りすててと言って
破れず すてれず
そのうちすっかり忘れ
ふとあらわれたかたち
もうすでに過去のことなのだからと
放りすててと言って
放れず すてきれず
何の
しこりなのか
執着というのに似つかわしく
だから  
しま
何と言って終いこもう
わたしのしおりとでも言おうか
まだ結末がすんでいない推理小説に はさむ
終いこんでしまったらと思うが
まだひっかかっている
何の
ためらいなのか
指先でちょんと奥の方に押し込んで

 「しおり」に「ためらい」を絡ませた佳品だと思います。特に最後の「指先でちょんと奥の方に押し込んで」というフレーズが良いですね。確かに栞はちょっと出して使う方が使いやすいのですが、読み終わった本を書棚に仕舞うときは邪魔になって「指先でちょんと奥の方に押し込んで」みます。しかし、これが意外と抵抗して「まだひっかかってい」たりして苛々させるものです。そこを上手く遣った作品と云えましょう。



詩誌『ササヤンカの村』17便
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2005.10 宮城県栗原市
ササヤンカ出版局・佐々木洋一氏発行 100円

==詩、とき、とき、とき==
<目次>
○「ササヤンカの村」の安穏
(1)恋路       (2)遠き とき
(3)わだちのわだち  (4)わたしの、
(5)キナクササ



 キナクササ

耳よりなハナシをきいた

ハナマガリのハナが曲ったのは
この世がいたく臭うせいだ

この世のイブリクササ
この地のヘヒリクササ

鼻よりなハナシをきいた

耳がうなだれたのは
この世がそうぞうしすぎるせいだ

この世の阿鼻叫喚
この地の悪口雑言

そして何よりも耳朶の無関心
耳垢のそばなのに

きいた
きこえた

それなのにヘソにも据えず
何事もないかのように

馬耳東風
事実何事もなく

鼻の頭を掻き掻き掻き
耳朶をさすりさすりさすり

きこえない
この世のキナクササ

 「ハナマガリのハナが曲」り、「耳がうなだれ」、「耳朶の無関心」となる「この世がそうぞうし」さ。しかし「この世のキナクササ」は「きこえない」。あまりにも「この世の阿鼻叫喚」が強烈すぎて閾値が上昇し過ぎたためかもしれません。そんな中でも詩人は「鼻の頭を掻き掻き掻き/耳朶をさすりさすりさすり」「この世のイブリクササ/この地のヘヒリクササ」を嗅ぎ取るべきなのでしょう。そういうことをこの作品は訴えているように思いました。



詩誌『方』132号
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2006.11.15 仙台市若林区
今入惇氏編集・「方」の会発行 500円

<目次>
時評 五十年という永遠…柏木勇一…表紙裏
寄稿
詩 歌の矢の…内川吉男…2
散文
「用の美」と「無用の用」…内海康也…4     方言詩−風土からの声…小坂太郎…5
村野四郎氏との邂逅と詩篇「眼」…前原正治…6 二通の書簡…菊地勝彦…7
今でも愛されている女優・園井恵子…原田勇男8 「それぞれの東北」の詩人たちのつどい…若松丈太郎…9
『方』の青年前期と私(断想)…尾花仙朔…10  黒い表紙に白文字の「方」…高橋次夫…11
「方」草創の頃…吉田秀三…12         「方」その半世紀の歩み…13

ただそれだけのこと…柏木勇一…14      移ろう…高澤喜一…16
相談/鮟鱇鍋…佐々木洋一…18        もう時間がないのです…梢るり子…20
立石寺…阿部芳久…22            柊と雲/柊の投網/柊と鬼…北松淳子…24
猫日和…笹子喜美江…26           山百合…大沼安希子…28
ことば…高木 肇…30            囲いの中…日野 修…32
プレス/旧知再会…神尾敏之…34       酒に酔って…文屋 順…36
虹のワン次…木村圭子…38          節々の花…砂東英美子…40
八月の痛み…今入 惇…42
散文
「生まれる」ということ…高木 肇…44     花の寺…笹子喜美江…45
黄龍五時間のレコード…砂東英美子…46    「さよなら」「生きていてよかった」…佐々木洋一…47
あとがき…48
住所録…裏表紙



 鮟鱇鍋/佐々木洋一

人を殺した後は
鮟鱇鍋にかぎる

大通りの腹の肥えた金貸しのもとに
押し入った盗賊が
すべての人を殺した後で

何食わぬ顔をして
橋の袂の料理屋で
鮟鱇鍋を喰っている

人をくったやつだ
高をくくったやつだ

鮟鱇の
鮟鱇たるゆえんの
ゆるんだ顔をつつきながら
人を殺した男は

酒も酌婦も
安堵もはくそ笑みながら
鮟鱇の太い肝も
味わっている

人を殺した後は
鮟鱇鍋にかぎる
肝はさらにいい

盗賊は御用のあみにもかからず
橋の袂の料理屋で
己れに似た鮟鱇鍋を喰っている

世をくったやつだ
たらふく喰っている

 「人を殺した後は/鮟鱇鍋にかぎる」とは穏やかではありませんが、なぜかこの「盗賊」を憎めません。「押し入った」先が「大通りの腹の肥えた金貸しのもと」であったからか、「御用のあみにもかから」ないからか、おそらくその両方で私たちの味方であるような錯覚に陥るからだろうと思います。「人をくっ」て、「高をくくっ」て、「世をくっ」てみたいとは潜在意識の中で私たちが考えていることでしょう。その具現が「盗賊」と云えましょう。ちょいワルなんてものじゃない、本物のワルを讃美する気持がどこかにあるのが人間かもしれない、そんなことを感じた作品です。



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