きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.10.22 山梨県立美術館 |
2006.11.20(月)
千代田区美土代町のベルサール神田で開かれた宇宙航空研究開発機構(JAXA)のシンポジウムに行って、その足で日本ペンクラブの電子文藝館委員会に出席してきました。
JAXAの方は、以前、そこに出向していた人に誘われたものですが、久しぶりに理系の頭を使って心地好かったです。シンポジウムは全部で六つの報告とパネルディスカッションがありましたけど、時間の関係で私はそのうちの一つを聴いただけです。タイトルは「航空宇宙開発市場への直接参入を目指す中小企業の共同受注・品質保証体制(まんてんプロジェクト)」という長いもの。関西で、たしかまいど≠ニかのプロジェクトがありますが、それの関東版と言ったところでしょうか、大変おもしろかったです。講演の中で「品質保証ができないから中小企業をやっているのです」という発言があり、笑っちゃいましたけど、妙に納得するところがありました。私が勤務していた会社では、私自身が品質保証部門にいたせいもあって、それは当然のことと思っていましたけど、確かに費用対効果を考えると資金の乏しいところでは相当の負担になるでしょうね。それを乗り越えて、各社共同で品質保証をしていく趣旨の講演で、日本の中小企業は頑張っているんだなという印象を受けました。参加企業は神奈川・東京を中心に、現在80社ほどとのこと。「町工場発→宇宙へ」をスローガンに、超一流の技術力を持つ日本の中小企業の取り組みに声援を送ります。
文藝館委員会の方は主に、先ほど日本文藝家協会傘下の日本文藝著作権センターが発表した著作権保護期間延長について議論しました。日本の著作権法では著作者死後50年と規定されている保護期間を、諸外国並みに70年にしようというもの。TV報道もありましたからご存知の方も多いかもしれませんね。著作権期限切れの文芸作品をネットで無料公開している「青空文庫」の動向なども報告され、わが電子文藝館もそれに近いことをやっていますから、委員の大半は延長に反対でした。
しかし、私は態度を保留しました。正直なところ、よく判らないのです。よく判らないまま大勢に流されるのは嫌ですし、文藝家協会の会員でもありますから、もっとよく考えないと結論は出せません。委員会としては保留もあるが理事会で議論するよう進言することとし、これには賛成しました。一委員会の問題ではなく日本ペンクラブとして専門の委員会を作るべきでしょうね。それらの議論を見ながら考えたいと思いますが、文科省も文化庁も賛成のようですから、どうなっていくのかなぁ。悩ましいところです。
○詩・仲間『ZERO』15号 |
2006.11.20 北海道千歳市 綾部清隆氏方「ZERO」の会発行 非売品 |
<目次>
綾部清隆/北のはまなす 1
斉藤征義/チャウチャワッキの夕暮れ 3
森 れい/ルビー 5
北のはまなす/綾部清隆
ひかりのプリズムを浴びて
風紋の帯をきりりと結んで
黙したまま
この砂地のぬくもりに
肢体を這わせて
羞恥の色を誇示しながら
小粋な生を弾かせている
実
わたしはここに来て
いまさら何を確かめようとしていたのだろう
日は真上にあって
影は真下だ
目の前の 誇示 している
ひとつの領分は
陽射しがまぶしいこともあって
足を踏み入れることがためらわれる
そんな場所ってあるんだな
聖域なんてことば
ここでは不似合いだ
でも 無という目的にもならないものを
日常の部屋から持ち出して
どこか訪れたくなるときが
誰にもあるだろう(と思う)
ずっとずっと探しつづけて
何かをさがし疲れて
ただ寝ころがって
ただ佇ちつづけて
そんな自分が
いまここにいてもいい
生きるって
ちょっぴり何かが見えることなんだろうから
「北のはまなす」に寄せた人生観が美しく結晶した作品です。実物はほとんど見た記憶がありませんが、「肢体を這わせて/羞恥の色を誇示しながら」というフレーズにはまなすが生き生きと描かれていると思います。そして最終連の「生きるって/ちょっぴり何かが見えることなんだろうから」というフレーズに敬服。そんな程度なのかもしれませんね。「ちょっぴり何かが見」たくて「ずっとずっと探しつづけ」たり、「さがし疲れ」たりしているのが私たちなのかもしれません。でも、そこに人生の深さも感じた作品です。
○個人誌『Moderato』25号 |
2006.5.25 和歌山県和歌山市 出発社・岡崎葉氏発行 年間購読料1000円 |
<目次>
●特集「誌上・詩集批評会U」三井喬子 松尾静明 白川淑 冨上芳秀
●詩作品 大原勝人 いちかわかずみ 羽室よし子 くりすたきじ 水間敦隆 岡崎葉
●連載エッセイ24 山田博
●気になる詩人・気になる仕事20+2 高橋英司
●カンタータ15 森哲弥
●受贈詩集&詩誌
●ポエムダイアリー
椅子/岡崎 葉
白い部屋には
二つの椅子があった
開け放した窓の向こうの
鳥の姿を追いかけながら
となりに座る人を待っていた
しずかに誰かが入ってきて
空いた椅子に座った
その領分で一生のほとんどは
充たされるはずだったのに
一陣の風が吹き寄せて
椅子ごと奪い去ろうとしたのだ
はるかな道のりの途上で出会っていく
忘れがたき人々よ
悲しみがふりそそぐときも
温かな手につつまれるときも
寄りかかる椅子はなく
それでも いつか入ってくる
懐かしい人のために
その広がりは残しておこう
「空いた椅子に座った」人の、「その領分で一生のほとんどは/充たされるはずだった」という喩が秀逸です。これは素直に伴侶と採っても良いでしょうが、「忘れがたき人々よ」とありますから、特に限定する必要はないかもしれません。そして「一陣の風が吹き寄せて/椅子ごと奪い去ろうと」し、「寄りかかる椅子」もいつしか「なく」なる可能性があるのが人生。「それでも」「その広がりは残しておこう」とするところに作者の前向きな姿勢を感じます。「椅子」に託した見事な作品だと思いました。
○個人誌『Moderato』26号 |
2006.11.25 和歌山県和歌山市 出発社・岡崎葉氏発行 年間購読料1000円 |
<目次>
●特集「個人誌の魅力」〈各地の個人誌・25誌〉
〈詩作品〉 岡崎葉
〈モデラートの裏事情 表事情〉
〈エッセイ〉古賀博文 鈴木比佐雄
●詩作品 いちかわかずみ 大原勝人 羽室よし子 濱口侑季
●詩合わせ 岡島弘子 岡崎葉
●連載エッセイ25 山田博
●気になる詩人・気になる仕事20+3 左子真由美
●カンタータ16 竹添敦子
●ポエムダイアリー
●本自慢
白い湖国を訪れて/羽室よし子
誰もいないサイクリングロードを
あなたと手をつないで歩く
騒がしかった渡り鳥たちも
今では遠く湖面に浮かんで
ふっくらとした影をつくり出している
かたむきかけた太陽は
鈍いオレンジ色の小玉となって
あたり一面を飛び跳ねていた
つきさすような風も弱まって
ゆっくりと流れる時間は
その優しい光の波のごとく
おだやかな午後を包み込んでいる
カモメに工サをあげていた時と同じ
無邪気な笑顔で
オシドリよりもオシドリ夫婦のような白い鳥の
さっきの鳴きまねをするから
私もそれをまねて笑う
彼らの家族の仲の良さが理想だと言う
あなたの横顔が夕日に染まって
ふと足を止めた
あなたと夕日を見ることが
こんなにも嬉しい
いつまでも一緒に歩いていけることを
ひそやかに願いながら
固く手をつなぎなおして
再び歩き始める
春はまだ
もう少し先
「オシドリよりもオシドリ夫婦のような白い鳥の/さっきの鳴きまねをするから/私もそれをまねて笑う」というフレーズが印象的な作品です。これから家庭を持ち「いつまでも一緒に歩いていけることを/ひそやかに願」っているのでしょう。さわやかな恋人たちの姿が映像となって浮かんできます。最後の「春はまだ/もう少し先」というフレーズも佳いですね。二人の春を待ち望む気持がよく出ていると思いました。
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