きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.10.22 山梨県立美術館




2006.11.25(土)


 来年1月に娘が成人式を迎え、その着物姿を撮るというので、出掛けて来ました。家族写真も撮ってもらえるというので、愛犬まで連れて行きました。久しぶりに犬連れで小田原の街に出てみましたけど、以前に比べると街の反応が良くなっているようです。
 立体駐車場では、さすがに「ワンちゃんをクルマの中に置き去りにしないでください」と言われましたが、これは当然そんな気はありません。撮影場では、事前に了解を得ていたせいもあったでしょうが、立ち入りOK、エレベータもOK。もちろん犬のポーズも4人ほどのスタッフ総出でちゃんと決めてくれました。嬉しかったですね。

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 写真は撮影の待ち時間に愛犬百個(モモコ)婆と。百個はちょっと興奮気味でしたけど、吠えもしないでイイ子でした。
 もうひとつ驚いたのが喫茶店です。ちょっと長い待ち時間が出来たので、百個を連れて近くの喫茶店に行ってみました。テラスなら犬連れでも大丈夫だろうと思って聞くと、もちろんOK。それどころか犬用の水まで用意するというのです。これは期待もしていなかったので、本当に驚きました。百個がオモラシをするといけないので好意はヤンワリとお断りしましたが、気分は良かったです。飼い主のモラルも上がったのでしょうか、街の反応が良くなっていることを実感した下山(^^; でした。



個人詩誌『伏流水通信』21号
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2006.11.25 横浜市磯子区
うめだけんさく氏発行 非売品

<目次>

海への路地…長島三芳 2
ヨコハマの空に…うめだけんさく 4
失楽の時…うめだけんさく 5
   *
フリー・スペース(20)
僕の詩と真実…植木肖太郎 1
   *
<追悼エッセイ>
水橋晋さんのこと…うめだけんさく 6
   *
後記…8
深謝受贈詩誌・詩集等…9



 海への路地/長島三芳

早春の港町
魚の匂いがする
暗い路地を歩くと
漁箱の中の土に咲いているスミレの花。

黒い屋根瓦が低くつづく軒並み
貝殻がびっしりとついた板塀
どこかに人間の温もりが漂っていて
漁師の哀愁の匂いがする。

暗い路地は私の好きな海への道
昔は櫓
(ろ)や魚を担いだ漁師が
駆け足で海へ急いだ道
海藻をどっさりと
天秤棒で担いだ女が歩いた道
そんな路地を
私の老人が一人杖を突いて
ゆっくりゆっくりと
空壜のような足取りで歩く。

老人の歩く路地は
人生の入口から出口までの
暗くて淋しい距離
遠い過去から今日まで
背負いきれない重たい青春の思想や詩を
胸にずっしり抱いて
風雨の中を歩いてきた道
海鳴りの遠く聞こえる中
古釘のように打たれても打たれても
挫けずに歩いた
暗い路地を抜けると海
春の波が騒いでいる。

 「私の老人が」という詩語に魅了されています。普通ならば老人の私が≠ニなるでしょうけど、そうではありません。「私」の中には幼児がいたり青年がいたり、老人がいるのです。今回はその中の「老人」が顔を出した、そんな風に読み取りました。この感覚はおもしろいですね。どこかで遣ってみたいものです。
 「空壜のような足取りで歩く。」というフレーズも魅力的です。「杖を突いて」おぼつかない「足取りで歩く」という意味でしょうが、そこに「空壜のような」という喩が来るとは考えもしませんでした。これもどこかで遣ってみたい誘惑に駆られます。
 描かれていることは「老人の歩く」「暗くて淋しい距離」のことだけなのですけど、第3連で相当深まったと思います。大先輩の詩人の作品に触れて、私の乏しい詩想が烈しくかき回されています。



詩誌『コウホネ』20号
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2006.11.25 栃木県宇都宮市
コウホネの会・高田太郎氏発行 500円

<目次>
作品
澪のゆくえ/星野由美子…2         四股/片股喜陽…4
魂消る/相馬梅子…14            時の残骸/高田太郎…18
エッセイ
プラトニック ラブ/小林信子…6      樹の生命力/相馬梅子…7
文・彩・綾/星野由美子…9         特攻基地巡拝記/高田太郎…11
連載 私の一冊一誌
小林宏未刊詩集『散りかかれ』/高田太郎…16
話の屑籠 同人住所録 後記
表紙 平松洋子



 四股/片股喜陽

風呂場で水を被る音が止んで
小走りに廊下へ急ぐ足音が聞こえる
東側の窓を開け放って
素裸の父は朝の光を浴びて
ヨイショ ヨイショの掛声を発し
一日の出発の四股を踏む

廊下には
庭に造った土俵開きに招いた
男女川一行の力士の手形が飾られ
隣には父と五人の子供の朱色の手形

正面の部屋には
美事な髭を生やし
まわしを締めた力士顔の父と
正装した医学博士の顔の父の
二枚の写真が並ぶ
村医者であった父は
病気で悩む人へ
往診カバンに笑顔と安らぎを積みこんで
砂利道を自転車で急ぐ

膵臓を病んでいたが
鍛えた体で隠し通し往診を続け
七十五歳の生涯を閉じた
十五歳から育ててくれた父は
私の中で
今日も四股を踏み
病に向かう気合の掛声を響かせる

 詩作品ですから現実とは必ずしも一致する必要はありませんけど、この詩の場合「十五歳から育ててくれた父は」というフレーズがちょっと判り難いかもしれません。「後書」の作者の文は次のようになっています。
――私の里親(父)は向きあうことを大切にして生きた。触れあうことも大事にしていた。病気と、人と向き合って、触れて確かめて治療をすることを欠かさない医者であった。現代に生きても、人の健康を守るために父は自分の手で触れ、病気に向きあっていると確信している――
 この文章を借りれば、作品中の「父」は「里親」と考えてよさそうです。その父上の人間性が良く出ている詩と云えましょう。「まわしを締めた力士顔」と「正装した医学博士の顔」という二つの顔は、ひとつの時代の象徴であったように感じました。

 「後書」が出たついでと言っては失礼になりますが、星野由美子氏は次のように書いています。
――新聞の活字に、格差社会という言葉がある。人には個人差があって然り。横に広がる格差なら多種多様といえるが、上下だけを意味するのであるならとても淋しい。経済的・能力的な面だけでなく、心の貧しさによる事件が目立ってきているからである――
 この「横に広がる格差」という言葉に愕然としました。「格差」とは「上下だけを意味」していると採っていました。新しい発想を教えていただきました。



崔賢錫氏詩集『毬果』
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2006.11.10 東京都千代田区
花神社刊 2000円+税

<総目次>
右開き
 日本語 一〜一一二
 韓国語 一〜一一七
左開き
 英語 一〜七一
装幀 李禹煥・熊谷博人

<日本語目次>
序文/3       解説/5
ナルキス/16     まどろみに/18
遡る/22       風景/26
水したたる/30    カラス/32
関連事項/34     しかめがちの/36
清里/38       多摩川 1/44
多摩川 2/46    多摩川 3/48
土人形/50      喰べた/52
裾野で/56      黒部峡谷/60
奈良にて/66     訪れる/68
頭のどこか/72    放心/76
蛇/78        なめくじに寄せて/80
埴輪/84       ひだまりの/86
蹟に/88       鮭/90
地図/94       出入国管理事務所附近にて/96
あとがき/100
再版あとがき/101
英訳者 後記/103
三版あとがき/105



 

首を 断ち落されたあとも
のたうちかえる孕み蝮の
胎を裂いて
取り出すとたん
刺し殺したが
胎児の蝮は すでに生き
口を開いて
己れを発いたものの鋼もつ手を
咬み倒そうとしたのである

この熾んで
明確な敵意をたたえ
あやかろうとてほめうたつぶやき
烙りくらった
        (一九五五・一〇)

 これは珍しい詩集で、<総目次>でお判りのように日本語、韓国語、英語の3言語から成っており、1950年代の作品ばかりです。しかもこれは第3版。初版は1965年で日本語のみ。再版は1985年の日本語と韓国語。そして今回の3ヵ国語です。2ヵ国語というのは珍しくありませんが、さすがに3ヵ国語は私は初めて拝受したように思います。また、装幀は私が最近注目している画家・李禹煥氏の名前が出てきて驚いています。

 紹介した詩は詩集の中ではちょっと異質ですが、強烈なイメージの作品です。親である「孕み蝮の」「首を 断ち落」したものの、「胎児の蝮」はまだ生きており「口を開いて/己れを発いたものの鋼もつ手を/咬み倒そうとした」。そんな「明確な敵意をたたえ」、「烙りくらっ」てやる。ここには生き物同士のはっきりとした意志があります。表面的な憐れみや優しさを拒否する姿勢とも採れましょう。1955年作とありますけど、時代を越えた普遍性を感じさせる作品であり詩集です。



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