きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.10.22 山梨県立美術館




2006.11.29(水)


 日本ペンクラブの電子メディア委員会にオブザーバー出席してきました。ある会員のHPが削除されるという事件があり、法的には一応の決着はみたものの、プロバイダーとユーザーの間で相当な乖離があるようで、一度、プロバイダー側の意見を聞いてみようということになったものです。この問題は、基本的には電子メディア委員会で扱うものの、電子文藝館も同様のトラブルに巻き込まれる可能性もあるため、オブザーバー参加となりました。

 プロバイダー側として(株)日本総合研究所法務部の担当者がペンの大会議室に来てくれました。プロバイダー責任制限法の推移と、それに対応するプロバイダー側のガイドラインの推移などをわかり易く説明していただきました。委員会としての正式コメントが出るまでは事実関係の報告だけにとどめますが、どうも文筆家側にも抜けがありそうです。法やガイドラインの整備に文筆家として関わってこなかったことが指摘されるかもしれません。この件はプロバイダーに依存してHPを運営する私にも関わってくることですので、今後も報告していこうと思っています。ちょっと歯切れが悪いのですが、本日はそういう委員会があったということをお知らせするに留めます。



雲嶋幸夫氏詩集『わが恨』
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2006.11.30 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊 2500円+税

<目次>
わが恨(はん)
わが恨(はん)T ふるさと松江は遥か遠い 8 わが恨(はん)U 孕(はら)んだか 12
わが恨(はん)V 兄弟は他人のはじまり 20  わが恨(はん)W 牡丹(だんべら)雪が高島平に降る 24
わが恨(はん)X 姪夫婦の反乱 28      わが恨(はん)Y 北帰行 32
わが恨(はん)Z 過ちは二度くりかえされる38 わが恨(はん)[ 仏たちからの贈物 42
わが恨(はん)\ 高島平に初雪 降る 46
獣道(けものみち)
獣道(けものみち) 52            封印されたまま 62
おふくろの遺言−兄弟は他人のはじまり 66  変色した「救心」 70
黒梅 ひとつ 74              遥かなる宍道湖 78
再会U 82                 絶句 86
仮面の男 90                桜を あと何回 見れるか 94
オニユリが揺れる 98            オトコの美学 102
特攻の母 108
.               知覧基地 三角兵舎 110
秘湯 谷地温泉の貂(てん)さま 114
.     老やくざ 118
あとがき 122



 わが恨
(はん)T
 ふるさと松江は遥か遠い

雪が降る
高島平に雪が降る

正月三日の雪見酒
オトコは高島平に雪が降ると
夜行高速バスに飛び乗り 松江に帰る
ところが 今年は松江に帰れない
古志原の次兄と嫂に 実家の敷居をまたぐなら
何がおこるか分からないと威
(おど)される
陸士出の見習士官の日本刀で斬り殺されたくない
次兄宅の前に住む次姉を介護する姪夫婦が
本家の次兄夫婦の言いなり 本家が絶対である
姪はオトコが送った次姉宛 親展の手紙と長兄に献じた詩集『ふたたびの生還』とを手渡さず
六年前に亡くなった長兄のことも話さない

雪が降る
宍道湖に雪が降る
オトコが「山陰詩人」に書いた詩で
姪夫婦は松江の町も歩けないと言う
ついに オトコはパーキンソン病で車椅子の
次姉の見舞いもやめた
義兄と弟のように可愛がった甥の墓詣りもやめた

雪が降る
高島平に雪が降る
オトコはふるさと松江に帰る意味を喪
(うしな)
独り 窓外の牡丹
(だんべら)雪をすくいとり
独り 寂しい雪見酒
ふるさと松江は遥か遠い

 7年ぶりの第3詩集です。紹介した詩は詩集のタイトルでもあり本詩集の重要なテーマである「恨」の、冒頭の作品です。一言で云えば兄弟の確執がモチーフになっていますが、それを実際のことと結びつける必要はないでしょう。文芸作品ですから、あくまでも詩作品として読む態度が必要だと私は感じています。
 導入部である「わが恨T」は、「オトコ」の現住地「高島平」と「ふるさと松江」とを「雪」というキーワードで結んでいます。「オトコは高島平に雪が降ると/夜行高速バスに飛び乗り 松江に帰る」のを常としているようですが、「ところが 今年は松江に帰れない」。その経緯が詩集の3分の2ほどを占めて、まるで小説を読むような趣がありました。詩の行間にあふれるイメージで、読者は言葉を繋いで一篇の小説に仕立て上げて行きます。それほど言葉の力量と構成に優れた詩集と云えましょう。ご一読をお薦めします。



平野成信氏詩集『道』
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2006.11.20 東京都千代田区
花神社刊 2500円+税

<目次>
 演奏者
演奏者 10                 アダムとイヴ 12
春の嵐 14                 出発 16
朝の乙女に 18               秋 20
横浜の静かな墓地で 22           遥かな国、遠い昔 24
 曲がった道
曲がった道 32               駒場サッカー場から 34
雁 36                   はかる 40
賭け 42                  夜の風 44
冬の公園 46                倒れてくるオベリスク 48
秋が瀬で 50                キシ町の床屋 52
新生児 56                 海へ 58
 春の散歩
春の散歩 62                夢から覚めて 64
顔を歪めた男 66              悪魔 68
立ち退き命令 70              わらいぼとけ 76
ある競技場の一日 78
 カレル橋
カレル橋 84                晩秋の林の中で 88
蝶 92                   へールポップ彗星が来た頃の私 94
リスボン古街 98              ヴェネツィア 100
フィレンツェの夏 104
.           ニューヨーク ニューヨーク 108
終バス 112
 アルデンヌの池
薔薇の園 118
.               泉 120
湯飲み 122
.                落ち葉の中を超えて 124
母の死 128
.                特急「いなほ」 136
わたしは傷ついた盗賊のように 140
.     わたしの扉が 142
噴水 144
.                 虹 148
鳴沙山 152
.                カルチェラタンの街角で 154
Let it be 158
.          池 162
あとがき 166



 

音もなくはいってきた
白い列車
わたしのまえに 西洋の老婦人
――ボタンを押さないと開かないのですよ――
でもそのボタンがない
つるりとした車体にドアがあるだけ

みれば窓も絵でかいたみたいだし
その後ろの人たちも
紙でこしらえた切抜きのように
横をむいたまま

列車はまた音もなくいってしまい
いつのまにか老婦人はいない

とり残されたホームから
葉も実も落ちつくし
黒々とした枝ばかりのリンゴ畑がみえ
その上に虹!
虹はおおきな弧を描きむこうで寺の屋根に落ちている

ぼんやりみているわたしに
――なにもかんがえないで……
――なにもかんがえないで……
小鳥の鳴くようになにか空中からささやく
父のような母のような 天使のような
あらゆる先祖のDNAの散華のような

――なにもかんがえないで シゲノブ……

 16年ぶりの第2詩集だそうです。著者は拙HPで毎号紹介させていただいている詩誌『杭』の同人で、単独のお作は拝見していましたが、このようにまとまった形では初めてになります。詩集の配列はほぼ年代順とのことでした。
 紹介した詩は、詩集の中では最近に位置する作品のようです。「窓も絵でかいたみたい」で「その後ろの人たちも/紙でこしらえた切抜きのよう」な「白い列車」の喩は、詩集のタイトルでもある「道」と近いものを感じました。所詮この世は「絵でかいた」ようなもの、「紙でこしらえた切抜きのよう」なものなのかもしれません。そこに懸かる「おおきな弧」の「虹」こそが真実、そのように捉えました。しかし、そんな愚考は無駄なこと。「なにもかんがえないで」生きることこそ肝要、そう諭されているのかもしれません。奥深い詩集です。



詩誌『すてむ』36号
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2006.11.25 東京都大田区
甲田四郎氏方・すてむの会発行 500円

<目次>
【詩】
島の宝■松岡政則 2            タダイマ■甲田四郎 5
声/オブジェ■田中郁子 8         不肖の子■閤田真太郎 13
くりーむぱん/父の水■青山かつ子 16    盛夏■赤地ヒロ子 20
ちいさなおにぎり■坂本つや子 22      猫じゃらし■長嶋南子 28
全校集会■水島英巳 30           指/百年の儀式■井口幻太郎 34
ひとりの午後を……■川島 洋 38
【書評】
甲田四郎詩集『くらやみ坂』 平成の身体◆倉田 茂 42
松岡政則詩集『草の人』 草靈のゾーンから◆長谷川龍生 44
【エッセイ】
千々に砕けて◆水島英巳 46
又、十三番目の男◆閤田真太郎 48
飢餓の時代◆松尾茂夫 50
同人名簿 55
すてむらんだむ 56
表紙画:GONGON



 島の宝/松岡政則

一九九一年十一月八日、山口県周防大島の属島、沖家室島で、小学校の校庭か
ら二宮金次郎像を盗んだのはわたしです。わたしがやりました。今さら言い訳
などするつもりはありませんが、なぜあんな度外れたことができたのか。その
犯意がどこにあったのか。未だに当のわたしにも解らないのです。初めから銅
像を盗もうと思って、島へ渡ったわけではありません。そこにアーチ型の美し
い橋が架かっていたから、つい渡ってみたくなったのです。何気に小学校近く
へ車を止め、人けのない校庭に入って行ったのが間違いの元でした。目が、合
ってしまったのです。台座の上の二宮金次郎像と、目が合ってしまったのです。
あれがいけませんでした。あれが全てでした。節倹と陰徳を説かれた尊徳先生
の少年時代と、目が合ってしまったのでした。たじろぎました。じきに動けな
くなりました。その涼やかな目に、わたしはじっと覗き込まれたのです。激し
く見られたのです。それがなぜか許せませんでした。なんか猛烈に腹が立って
きました。わたしはわたしの何を見られたと思ったのでしょうか。わずか一b
あまりの銅像如きに、いったいわたしの何が見えたというのでしょうか。闇を
待ちました。わたしも闇になるのを待ちました。それから何をどうやったのか、
気がつくと金次郎像を車の後部座席に乗せ、わたしは橋を渡っていたのでした。
それが一部始終です。それが思い出せる全部です。
あれから十五年が経ちました。誰もがふりをしているだけの都市で、いいえわ
たしもふりをしていただけの十五年でした。そんなある日、「沖家室開島四百
年」の、小さな新聞記事を見つけたのです。ドキリとしました。わたしはその
とき初めて島のことを少し知りました。約一平方`の小さな小さな島であった
こと。現在の人口は一二九世帯、一八七人であること。そして何よりも島に人
が移り住んで、今年が「開島四百年」に当たること。たまらなくなりました。
その一文字一文字が容赦なくわたしを貫きました。躰中の筋脈が流れ落ちてい
くような、恐ろしい崩壊感を覚えました。なぜあんな罰当たりなことをしてし
まったのか。わたしはそれまでも、いいえそれからも盗みを働くような人間で
は絶えてありませんでした。そのくらいのものは躰がちゃんと持っておりまし
た。どうしてあんな恐ろしいことができたのか。思えば目が合ったという以外
にも、校舎を染めた夕陽と金次郎像との、あの美しい調和が許せなかったのか
も知れません。わたしがそんなものとは無縁であることに、どうしようもなく
苛立ったのかも知れません。いいえそんなことはもうどうだっていいことです。
このわたしが二宮金次郎像を盗んだという事実に、何の変わりがあるでしょう
か。
お返しします。島内外の、沖家室人の精神的支柱を、島の宝をお返しします。
あの心細い海岸線を突っ走って、島が闇に包まれた今からお返しにあがります。
お許し下さい。これからは二度と、小学校になど近づきません。

 *盗難にあった二宮金次郎像は2006年7月3日、十五年ぶりに旧沖家宝小近くの町道脇で発見された。
 参考文献・『沖家室開島400年記念誌・きずな』(沖家車輌島400年記念事業実行委員会編)

 もちろん作者が実際に「二宮金次郎像を盗んだ」犯人であるわけがなく、「新聞記事」などに想を得た作品でしょう。「なぜあんな度外れたことができたのか」、その心理を探る意欲的な作品だと思います。結局のところ「未だに当のわたしにも解らない」というのが犯人の真意ではないかと私なども想像してしまいます。それでも、なぜ?と問われると「なんか猛烈に腹が立って/きました」「銅像如きに、いったいわたしの何が見えたというのでしょうか」というのがやはり正解なのでしょう。そこを「わたしも闇になる」という言葉に収斂させているように思います。事件を描くにしても、高みに立った視点の作品ではなく、犯人の心理という、こういう形は見習わなければいけないと感じた作品です。



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