きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.11.04 仙台市内




2006.12.1(金)


 伊東市・一碧湖畔の「池田20世紀美術館」に行ってきました。先週も行ったんですが休館日。今日は大丈夫でした。目当ては二つ。9月28日から来年1月9日までやっている「蔡國華展」と、収蔵庫にあるハンス・ベルメールのペン画です。ベルメールの方は当日申込み不可、要電話予約ということで見せてもらえませんでしたけど、来年1月に展示するとのことで引き下がって来ました。そう言えば以前も当日不可と言われたような気がするなぁ。もっと以前は当日OKだったので、それが刷り込まれているのかもしれません。ま、来月の楽しみに取っておきましょう。

 「蔡國華展」は伊東市在住の知人に紹介されたものですが、とても良かったです。1964年生まれの中国人男性で、オーストラリア在住。日本・中国・オーストラリアで活躍しているようです。キャンバスや板にアクリルという手法で、人物画主体のようですが、具象と抽象が混在された画風は面白いです。具象の部分はあくまでも具象。写真と見間違えるほどに描き込んである隣の部分が抽象。これはイメージが膨らまされましたね。色彩も薄い茶が主で、好みの色です。人物の顔に至っては、内面を抉り出していますが、決して苦しくはありません。ムンクの「叫び」から100年以上でしょうか、進歩したのだなと感じました。
 絵は、言葉ではなく絵で見てもらうのが一番なんですけど、載せるわけにいかないので、機会のある方はぜひ訪れてみてください。常設展も工夫を凝らしていてお薦めです。



新井豊吉氏詩集『横丁のマリア』
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2006.11.30 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊 2000円+税

<目次>
 T 横丁のマリア
インナーチャイルド 8 そり 10
やけど 12      横丁のマリア 14
花見 18       月光仮面 22
母がいなくなる日 26 はじめての家出 28
新潟にて 30
 U 風の人
一枚の写真 34    夢 36
あかい花 40     鳥 44
はじめの一歩 46   風の人 50
独り言 52
 V 血筋
報告 58       釜山
(プサン)岬 62
旅のはじまり 64   対面 68
逸話 72       柿木坂 76
血筋 78       台根
(テグン)伯父さん 82
ともだち 84     海印寺
(ヘインサ) 90
カムサハムニダ 94
 あとがき 100



 横丁のマリア

韓国人になった母が小さな食堂をひらいた
十円もって卵かけごはんを食べに来る
黒人の少女がいた
売り上げを持ち去るだけの父もいた
夜の女も多かった
彼女たちはわたしの家庭教師
小学生のわたしに箒の使い方を教えてくれた
どうしても上手にごみを集めることができなかった
魚の食べ方を教えてくれた
骨だけを残してきれいに食べることができなかった
店が閉まる直前にいつも一人でくる女がいた
彼女はいつもわたしの前に座り同じ話をするのだ
「たくさんの羊を飼っている男がいました。
山で一匹だけ迷子になりました。
あなたならどうする?」
「残った羊を家に連れて帰って、
それから探しにいくかなあ」
「その一匹の羊はとても大切なの」
「でも他の羊の方が多いし、
探してる間にみんな逃げちゃうよ」
彼女はどんな答えにも微笑みはするが
うなずくことはない
わたしは落ちのこない問答に戸惑うばかり
毎回正解を聞くのだが納得できなかったのか
覚えていない
いつまでも彼女がぼんやりと
微笑んでいたことしか覚えていない

 6年ぶりの第3詩集です。とても佳い詩集で、紹介したい作品ばかりですが、ここはやはりタイトルポエムを転載してみました。「韓国人」の「売り上げを持ち去るだけの父」、日本人から「韓国人になった母」、そして「小学生のわたし」という家族構成です。舞台は昭和30年代後半の東北。基地のある街の「母」が「ひらいた」「小さな食堂」。「黒人の少女」が来たり「夜の女」も来ます。
 「店が閉まる直前にいつも一人でくる女」も「夜の女」なのかもしれません。「ぼんやりと/微笑んでいた」「横丁のマリア」の「問答」は、まるで人生そのものへの問いかけのように映ります。「とても大切な」「一匹の羊」を「わたし」に、「彼女」に、そして私たちに重ねることが出来ます。おそらく著者の哲学の始まりだったのではないでしょうか。佳品です。



個人誌『むくげ通信』33号
21世紀詩人叢書・第U期25
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2006.12.1 千葉県成田市
飯嶋武太郎氏発行 非売品

<目次>
具常の『今日』/金奉郡(キムボングン)
 1
空超(コンチョー)と具常(クーサン)/朴喜(パクヒジン) 5
独島アンソロジー「私の心の中の独島」/アンチェドン(詩人·評論家) 6
七九九・八〇五の地主神へ/崔勝範(チェスンボン) 10
恋歌/賈永心(カヨンシム) 10

夢見る/恋李始恩(イーシウン) 11
足について/申奎浩(シンギュホ) 11
花びらの国/高貞愛(コジョンエ) 11
靖国神社/飯嶋武太郎 12
編集後記 12



 七九九・八〇五の地主神へ/崔勝範(チェスンボン)

激浪の日々でございます
波高く波乱に満ちております

黙々と耐え続けられる
ご胸中はいかばかりであられましょうや

手翳しで眺めてみたり
地団駄踏みならしてみても
ただいらいらする
だけにすぎません

わが固有の地を
毅然として支配してこられた
地主神さまは
同胞(はらから)よ くだらない と

はなはだ
くだらないとはおっしゃらないで
夢にでも現れて道を
お示しください
           萱沼紀子訳

 訳註 「七九九・八〇五」とは、韓国でつけた独島(竹島)の郵便番号
    (ハヌルハウス第十一号)より


 「
独島(竹島)」が日韓どちらの「固有の地」なのか、よく調べていませんので言及できませんが、詩作品として見た場合、大変ユニークな詩だと思いました。「郵便番号」が付けられているとは思いもしませんでしたけど、それも意志表示として立派ですし、其処に「地主神さま」が居るという発想が良いですね。
 それにしても早く「
夢にでも現れて道を/お示し」していただきたいものです。せっかく良好になりつつある日韓に水を差されるのは耐え難い思いでいます。



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