きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.11.04 仙台市内




2006.12.17(日)


 埼玉在住の女性詩人の個人誌に毎号書かせてもらっているのですが、その彼女が合評会をやってみたいと言い出しました。同人誌と違って個人誌ですから、確かに今まで合評会なんてやって来なかったのでしょうね。
 そんなわけで執筆者のうち10人ほどが池袋に集まりました。第1部は2時間ほどの合評会。出席した執筆者には朗読をしてもらって、全員が意見を述べるという形にして、結構白熱した場面もありました。が、初めてということもあり総じて大人しかったかな。予定の時間を過ぎてしまい、店から予約時間オーバーを言われてしまうほど熱中したことは確かです。

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 写真は第2部、忘年カラオケ大会。実は1部の写真はありません。写真を撮るのを忘れるほど熱中していのです(^^; こちらは打って変わって文字通り呑めや唄えや。
 二次会は池袋小劇場と同じ通りにある沖縄料理の店に行ってみましたが、予約があるとかで駄目。ならばと隣の店に入ってみたら、こちらは何と北海道料理。北と南が隣合っていたというわけです。飛び込んで正解の店でしたね。オヤヂさんもオフクロさんも気さくな人で、酒も料理も良かったです。池袋の夜を満喫して帰って来ました。



季刊『楽市』58号
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2006.12.1 大阪府八尾市
楽市舎編集・創元社発行 952円+税

<目次>

出立/永井章子…4             きりんの日/三井葉子…6
あした/小野原教子…8           水色の目/小西照美…10
あおい実/中神英子…12           惨禍 アルコール/谷口 謙…15
エリカ/福井千壽子…18           花/木村三千子…20
調律/加藤雅子…22             ことづて/斎藤京子…24
ブルウ ハワイ/渡部兼直…26        赤とんぼ/太田和子…28
解ける/川見嘉代子…30           十六夜/司 茜…32
追悼福田万里子
福田万里子さんの詩/新井豊美…36      福田さんの温もり/冨長覚梁…38
朱夏−故福田万里子さんへ/藤本真理子…40  仄かな望みさへ(再録)/福田万里子…42
追悼 福田万里子さん−福岡での思い出など/石村通泰…44
福田万里子さんのこと/司 茜…47
随筆
断想(20)/木内 孝…49           『潮騒』紀行/萩原 隆…54
隠岐の島で/北原文雄…59          強い男/今井 敦…70
桃山のゴミ捨て穴から/山田英子…71
●編集後記…75



 仄かな望みさへ/福田万里子

あっ とゆらぐので
あっ とうけとめた

はなびらのつけ根は
きっちりくっついた筒状
わたしの掌のうえの
カメリア・ジャポニカ・リンネ(やぶつばき)

花の時間の甘美から
わたしの時間の甘美へと
移り棲む瞬間
甘美というものが
いまの世にもあったのか
疑いながら
ほだされていったのは
古代から一途の
くれない
まだまだきれいよ

離れたことへの
悲しみも哀しみもない
花の明るさ

水に放すと
逆巻く泡沫をくぐり
なめらかに曲がっていってしまったけれど
あっ とうけとめた
一輪の重みは
いまも掌に残っていて
仄かな望みさえ感じさせてくれる

 「楽市」第21号(1996年7月)より再録

 今号は今年8月に73歳で亡くなった福田万里子さんの追悼号になっていました。紹介したのは脚注の通り10年前の作品で、おそらくこの時期にはすでに病魔の一部が棲みついていたのではないかと推測されます。「一輪の重み」の「仄かな望みさえ」という詩語にそれを感じてしまいます。お会いしたことはたぶん無いとおもいますが、追悼文を読むと同人の皆さまから尊敬されていたことが伝わってきます。ご冥福をお祈りいたします。



文芸誌『ノア』11号
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2006.12.31 千葉県山武郡大網白里町
ノア出版・伊藤ふみ氏発行 500円

<目次>

電車…筧 槇二 2             砂畑…右近 稜 4
風にふかれて…森下久枝 5         朝の陽に…小倉勢以 6
水脈…五喜田正巳 7            夕立…松下和夫 8
子供をおんぶって…池谷 孝 9       記憶の底…伊藤ふみ 10
田舎の学校…伊藤ふみ 12
エッセイ 象徴デザインとしての旗…馬場ゆき緒 13
小論 コレット…遊佐礼子 14
エッセイ
アート・ノート…望月和吉 18        仏都会津…菅野眞砂 19
子どもの力…保坂登志子 20
詩画 武政 博…22/田村和子…23
童話アーちゃんとアリ…伊藤ふみ 24
 学童作品…26
エッセイ 切られ与三郎…伊藤ふみ 28
本のご案内…ノア出版 30          編集後記 32



 朝の陽に/小倉勢以

新興住宅の屋根を幾つか越えて
ベランダへ辿り着くヒヨドリがいる
古びた羽毛のマントを膨らませ
お早う と声をかけても返事はないが
私は急いでバナナを刻む
細いくちばしで啄ばんでは呑み込む朝の食餌
食べ終わったら背を向けて外界を見張る
孤独な野生の後ろ姿が寒い

開拓の勢いに乗って
隣の林が消えてから数年になる
それから急激にロボット時代がやって来た
動物を飼えない規約の集合住宅では
ひとり暮らしの老人が
ロボット犬を相手に幼児語になり
暮らしの革命は小さな部屋からも狼煙を上げた

いまでは自分が自分と向き合って暮らしている
これは気が合っていい と思ったが
それも何となく興がさめた
見慣れた鏡と向き合って暮らしてみたところで
何になろう
失った生命の形を復元した
コピー生物にも歓声をあげてみたが
それが本当に幸せか
所詮二番煎じの感激だけが胸につかえる

筑波颪のなかを
ヒヨドリが飛び去って行った
明日はもう会えないかもしれない
それでも精一杯
限りある時間を費やして
何かを目指して飛んでいく老いの翼が
朝の陽に輝いて見える

 「自分が自分と向き合って暮らしている」、そんな「ベランダへ辿り着くヒヨドリ」。「朝の食餌」を施されながらも「食べ終わったら背を向けて外界を見張る/孤独な野生の後ろ姿」。それに対する「ロボット犬」や「コピー生物」にはもちろん野生などなく、それにすがらざるを得ない「集合住宅」の「ひとり暮らしの老人」の孤独が胸に迫ってきました。ヒヨドリも老いているのでしょう。しかしその「老いの翼」は「朝の陽に輝いて見え」ています。文明はヒヨドリの「古びた羽毛のマント」にさえ立ち向かえないことをこの作品は教えてくれています。考えさせられました。



詩誌『沈黙』33号
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2006.12.10 東京都国立市
井本氏方発行所 700円

<目次>

吉川 仁/残像紀 2            宮内憲夫/同行二人 風伝降ろし 6
鈴木理子/台詞 14 10           山田玲子/願い 夏の午後 14
中岡洋一/腕を水平に広げて立つ 17     村田辰夫/切符の感触 聖堂よ 20
井本木綿子/クリントン妄想 24       天彦五男/数毒 29
あとがき/村田辰夫 井本木綿子       <表紙> エル・グレコ 聖母子



 数毒/天彦五男

日常を非日常にする為に海外への旅に出た
本当は非日常の生活をしている男と女には
そんな必要はないのだが
そこが日常と非日常との危ふいバランス
毀れそうで毀れない男と女の関係は
たぶん計算によって成り立っているのだろう

数千年前の壺や彫刻がある国で
数独の本を見つけた女が購入した
数独は日本が発祥で世界へ蔓延している
梅毒がどこから持たらされたかどうか
日本にはなかった病いが蔓延したことがある
今は漢字がカタカナになり
ABCだかAIDSとか言うようだが
日常と非日常の隙間の風になっている

数毒は経済や政治にまで及んで
世界の未開発国へまで浸食していく
数は1、2、3まであれば良いと思うが
限りなくゼロが介入して複雑化する
インドとかドイツとかで数独が流行るとは
なんとなく理解できるのだが
1から9までの数字を玩んでのゲーム
なんだか目に指を突っこまれたようで
宗教の自由や性交の体位まで束縛されるような
なんとなく不自由な〈数〉の思想

数は孤独だ
数は毒を孕んで薬にもなるが毒が勝っている
鴉より劣ると言うと鴉に失礼な男が
珍しく経済面や株式欄を見ている
数限りも無い欲望と重なって紙面がにじむ
乾いているのか湿めっているのか
熱いのか寒いのかで哲学や思想が
色彩や数理にまで及んでくる

日常と非日常が世界の中で混ざりあって
なにやら解らないが
どこかで戦争が行なわれている
宗教と数独
男と女は人間であることを意識しなくなった
毒に冒された動物が摂理を乗りこえようと
境界も塀もぶちこわして
てんでんばらばらの方向へ走って行く
あの点はまさに数だ

数独をナンプレと言ったりするらしい
ナンバー・プレースの短縮語らしい
数読かと思っていたが数独は意味深長だ
隣国でも遠国でも我が国家でも
数毒が蔓延している

 「数独」は私も大好きで、新聞や雑誌に載っていると必ず挑みます。あの「孤独」な、「1から9までの数字を玩んでのゲーム」は、初級ならば何も考えずに数字を動かすだけで済み、ストレス解消にはもってこいです。中級、上級になるとそうはいきませんけどね。
 その「数独」を「数毒」と見、「なんだか目に指を突っこまれたようで/宗教の自由や性交の体位まで束縛されるような/なんとなく不自由な〈数〉の思想」と作者は表現していますが、たぶん合っていると思います。「数は孤独」で、「数は毒を孕んで薬にもなるが毒が勝っている」のだと私も納得できます。「経済面や株式欄」で扱う数字には縁のない私が、唯一弄べるのが「数独」なのかもしれません。おそらく初めて「数独」について書かれた詩と思って飛びつきましたが、考えさせられることが多い作品です。



詩誌『りんごの木』14号
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2006.12.1 東京都目黒区
荒木氏方「りんごの木」編集・発行 500円

<目次>
扉詩 武田隆子
晩秋/東 延江 4             神話/宮島智子 6
二月 その二/山本英子 8         小さな君へ/田代芙美子 10
回廊/栗島佳織 12             秋の陽はこぼれきらめき/横山富久子 14
聞く/藤原有紀 16             愛を下さい/さごうえみ 18
挽歌/川又侑子 20             靴/峰岸了子 22
色のない記憶/高尾容子 24         伐採/青野 忍 26
ほがらかな旅人/荒木寧子 28
表紙写真 大和田久



 晩秋/東 延江

大雪連峯が石膏細工のように
白く鋭い稜線を蒼空につき立てるころ
平地を赫く染めた木々は
ひといきに季の移ろいを語る

海は柳葉魚の漁にわきたち
鮭は群となって川をのぼる

 口を開けてはいけません
 目も細く開くのです
 そう
 耳も
 鼻も
 できるかぎりふさぎましょう

雪虫が
真近かな雪の到来を告げて飛び交い
深く吸い込んだ呼吸に乗って
鼻から
口から
ミクロ探険隊になって
ひとの体内にもぐり込む

逃げ出そうとする秋をつかまえ
ひとときの時刻に酔う

 私が実際に北海道の「晩秋」を体験したのは3度ほどだろうと思います。ですから、本当のところはよく判っていないのかもしれませんが、「逃げ出そうとする秋をつかまえ」というフレーズには感じ入っています。本格的な冬が来る前の、北海道の晩秋をいつまでも捕まえておきたくなる気持がよく出ていると思います。そんな厳しい生活環境の中でも、人々は「柳葉魚の漁にわきたち」、「鮭」の「群」に喜んでいるのでしょうね。佳い作品に出会いました。



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