きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.11.04 仙台市内 |
2006.12.22(金)
急に思い立って、靖国神社に行ってきました。参拝が目的ではありません。遊就館を観たかったのです。皆さんからいただいた詩集や詩誌に遊就館のことがかなり出てきますけど、私は一度も行ったことがありません。前々から一度は観ておかなければいけないなと思いつつ、なかなか機会がなくて今日に至りました。
すでにいろいろな方がお書きになっていますが、やはり遊就館の視点には欠けているものがあると感じました。購入した遊就館図録によると、例えば[支那事変]の項には盧溝橋の小さな事件が、中国正規軍による日本軍への不法攻撃、そして日本軍の反撃で、北支那全域を戦場とする北支事変となった背景には、日中和平を拒否する中国側の意志があった≠ニ書かれています。あれ? これって日本国内で起きた[事変]だっけ? 日本軍の侵略に対する中国の抵抗は不法攻撃? 「日中和平」を口にするなら、まず日本軍を他国から引き上げて、その上で交渉するのが筋でしょう。家に強盗が入って、強盗にやる金はない!と「拒否する」家の者の「意志」が争いの「背景」になった、という論法はどう考えてもおかしい。
一歩下がって強盗でなくてもよいのですが、私の家は家庭不和だったとしましょう(現実かもしれないけど(^^;)。お前の家は争いが絶えないからと隣のおぢさんが私の敷地内に小屋を建てて監視してくださる。拒否すると、せっかく監視してやっているのに何だ! と庭木を引っこ抜いて威嚇する。それに対して棒を持って追いかけると「不法攻撃」だとなじる。おぢさんは、判った、ちょっと話し合おうと引き下がる。私は、冗談じゃない、小屋も取っ払ってうちから出て行ってくれと言うと、そのお前の「反撃」は「和平を拒否」していることになるんだ! とまた威嚇する…。あぁ、こんな単純な理屈にも遊就館図録は応えていないのだなと思います。
この調子で書き出すとおもしろいことがいっぱい書けそうですが、後日のネタとしておきましょう。會津藩支藩の末裔としては、そもそも戊辰戦争の官軍≠フ死者のみを祀ったという神社の経緯からして不満です。その時点から事の本質を見ないで、既成事実の上に胡坐をかいて、そこから我田引水で成り立っているように感じます。図録は大事に大事に保管し、事あるごとに勉強させていただこうと思っております。
○季刊詩誌『竜骨』63号 |
2006.12.25 さいたま市桜区 高橋次夫氏方・竜骨の会発行 600円 |
<目次>
<作品>
冬が来る/庭野富吉 4 音/西藤 昭 6
手鞠唄/今川 洋 8 いにしえの/横田恵津 10
戦時下にあって/河越潤子 12 ラヴ・コール/島崎文緒 14
凶器/内藤喜美子 16 贔屓一筋/松本建彦 18
☆
もう一つの狼疾記/木暮克彦 24 時間/松崎 燦 26
青いシート/森 清 28 たたかい/小野川俊二 30
生きること/長津功三良 32 寺子屋/高野保治 34
豊産の映像/友枝 力 36 城/高橋次夫 38
詩集評 長津功三良詩集『影たちの墓碑銘』私見−抒情を抱いた長編叙事詩/西藤 昭 20
羅針儀 原宿散策/高野保治 40
書窓
木津川昭夫詩集『曠野』/木暮克彦 44
田中真由美詩集『指を背にあてて』/松本建彦 45
海嘯 世に怖ろしきもの/高橋次夫 1
編集後記 46
題字/野島祥亭
いにしえの/横田恵津
開眼式を迎えるまで
五年の歳月をかけた
東大寺の本尊 盧舎那仏座像は
七四七年(天平一九年)
鋳造開始
大仏鋳造におよそ必要だったもの
鋼五百トン
錫八・五トン
金一五〇キロ
水銀八二〇キロ
仕上げ期
仏像の全体に
うすく塗金するため
大量に使用された水銀
最後に余分な水銀を除くため
炭火などで三五〇度以上であぶる
水銀は蒸気となってとび散り
鋼の表面に五ミクロンほどの
うすい金の膜が残る
大量発生した水銀蒸気は猛毒
たずさわった作業員に多くの
思わぬ事故がおきたにちがいない
しかし
宮廷や寺院の記録には
一つも残されていない とのこと
参照「ならの大仏さま」福音書館 絵・文 加古里子(かこさとし)
奈良・東大寺の大仏様は私も何度か拝観したことがありますけど、あんな大きな鋳物の仏像にどのくらいの材料が使われたか興味を持っていました。「鋼五百トン/錫八・五トン/金一五〇キロ/水銀八二〇キロ」とは凄い量ですね。ちなみに現在の金相場を調べてみると、グラム当たり2500円ほどですから、150kgということは3億7500万円! その他の金属、人件費を考えたら数十億、数百億の規模だったことが判ります。
しかし、作者の視線はそこに留まりません。「大量発生した水銀蒸気は猛毒/たずさわった作業員に多くの/思わぬ事故がおきたにちがいない」と続きます。水銀中毒で最も有名なのは水俣病ですから、確かに「思わぬ事故」は当然起きたでしょう。そして、それを最終連で「宮廷や寺院の記録には/一つも残されていない」と記す作者の見識に敬服します。「ならの大仏さま」を描いた作品は多くありますが、この観点では初めてではないかと思った作品です。
○詩誌『ひを』8号 |
2006.12 大阪市北区 三室翔氏発行 300円 |
<目次>
小西民子/ねむい空 V 2 小西民子/ねむい空 Y 4
萩美智子/午後の土橋 6 三室 翔/教室 10
三室 翔/面(おもて) 12 古藤俊子/微光 14
古藤俊子/とおい処から聴こえてくる 16 後記 20
午後の土橋/萩美智子
草いきれ
泥の匂い
ニセアカシアの木立から
白い花房がこぼれ落ちて
花芯の緑が開くとき
あたりは原初の精気に満ちる
中学校の木造二階建て校舎に沿って
丈高い草々に囲われる川があった
ときどきの蛇
どちらが川上だか川下だか
穏やかな泥色の水は
太古以来の
クリーム色にかすむ空へ
まっすぐに延びていた
時を内包するちっぽけな川にも
護岸工事の手がかかる
一切合切岸辺の草が刈られると
川幅は
思いのほかに広かった
流れがせき止められ
日にさらされた川底に
白々と石が敷き詰められた
時のページは強引にめくられる
川は切り開かれる未来の
手本のように明晰だった
川底に少年がいた
金物バケツで泥をさらい
岸に運び上げ
練ったコンクリートを
川底へ運び込んだ
人にそなわる機能に従い
無駄も不足もなく
荒くれの工事人夫にまじって
若鹿のような少年は
優しいショベルカーであり
丁寧なブルドーザーであり
愛おしいベルトコンベアーだった
ふと見上げた少年の鹿の目が
土橋の上で
熱心に観察する少女をとらえた
少年はまっすぐに向きあうと
ためらいも知らず笑みを投げる
朗らかな親しみの手をあげる
そこで
少女のズームレンズは
にわかに絞りをかけて
少年を彼方に追いやった
幾十年分の水が
幾十年の時を浸した敷石を流れ去る
土橋に立つ女が
黄昏れるクリーム色の空に
向きあう
今更の
痛みのひとつを引き寄せて
「若鹿のような少年」、「少年の鹿の目」という形容が初々しさを醸し出して好ましく受け止めました。「土橋の上で/熱心に観察する少女」が「幾十年の時」が流れて「土橋に立つ女」になるところも時間の経過をうまく処理していると思います。「中学校の木造二階建て校舎」も、タイトルの「午後の土橋」も郷愁を誘いますね。「土橋」なんて、もう何処にも無いでしょうが、それこそ土着の地元の橋という印象を持ったものです。最終連の「今更の/痛みのひとつを引き寄せて」というフレーズは「少女のズームレンズは/にわかに絞りをかけて/少年を彼方に追いやった」を受けていると思いますが、おそらくそれだけではないでしょう。誰もが持つ「幾十年分」の「痛み」だと感じた作品です。
○詩とエッセイ『きょうは詩人』6号 |
2006.12.18 東京都世田谷区 アトリエ夢人館発行 700円 |
<目次>
●詩
僕の叔母さん/小柳玲子 1 わたし 出かけます/森やすこ 2
途中下車/森やすこ 4 指/長嶋南子 6
庭/鈴木芳子 8 朝のカフェ/吉井 淑 10
森のみどり/伊藤啓子 12 気配/赤地ヒロ子 14
鳶/赤地ヒロ子 15
●エッセイ
美少年 17
花は散るモノ人は死ぬモノ 6 ―不しあわせは蜜の味 中村千尾/長嶋南子 22
表紙デザイン 毛利一枝
表紙絵 リチャード・ダッド (C)Reiko Koyanagi
指/長嶋南子
指を切ってさし木する
もう卵をうめないからだなので
ひとり暮らしの気がまぎれる
根付いて指人形みたいなものが
ゆらゆらしている
水やりして栄養剤を注入して
玄関でチャイムがなる
いないよ
奥の部屋で居留守をつかっているよ
と声を出す
昼はベランダに出し夜は部屋に入れる
布団にはいる
おやすみなさい という
いまのところ言葉は少ししかはなせない
まいにち水やりしなくてはいけないので
よそに泊まれなくなった
かまって欲しくなると
甘えた声を出す
ひとり暮らしなのに声が聞こえる
隣近所で評判になっている
男がいるのかとうわさが広がっている
あと二、三本
もう少し増やしてみるか
「指を切ってさし木する」指は、誰の指か。ここは作中人物自身の「指」と採って良いと思います。その方が他人を介在させないので素直に受け止められます。では、その指は何の喩か。おそらく自分自身の精神的な分身で良いでしょう。「かまって欲しくなると/甘えた声を出す」自分自身、と採りました。「あと二、三本/もう少し増やしてみるか」というのは、もっと分身が必要だということでしょうか。好奇心旺盛な作中人物の姿を想像した作品です。
○個人誌『水府』10号 |
2006.12.1 熊本県熊本市 三浦房江氏発行 非売品 |
<目次>
街灯…2
日々の断章…4
水平線…16
20日
一文字ずつ升目を埋めていくことから
それほど時間はたっていないのに今は
ぴょんとキーを叩けば文字が踊りでる
無機質の音のなか日々の仕草の一部だ
21日
世は情報という渦の中に右往左往して
街通りを歩けばあちらでもこちらでも
手には携帯キー叩き背中合わせの話声
机の隅には今も出番を待つ鉛筆がある
22日
最先端の新製品だった明治維新のころ
きれいに削り揃えられた大切な筆記具
筆跡を残すという重大な役目があった
わずか一〇〇年進歩と呼ぶのか鉛筆よ
あとがきには「ひょんなことから昨年の三月から一年間、毎日詩を書いてという日々を送りました。四行で同じ文字数で日記風に、ということで書き始めまして、どうにか一年間続けることができました。今回の水府にはその三カ月分を載せました」とあります。ここでは4月20日から22日の分を紹介してみました。「四行で同じ文字数で日記風に」というのは結構難しいと思うのですが、きれいに纏められていることに驚かされます。内容も現代を鋭く捉えていて、特に「鉛筆」への思いが深いと云えましょう。おそらくこの手法は初めてではないでしょうか。残った9ヵ月分が公表されることも楽しみですし、ここからどんな展開になっていくのかも期待したい試みです。
(12月の部屋へ戻る)