きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.11.04 仙台市内




2006.12.23(土)


 午後から東大の駒場キャンパスへ行ってきました。日本詩人クラブの雑誌『詩界』編集委員会です。10人ほどの委員とともに250号の校正と次号、251号の原案を作ってきました。250号は3月末の発行となると思います。会員の皆さまはお楽しみにお待ちください。かなり充実していると自負しています。251号は新しい理事会が引き継ぐことになりますので、原案から変更の可能性もありますが、ま、大きくは違わないでしょう。
 編集会議が終わって、恒例の懇親会は例によって教授方のレストルームで。 11階からの夜景を楽しみながら赤ワインをいただきました。これで今年の日本詩人クラブ関係の行事は終わりです。今年も大勢の皆さまにご参加いただき、ありがとうございました。来年も5月の理事改選までは行事が目白押しです。今年にも増してご協力いただけると嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。



なたとしこ氏詩集
『地図帳のない時間へ』
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2006.12.26 大阪府箕面市
詩画工房刊 2000円+税

<目次>
 楽譜
楽譜 10                  ひな芥子 12
蜂 16                   トラねこが ふぃん 20
縁側 22                  つつ つつ 26
あじさい 28                ねじ花 32
 
もがり笛など 36              海 38
蝉 40                   だらだら坂 44
渦 48                   熊笹 52
揺れないで 56
 一枚の絵 −そしてバラと
一枚の絵 −そしてバラと 62        ナヌムの家・ハルモニ像 70
欅 74                   わらべ唄のように 78
地図帳のない時間へ T 82         地図帳のない時間へ U 88
遠雷 96
 あとがき 99                装画・なたとしこ



 地図帳のない時間へ T

これ迄帰郷するたびに 素人ながら修理してきたけど
雨漏りがひどくて
土蔵も もう俺の手におえないから
この際 壊して平地にする
ついでに 母屋の住居部分を手直しするから
としちゃんの部屋だった二階にある物
整理しておいてくれないか――
弟の言葉に従って
大きな風呂敷三枚をもって 鍵をあけ
誰もいない実家の二階にあがった

弟が静岡に新居を構えたあとの
母と二人だけの長い独身生活がよみがえる
遅い結婚をし
子を生み
母の住むこの家へ
正月に 盆にと 幾度となく泊まりに来た
赤子用の布団も その時添い寝した私の布団も
そのまま少しの汚れもなく 夜具入れにたたまれていた

布団を風呂敷に包み
そろりそろりと箱階段を降りて 車に積む
母が逝って十八年
静岡から度たびは帰ってこれない弟の
誰もいないところで始まる家の改造
〈大変だよ 母さん
 母さんとの日び
 やっぱり 私は
 残らず全部 嫁ぎ先へ持って行くよ〉

布団を積み終えて
昔の私のタンスに 母が何事か大切にしまっておいた
桐箱のふたを開けた
皮の巻きタバコ入れ
陸軍伍長の上着の肩についていたのか
赤い布につけられた星型の記章一組
汗にまみれたベルトひとすじ
男物の腰ひも一本
そして軍国の妻と記した 薄い手帳
父が戦士して以来の
五十年近く旬日々を
ひっそりと包まれ ただひたすら母の胸に
(いだ)かれ続けてきた物たち

レーテ島の玉砕で 父は戦死したというが
レーテ島という島の
密林の翳
(かげ)りひとつも 私は知らない
母は知らない
よしや 何かの映像で知ったとして
私たちの時間は 古い地図帳の上に
どのようにして置かれていたろう
母は生きたろうか
地図帳にあって地図帳にはない時間の中を
母が生きた
果てしない ぼうぼうとした時間の中へ
際限なく 私もいまから入って行くことになるだろうか

桐の箱は少しの破損もなく
ただ茶褐色の表に年代を写し出している
布団を運んでしまったあとで
白いタオルに くるくるとそれらを巻き包みながら
私はたしかに旅立ちはじめる
父と母の時間へ
母が届くことのできなかった地点へ

どのような振りをしてか
どのような声をあげてか
必らず かならず
たったひとつの指標をみつけ出そうとして

 タイトルポエムの「地図帳のない時間へ」は「T」と「U」があります。ここでは「T」を紹介してみました。「私たちの時間は 古い地図帳の上に/どのようにして置かれていたろう」というフレーズに胸が熱くなりました。おそらく著者が詩を書く原点がここにあると思います。そして「地図帳にあって地図帳にはない時間の中」、「果てしない ぼうぼうとした時間の中へ/際限なく 私もいまから入って行くことになるだろうか」という意識は決して諦観ではないと思います。「母が届くことのできなかった地点へ」挑むという、ある種の向日性を感じました。戦争の影は決して終わっていないことを改めて感じた作品です。



瀬戸口宣司氏著
『表現者の廻廊 井上靖残影
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2006.10.25 東京都千代田区
アーツアンドクラフツ刊 1500円+税

<目次>
井上靖残影
孤独なる詩情 8
井上靖と「福田正夫詩の会」 15
「日常」に閉じ込められる時間−井上靖詩集『傍観者』 28
冷徹で暖かな眼差し−井上靖『レンブラントの自画像』 31
人生の歓喜と絶望−井上靖詩集『シリア沙漠の少年』 34
詩人としての永劫の眼−井上靖『河岸に立ちて』 37
初期詩篇集『春を呼ぶな』解説 40
初期詩篇集『春を呼ぶな』 の編纂のこと 48
下北半島『海峡』の文学碑 63
「わたしの孔子」のいきさつ−井上靖先生の國學院大學での講演 58
靖の芽を育てる−井上ふみ『やがて芽をふく』『旬菜歳時記』 69
人生を支えてくれた温かい言葉−黒田佳子『父・井上靖の一期一会』 74
表現者の廻廊
寺山修司と『少女詩集』の世界 80
寺山修司「家出のすすめ」の美学 85
「渋谷文学」のこと−石川年氏からの寄贈本 89
「自由詩人」の死−小田原の永田東一郎氏 94
底流に見える自然な現実−鎗田清太郎詩集『石川の貝』 97
言葉による非現実の実在化−鎗田清太郎詩集『幻泳』 100
内部凝視と美しい透明感−高橋渡詩集『犬の声』 104
死と生の変転を見据える−高橋渡詩集『見据える人』 107
光のなかのこころの影−迢空詩歌抄「夏日感傷 四章」 109
徳島の詩人 冬園節さんを偲ぶ 112
尾道の詩人 西川修君のこと 114
西岡光秋小論−西岡光秋詩集『アルバムの目』 117
渋谷文学散歩
志賀直哉(渋谷区常磐松四〇) 122
与謝野鉄幹・晶子(渋谷村字中渋谷) 126
丹羽文雄『恋文』(渋谷区栄通り一丁目五番地) 130
鈴木三重吉(東京府下代々木山谷) 133
中原中也(東京市千駄谷) 136
北原白秋(府下千駄谷原宿八五) 139
獅子文六(東京市千駄ヶ谷二−四七四) 142
宇野浩二(府下渋谷町中渋谷・上渋谷) 146
徳富蘆花(豊多摩郡千駄谷村字原宿) 149
西脇順三郎(渋谷区宇田川・代々木本町) 152
福田正夫賞選評
第七回 松島雅子詩集『神様の急ぐところ』156/第八回 金井雄二詩集『動きはじめた小さな窓から』158/第九回 黒羽由紀子詩集『夕日を濯ぐ』159/第十回 麻生秀顕詩集『部屋』161/第十一回 吉田章子詩集『小さな考古学』164/第十二回 田村周平詩集『アメリカの月』165/第十三回 苗村吉昭詩集『武器』167/第十四回 李美子詩集『逢かな土手』 松田悦子詩集『ジジババ』169/第十五回 秋元炯詩集『血まみれの男』170/第十六回 石井春香詩集『砂の川』172/第十七回 畑田恵利子詩集『無数のわたしがふきぬけている』174/第十八回 早矢仕典子詩集『水と交差するスピード』176/第十九回 中村明美詩集『ねこごはん』177
あとがき 180
初出一覧 183



 直哉は父親との間に、思想的問題や結婚問題などで長いあいだ不和の状態があり、その確執は十数年ものあいだ続き、直哉の青年期の人間形成の上に、大きな影響があったことは有名であるが、この間の事情は小説『和解』に詳しい。
 直哉はこの不和が原因で二十九歳の時に家を出て、その後転々と住所を変えることになる。主な場所をあげると、尾道、京都、我孫子、松江など。「若い頃から色色な所に住んだ事今でもよかつたと思つてゐる」(昭和三十年八月九日、中江孝男宛書簡)と晩年は回想しているが「転居 二十三回」と題する談話では「まあ二十三回も引越せばもう沢山だといふ気も一方ではするのです」(「心」第十一巻第七号、昭和三十三年)とも語っている。
 この二十三回日の新居が渋谷区常磐松四〇。現在の渋谷区東一−十二−十であり、昭和三十年五月二十九日、直哉七十二歳の時であった。常磐松小学枚の近くで閑静な住宅地。國學院への通学路をちょっと横にそれた所にある。「新居は未だ何となく馴れず熱海の海の景色には未練がある。然し何事も便利な事は便利……」(三十年九月五日付、安倍能成宛書簡)。
 常磐松で書かれた作品には「祖父」「白い線」「八手の花」「盲亀浮木」等があるが、随筆や座談会、対談の仕事が多い。四十年頃からは老人性白内障のため読書もままならなかった。
 昭和三十九年五月二十九日付の書簡(中江孝男・壽々子〈三女〉宛、この手紙は五月十日から一週間ほど九州へ旅行した折、宮崎県小林市に住む娘の嫁ぎ先に立寄った時のこと)に「今度は色々とありがたう 帰つたら案外疲れも出ず出かけ皆とゆつくり会えてよかったと思つた 孝男さん壽々子もお疲れの事と思ふ 帰つて草加せんべ國學院の女学生で草加から通つてゐる人に頼んで送らせた ダンボールでよく荷造りさしたと昨日路であつたら云つてゐた……」と國學院の名前が出てくるが、この女学生≠ェどなたなのか興味があるが今のところ分からない。
 直哉は昭和四十六年十月二十日、肺炎と全身衰弱のため八十八歳の生涯を閉じた。

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 紹介した文章は「渋谷文学散歩」のうち「志賀直哉(渋谷区常磐松四〇)」の後半部分です。「渋谷文学散歩」の執筆意図をあとがきで次のように書いています。<「渋谷文学散歩」は、渋谷にある大学の学生が、何か興味をもつようなものを提供しようとはじめたが、たかだか十回ぐらいでは当初の目的を達してはいない。これは機会があったらもっと調べてみたいと思っている。住所表示は発表当時のままにした>。「渋谷にある大学」とは著者が勤務している國學院大學のことのようで、「何か興味をもつようなものを提供しようとはじめた」という姿勢に感銘しました。
 「志賀直哉(渋谷区常磐松四〇)」はそういう意図で書かれた作品の一篇ですから、前半では志賀直哉の作品や交友の一般的なことが出てきます。それに対して後半は渋谷にまつわる話で、特に女学生≠フ調査などは文学史的にもおもしろいものでしょうね。
 本論の「井上靖残影」、「表現者の廻廊」も肩の凝らない内容ですが、特に「井上靖残影」は直接井上靖に接していた著者のエッセイですから深いと思います。お薦めの1冊です。



詩誌『阿由多』8号
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2006.12.10 東京都世田谷区
阿由多の会・成田佐和子氏発行 500円

<目次>
胡桃/新川和江
いま どこに…/柴田節子 6        白椿/高梨早苗 8
婚約/田中聖子 10             時に呼ばれて/土井のりか 12
再会・再々会/冨成美代子 14        石は/成田佐和子 16
泣く女(ピカソその一)/野邑栖子 18     お花見/風里谷歌子 20
秋・逝く人/前田嘉子 22          緑の星/宮本智子 24
日曜日の朝/大内清子 26          涸れた池/小関秀雄 28
紅梅/滝 和子 30             トネリコの矢/小川淳子 32
シュノンソー城にて-フランス-/川崎美智子 34  二月 −豆まき−/窪田房江 36
足音/関 和代 38             遠い記憶/前田一恵 40
メロンの両サイド/近藤明理 42       十階のベランダから/さとうますみ 44
あとがき
同人住所録
表紙簑刻文字/成田佐和子



 紅梅/滝 和子

今年も咲きました

君と行った農業祭
六百円で買った鉢植えの紅梅
たくさんのつぼみを付けていた

茶の間から眺めている
数えていたね
三分咲きぐらいのつぼみもあった

一緒に植えてから三十年近いね
いつの間にか
君の背丈くらい…

ひとりで梅の声きいている
小さい花
まるで産まれたての赤ちゃん
枝々にちょこん
ちょこんといるようだよ

――雲の上の息子ヘ――

 最終連に全てがある作品です。「息子」さんは現在「三十」歳ぐらいだったんだろうということしか判りませんが、いろいろと想像することができます。仲良く「農業祭」に行ったこと、「たくさんのつぼみ」を「数えていた」こと、「鉢植えの紅梅」を庭に「一緒に植え」たこと…。短い言葉の中に楽しかった母子の様子があふれ出て来るようです。今は「ひとりで梅の声きいている」母の姿に胸が熱くなる思いをしました。



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