きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.11.09 表参道「Gallery Concept21」 |
2007.1.5(金)
特別展「江戸城」があるというので両国の江戸東京博物館へ行ってみました。特別展の方は、あまりにも展示数が多く、しかも古文書などの文字を見る展示が多かったので、正直なところ疲れました。それに対して常設展の方は良かったです。特に関東大震災、空襲、戦後の復興などは圧巻でした。むしろ展示数が少ないと思ったほど。戦時中の学童疎開などは証言も展示物ももっと多くあるはずなので、そちらの充実を望みたいですね。いずれにしろ、江戸時代から戦後復興期の東京の歴史は、また日本の近代・現代史の代表であると思います。機会があれば皆さんもぜひ行ってみてください。図録は小学校高学年から中学生向けの『みてみよう江戸東京博物館』がお薦め。安い(たしか200円)上にコンパクトにまとまっています。
○個人詩誌『犯』30号 |
2007.1.1
さいたま市浦和区 山岡遊氏発行 非売品 |
<目次>
詩
エンヤートットと「念」の季節がはじまる
ダーマーといっしょ
まけもの
エッセイ つれづれに
あとがき
エンヤートットと「念」の季節がはじまる
その光景をわたしは
二万年後には〈剣山〉という名で呼ばれる
頂きから眺めていた
はじめは漠然と
たぶん
低空飛行を続ける竜だろう、と思われたが
よーく眼を凝らして見ると
なんとその正体は
青々と生い茂った叢を行く
二十頭ほどのナウマンゾウの行列であった
瀬戸内がまだ淡水湖だった頃の
ほとりに出た一行は
やがて
汀を超え
気持ち良さそうに湖水に
疲れたからだを浸す
切歯を互いに
天に向けて
悦びをひろげ合うかれらもまた
ココナッツ・オイルの香りがするのだろうか
夢から覚め
ベッドから起き上がる
時の背後で
巨大な影が崩れ落ちてゆく
五時間後のわたしは
新宿歌舞伎町で
見事に薄く捌かれたふぐ刺しを食らっている
外は天泣
街は貝になった
ビールで胴を満たし
皮をぱんぱんに張りめぐらせ
ドラム男になってゆく
誰かに弾かれればすぐさまおおげさな音を出す
かなわねば
自ら音を出して街中をうろつきまわる
ビー卜は
8でも
16でもない
〈エンヤートット〉
である
エンヤートット エンヤートット
ドアを開ければビール瓶がとんでくる
そんな飲み屋を探して歩く
エンヤートット
そてい ハンド・アックス
足元には措定の 握 槌 と
彫琢の現代詩が
無造作に転がっている
生き埋めになってしまえば使えない代物だ
風のアルペジオ
雨のストローク
言葉の果てに・・・・なぜまた言葉
エンヤートット
エンヤートット
遠い人の運命が呼んでいる
願いの
季節は
逝った
最初の2連は「夢」の中でのことですが、これはこれでおもしろいと思います。特に「低空飛行を続ける竜」。それ以降は現実≠ノなっていくわけですが、ここもそうたやすい現実ではありません。「足元には措定の握槌と/彫琢の現代詩が/無造作に転がっている」のです。しかも「生き埋めになってしまえば使えない代物」。痛烈な「現代詩」への批判と受け止めました。「無造作に転がっている」状態から如何に立ち上がるか、それを突きつけた作品だと思いました。
○詩誌『墓地』58号 |
2007.1.13 茨城県古河市 山本十四尾氏発行 500円 |
<目次>
オカメと衣通(そとおり)――結城農場さくら見本園にて/大掛史子
青い蠢き/岩崎和子
桃/石下(いしおろし)典子
色にくし/山本十四尾
色にくし/山本十四尾
熊笹の花をみにいく 六十年に一度しか咲かない花だ
そんなに長い時間をかけて咲いてくるのだから 燃えたぎ
る深紅色であるにちがいない そばに寄るだけで火傷する
くらいの女の情念の色合いであってほしい 希みをもって
晤(あ)いに来たのだ
変哲もない白い花 一花
ひと
熊笹の花に似た女は からだの美快とは逆に 透き徹るほ
ど色にくしの容色 この落差のおもしろさは野を分けて下
りかけている時分を忘失させる
くちびる
花の心音は聴き 色にくしの動悸を吻できいている
「六十年に一度しか咲かない花」であるというのに、実は何の「変哲もない白い花」。しかし、その「花に似た女」は「色にくしの容色」。「この落差のおもしろさ」に着目した作品ですが、妖艶という言葉が合うのでしょうか、幅広い山本十四尾詩の中の重要な一角を示した作品だと思います。もともと女性を描けない私には無理なことと感じながら、こんな詩も書いてみたいなと思いました。
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