きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.11.09 表参道「Gallery Concept21」




2007.1.16(火)


 生まれて初めて、ということは何歳になってもあるものだなと思います。今日の生まれて初めては、精米。糠付きの米30kgを精米所に持って行って精米してもらいました。ときどきコイン精米所を見かけますから、自分でやったことのある人も多いかもしれませんね。私はこの歳になってそんなこともやったことがないのです。

 新潟県南魚沼郡に親戚付き合いをしている農家があって、毎年暮になるとコシヒカリの新米を30kg送ってくれます。今までは嫁さんが精米所に持って行っていたようですが、今年は私がやってみました。別に大してことではなく、精米所に米を渡して、30分ほどして戻って来ると精米された米が出来ているというだけです。それでも妙に感激しましたね。お店のおかみさんが「これは良いお米ですね」なんて言ってくれたものだから、ちょっと有頂天になったりしました。「糠はどうします?」と聞かれて、???。そうか、糠味噌の糠はこれを使うのか! もちろん糠味噌なんて嫁さんが作るわけはないからいりませんと返事しましたけど、自分が如何に世間の常識から外れた生活をしてきたか、ちょっとショックでしたね。

 まだまだ生まれて初めてってことはあるんだろうなぁ。会社と詩しか考えて来ませんでしたから、退職して世の中を見回してみると、サラリーマンの世界がいかに浮世離れしていたかが判ったような気になっています。そういえば、浮世離れしている会社のなかで、お前は浮世離れしている、と言われていたなぁ。リハビリにはまだまだ時間が掛かるようです(^^;



牧南恭子氏著
三冬塾ものがたり 秋のひかり』
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2007.1.30 東京都大田区 学習研究社刊 619円+税

<目次>
出世魚 5
風前の灯火
(ともしび) 41
(ふすま)の下貼り 92
小田原の風 129
当世筆子事情 169
秋のひかり 203
ムラサキシキブ 243



 三冬塾(さんとうじゅく)は入塾待ちもいる江戸の名門私塾。塾頭の瀬川多聞は、弟子三人にゆき遅れの娘も手伝わせて手習所も開き、少々堅物であるが名望もある。だがそんな多聞も、幕府という組織の埒外、政争とは無縁の立場にいるとあれば、昌平校時代からの親友で幕臣の田島にとっては格好のぼやき相手だ。今日も田島は宮仕えの苦労と朋輩の出世をぼやきに訪れた。だがそれが、多聞に若き日の忘れえぬ女(ひと)との再会をもたらすことに……

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 日本ペンクラブ電子文藝館委員会でご一緒させていただいている著者より頂戴しました。ありがとうございます。
 市販の本ですから詳しくは触れられません。裏表紙に書かれた紹介文を上に載せました。瀬川多聞の人間性はもちろん、登場人物の一人一人が個性豊かに描かれている作品です。江戸にもあった耐震強度偽装事件、「小田原の風」は私が住む地域を流れる河の下流の話、表題作「秋のひかり」と「ムラサキシキブ」はやはり圧巻です。江戸も東京も変わらぬ汚職の世界。江戸の世を借りた現代への鋭い批評であると思います。ぜひ書店でお求めください。おもしろいこと請け負います。



個人誌『風都市』16号
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2007冬 岡山県倉敷市
瀬崎祐氏発行 非売品

<目次>
情事・・・・瀬崎 祐
日常・・・・川野圭子
海を盗んだマリアンヌを捕らえるための詩・・・・瀬崎 祐
□寄稿者 川野佳子
□写真・装丁 磯村宇根瀬



 情事/瀬崎 祐

彼女の実家は大きな農家だ。家人が出払った昼下がりに
情欲がつのり、庭に面した座敷の障子を閉めて、彼女と
二人で布団の上に横たわる。薄い胸をはだけると、乳頭
のように見えていたのは小さな皮疹であった。もう水に
伝染したわよ、かすれた声で告げる彼女の顔は、いつの
まにか皮疹だらけになっている。

彼女の暖かさを感じていると、帰宅してきた子どもがい
きなり部屋の障子を開ける。あわてて彼女と一緒に布団
の中にもぐりこんだが、見つかってしまったかもしれな
いと思う。布団のなかの暗闇には絶え間ない川音が充ち
ている。そういえば、彼女の家系は川からやってきたの
だった。

いそいで服を着て、反対側の出口から逃げだそうと考え
る。しかし 障子の向こうの庭先にはすでに彼女の父親
が仁王立ちにかまえている気配が感じられる。逃げるこ
とをあきらめて部屋の外へでると、玄関口に彼女の両親
が並んで座っている。その前に正座して黙ってうなだれ
る。両親はすこし悲しそうだ。父親が静かな口調で語り
かけてくるが 声が何かに吹き消されているようでよく
聞き取れない。いつのまにか、彼女もどこかへ消えてし
まったようだ。

放心して家の前にたたずんでいると、小川のそばで近所
の子ども達がなにやら騒いでいる。このあたりでは川水
に起因する風土病が蔓延している。その疾病の治療にと
配られたのにどうしても飲みきれなかった丸薬を、天神
様へ、と言いながら、小川の中に水没している平らな石
の上に並べているのだった。

 たしかに「情事」には違いないのですが、本当の相手は「彼女」ではなく「川」なのではないかと思われます。あるいは「彼女の家系」そのものが相手なのかもしれません。「皮疹」や「川水に起因する風土病」はその「情事」の結果と捉えることができるのではないかと考えています。
 しかし、この作品はそういう解釈≠ヘ不要で、物語の世界そのものに詩があるとも思います。小説や散文ではこの「情事」は描けないでしょうね。「小川の中に水没している平らな石の上に」「飲みきれなかった丸薬を」「並べている」「子ども達」。その姿こそ瀬崎ワールドの本質なのかもしれません。



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