きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.11.09 表参道「Gallery Concept21」




2007.1.18(木)


 静岡県伊東市の一碧湖畔にある「池田20世紀美術館」へ行ってきました。「万華世界の連作版画 東西10作家
」展があり、ハンス・ベルメールの版画が展示されると昨年暮に学芸員より聞いていたからです。シュールリアリズムの祖と言われるロートレアモンの詩集『マルドロールの歌』の挿絵作家としても有名ですから、ご存知の方も多いかもしれませんね。久しぶりに原画を観て、ちょっと興奮しています。美術館で発行している図録は持っているのですが、モノクロのためそのイメージが強く残っています。しかし原画を見ると、赤系統の版画があったりして、改めて印刷物との違いを認識しました。あぁ、あの卑猥さがたまらない(^^;

 今回は他に瑛九のフォト・デッサン、尾崎愛明 [連続する人体] (シルクスクリーン)などが印象深かったです。これは絶対に図録が欲しい!と思ったのですが、造っていないとのこと。おいおい、それじゃあまた行かなくちゃいけないじゃないか! 3月末まで開催されていますので、もう一度ぐらいは出向きたいと思っています。
皆さんもよろしかったらどうぞ。



個人詩誌『凪』16号
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2006.2.28 千葉県八千代市
星清彦氏発行 非売品

<目次>
拍手を 2      しゃがむわたし 4
第二最上川橋梁 7  白い建物の三階から 11
春の土手を 15    近隣公園 17
夭折の詩人達(3) 田中古代子と田中千鳥 〜親子の詩人と作品について〜 19
受贈詩誌及び詩集等一覧 あとがき 30



 春の土手を

漸く冬がとろけて春になった
大きな夕日を背に
学校帰りの子供達が通る
女学生達の自転車が南風を曳いてくる
にこやかに老夫婦が散歩する
豆腐屋の喇叭が私を追い越して行った
春の土手は日一日と賑やかである

夕餉の支度か
家々の窓からは温かそうな湯気が昇る
それはまるでクルクルと
パーマネントみたいで楽しい
もうじき皆帰って来るのだ
温かそうなこの家々に
待つ人のある
春みたいなこの家々に
何気ないことの大切さや
何気ないことへの有り難さに感謝して
こうして静かに
土手に腰かけては
春の夕暮れを眺めている

 言語感覚の素晴らしい作品だと思います。「漸く冬がとろけて」「女学生達の自転車が南風を曳いてくる」「それはまるでクルクルと/パーマネントみたいで楽しい」などのフレーズに魅了されました。「こうして静かに/土手に腰かけては/春の夕暮れを眺めている」という最終部も佳いですね。作者のおだやかな性格が表出しているように思います。



個人詩誌『凪』17号
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2006.8.28 千葉県八千代市
星清彦氏発行 非売品

<目次>
春の土手を 2    半生 4
驟雨 6       ひまわり堂の爺さん 7
男坂まで 9     紫陽花 10
夭折の詩人達(3) 田中千鳥とその母古代子 12
受贈深謝 後書き 18



 驟雨

太った婦人の耳飾りは
じりり溶接されている
長く伸びたとうもろこしの髪が
重い風になびいている
腰かけようにも石のベンチは
もう誰も寄せ付けはしない
気持ちの悪い汗が出るから
金輪際儚い夢をみるのは止めよう
とらえ損ねた幸福みたいに
背いた空はカンカンに眩しい

急いで来いよ
今なら誰も不機嫌には
ならないだろう
いっそどんな記憶も
綺麗に洗い流してしまえばいい
だから今年も新しい夏

 こちらも佳い言語感覚だと思います。「じりり」という擬態語も面白いし、「耳飾り」が「溶接されている」という表現もユニークです。「長く伸びたとうもろこしの髪」は茶髪のことでしょうか。「とらえ損ねた幸福みたいに」という比喩にもおかしさがあって佳いですね。最終連の「だから今年も新しい夏」という詩語は、何気ないけど意外に遣われていないと思います。夏の絵にこの1行を添えると、立派な色紙になりそうです。



個人詩誌『凪』18号
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2007.1.8 千葉県八千代市
星清彦氏発行 非売品

<目次>
砂糖湯の想い出 2             脚立の上の楽園 5
午前九時のペイブメント 7         回帰 8
孤独な深海魚 10
夭折の詩人達(3) 鳥取の少女詩人 田中千鳥について 12
受贈深謝 30



 砂糖湯の想い出

運送会社の社宅が私の記憶の始まり
その幾つかの社宅の真ん中あたり
共同井戸のようなところが
母親達の社交の場だった
その井戸の二軒ほど隣の家に
足繁く遊びに行っていたことを
ぼんやりと覚えている
その家の子供は小児麻痺で
歩くことが叶わず
寝てばかりいなくてはならないのだった
だから小さい私などでも遊びに来てくれるのが
嬉しかったのかも知れない

それはその少年の母親が
作ってくれたものだった
砂糖湯を初めて飲んだ時の
たまらない感動
温かくて  甘くて
今までのどんな飲み物よりも美味しかった
子どもの私とその少年は
きっと顔を見合わせ
微笑んでいたに違いない
あまりの驚きで 家に帰ってすぐに
自分の家でも作ってもらったが
それは母の手で作られても
矢張り美味しかった
三歳か四歳の頃だから
昭和三十四年か三十五年の
戦争が終わってまだ十年と少しの頃の話である

けれども今では誰もあんなもので
感動する子供はいないだろう
むしろ不満顔になって飲みもしない筈だ
どれでも美味しいことは当たり前
大抵のことではもう感動なんて
ありはしない

決して豊かではなかったけれど
決して不幸ではなかったあの頃
一体何が幸せで
何が不幸せなのだろう
小さな匙一杯の砂糖しか入っていないお湯だけでも
幸せになれるほど
幸せはずっと身近にあった筈なのに
豊かであることと引き替えに
幸せは何処に置いてきてしまったのだろう
幸せは何処に飛んでいってしまったのだろう

掌の中で温かかった幸せを
あなたはまだ覚えていますか

 懐かしいですね、「砂糖湯」。「昭和三十四年か三十五年」、私は10歳ですから、作者は私より6、7歳若い詩人のようです。その頃まで「砂糖湯」があったのかと驚いています。たしかに「決して豊かではなかったけれど/決して不幸ではなかったあの頃」です。おっしゃる通り「幸せはずっと身近にあった筈」でした。「豊かであることと引き替えに」失くしたものが何だったのかと考えさせられた作品です。

 この3号で「田中古代子と田中千鳥」が論評されていますが、鳥取の詩人母娘で、二人とも故人です。母は明治生まれ、娘は7歳で亡くなっています。鳥取では小学校でも採り上げられているようです。作者は<ばら色のリボン>というHPで発見して、母娘の詩集を鳥取市立図書館から取り寄せて3回に渡って紹介していました。私もそのHPを覗いてみましたが丁寧に母娘の業績を紹介しています。よろしかったら検索してみてください。知られていない佳い詩人がいかに多いか、こちらも考えさせられました。



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