きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2006.11.09 表参道「Gallery Concept21」




2007.1.23(火)


 午前中は神奈川県開成町にある「あしがり郷・瀬戸屋敷」に行ってきました。江戸時代の豪農の屋敷を町が整備して公開しているもので、私の家からはクルマで5分ほどの処です。屋敷には蔵が併設されていて、そこで「あしがらの伝承と文化の会」が伊馬匣子(くしげこ)さんの朗読会をやるというので出向いたものです。匣子さんは私が出入りしている小田急線東海大学前駅近くの紙芝居喫茶「アリキアの街」のスタッフでもあり、ここのところアリキアにも行っていないので、近くに来たのだから顔を出さないわけにはいかないなと愚考した結果です。

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 30人ほどが集まっていたでしょうか、ほとんどが文化の会の人のようで知っている人は一人もいませんでした。しかも男は私と館長さんの二人だけ。あとはみんな女性で、ちょっと戸惑いましたね。でも考えたら平日の午前中に来られる人なんて、主婦が圧倒的なんでしょう。イキの良い男はみんな働いているワな(^^;
 そんな女性陣に遠慮してストロボを使いませんでしたから画像はちょっとボケていますけどご容赦ください。匣子さんの父上である童話作家・伊馬春部の作品から「いたずら三ちゃん」「コケコッコ百貨店」の一部、吉野弘の詩「夕焼け」などを朗読してくれました。匣子さんの朗読はアリキアで何度も聴いていますけど、相変わらず優しい声で聞きほれましたね。
 最後まで残って、久しぶりに匣子さんともお話ししたかったのですが、早ければ正午に工事の業者さんが来るという約束があって、途中で抜け出してしまいました。残念。たまにはアリキアにも出向いて、今度はゆっくりお話ししましょう!



浅見洋子氏詩集『マサヒロ兄さん』
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2003.7.5 東京都国立市 けやき書房刊 2000円+税

<目次>
歩道橋
朝 6         シーソーゲーム 10
吐血 14
.       養命酒 22
走馬燈一 24
.     走馬燈二 30
あしたは 34
三ノ輪の街で
不忍の池 48
.     三ノ輪の街で 58
コタツの灯 74
.    富有柿 80
通夜 88
.       葬儀の日 98
母ちゃん
母ちゃん 104     寒中水泳 110
天王様 116      隅田川の堤 122
マサヒロ兄さん
初七日 130      生きる 138
迷う 140
アルコール依存症
地下道 144      なまけもの 146
ひねくれもの 148   旅の終わり 150
最後のわがまま 154

第一詩集『歩道橋』のあとがき 158
第一詩集『歩道橋』の「跋にかえて」 164
『マサヒロ兄さん』のあとがき 168



 初七日

三月中旬の 隅田川の堤は
雨雲に つつまれ
昨日と うってかわって
ほんとうの冬に ぎゃくもどり
言問橋の、たもとに
ダンボール箱が 三つ四つ
たてかけた なかに
人のけはいと すえた臭い
人間のかもしだす すえた臭いは……
マサヒロ兄さんの 初七日のことだった

長姉は 自分の家に戻り
ユキオ兄さんは 友だちとでかけてた
母とわたしっきりの わが家の裏口に
弔問の客が おとずれた

すえた臭いが 鼻をつく
いきなり
まっ黒な男が頭をさげ 立っていた
ぼさぼさの髪 のびほうだいの髭
半長靴と 長靴
垢まみれの ボタンのとれた外套
わたしは 思わず身をひいた
「あっ あの……
 ここアサミさんの うちだよね
 アサミさん 死んじゃったって
 きいたもんだから……
 あの あのう…… これ……」
つぎのあたった 上着のひじ
広げた両手で 上着をこすり
胸の 内ポケットから
しわだらけの 千円札をだし
左の ズボンのポケットから
まるまった 千円札をだし
「アサミさんに お線香
 かってやってください」
まとめて ぐいっとつきだした
「こっ これ ちゃんとした 金です
 アサミさんが 死んじゃったって
 きいたもんだから……
 おれ 三日だけ 土方
(どかた)にでたんだ」
びっくりしている 母とわたし

男は 二千円をつきだしたまま
「おれ ときどき ゴチになっていたんだよ
 だから これで……
 アサミさんは
 おれを 人間として あつかってくれたんだ……
 これで アサミさんに線香をあげてください」
年は マサヒロ兄さんとおなじくらい
「どうぞ おあがりください」
そういって 母をふりかえった
「マサヒロは 二階の座敷に まつっております
 どうぞ お線香をあげてやってください」
母は頭をさげ いった
男が 目をまるくした
首を強く 左右にふって
「おれたちみたいな もんは
 しろうとさんの家に あがれないよ
 ほんとうなら 家の前に立っただけで
 めいわく かけちゃうんだから」
「どうぞ そんなことを いわずに……」
「いや いけないよ あがれないよ
 だから 人目につかないよう 夜きたんだ
 この金で あんたが 線香かって
 あげてくれると いいんだ……」
二千円を つきだしたままいう
「わかりました ありがとうございます
 よろこんで ちょうだいいたします
 お母さん あした お線香をかってくる」
「ほんとにいいかい ありがとうよ
 この金 うけとってくれるのかい
 あっ ありがとう……」
男の二千円を おしいただいた
「妹さんと おかっさんだね おれ
 きてよかったよ おれたちに 缶ビール
 おごってくれたとき いってたよ
 『おれは 山谷の人間じゃないんだ
 おれは この土地で
 生まれた 機械屋のせがれだ
 おれには 親弟妹がいるんだ』って
 呑みながら いってたよ」
「あのう どちらさまでしょうか……」
「ああ おれ 名前なんかいいんだ
 とっくに 世間とおさらばしているんだ
 でも アサミさんは
 おれたちに よくしてくれたから
 めいわくになんねえように 夜きたんだよ」
「マサヒロは いろんなとこに
 しりあいが いたんだねえ」
母は 二千円を仏壇にそなえ 鐘をならした

年の瀬も おしせまったころ
酒屋さんの前で あの男の人が
仲間とコップ酒を まわし呑みしていた
おじぎをしかけた わたしに
きっと 鋭いまなざしが 返ってきた
――おれらに しろうとの娘さんが
  あいさつしちゃ いけないよ
  あんときかぎりの えんなんだ
  知らんふりして さっさといけよ

その日以来
町で その男を みることはなかった

――マサヒロ兄さん
  あなたという人は……

 47歳という若さで亡くなったアルコール依存症の「マサヒロ兄さん」を描いた3冊の詩集を編み直した詩集です。著者の詩の原点となったという「マサヒロ兄さん」の壮絶な生き方、死に方が満ちた稀有な詩集だと思います。紹介したのは亡くなって「初七日」を迎えた日の夜のことのようですが、「男」が語る兄の一面に感動すら覚えました。何度も警察の厄介になり、その度に著者が迎えに行ったという「マサヒロ兄さん」だからこそ、人間を「人間として あつか」うこととはどういうことなのか判っていたのかもしれません。男の「あんときかぎりの えんなんだ」という態度にも共感します。当事者の家族が語るのではなく、第三者の「男」に兄を語らせるという点が成功している佳品だと思いました。



木村和彦氏句集『原人』
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1972.3.18 神奈川県大和市
海程社刊 700円

<目次>
直立の哀しみ――序にかえて/金子兜太 3
軌道無限 11
石 昭和三十八年
縄 〃 三十九年
斧 〃  四十年
土橋幻影 45
藁 〃 四十一年
煤 〃 四十二年
繭 〃 四十三年
原人哀哭 71
杵 〃 四十四年
貝 〃 四十五年
絹 〃 四十六年
キムラ原人考――あるいはその反歌/佃 悦夫 101
あとがき 木村和彦 118
装幀/大石雄介 カット/池田美代子



いっぽんの木を伐り原人に近づく

原人が恐怖する貝殻の山裾

原人怒る嗚咽ひろがる流域に

枯山から原人が来る川を怒り

 35年前に出版された第一句集です。俳句についてはまったくの門外漢ですので、タイトルの「原人」が遣われた句を紹介してみましたが、いずれも「原人哀哭」に収められていました。あとがきによれば「原人とは長い長い試行錯誤の果てに、直立歩行をはじめたばかりのぼくの分身でもあり」、解説の「キムラ原人考」の助けを借りれば「原始時代から古代人までをも包含させ、拡大解釈された、人間の原点としての原人意識的原人」という意味になりそうです。そこには「原人」から見た現状や現代人への「怒り」が表出しているのだと読み取れます。

 これらの句が書かれた1970年当時の日本を振り返ってみると、高度成長期の真っ只中であり大きいことはいいことだ∞消費は美徳≠ネどの馬鹿げた言葉が流行していた時代です。私自身もそんな言葉に乗っていたことを今だから反省できますけど、その時代に「原人が恐怖する」「原人怒る」句を書いていたことに改めて驚きます。句に対する技術的な感想は述べられませんが、そんなことを考えさせられた句集でした。



木村和彦氏句集『さがみ野』
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1993.10.15 神奈川県小田原市
双弓舎刊 2000円

<目次>
絹のたぐいの(昭和四十七年〜五十年)5
母のこえ(昭和五十一年〜五十四年)27
冬の田は(昭和五十五年〜五十人年)43
帰らなむ(昭和五十九年〜六十二年)55
はつなつの(昭和六十三年〜平成三年)75
連作篇 (平成三年七月〜十二月)97
あとがき 109



汚れても絹のたぐいのどじょう棲む

茸の山は荒れているかと母のこえ

父のような肉感奔る冬の田は

桔梗抱いて水の故郷へ帰らなむ

はつなつのハードルを越え鳥になれ

はつなつのライトブルーの上半身

 こちらは20年後の第2句集です。各章の元になったと思われる句を紹介してみました。「はつなつの」は二句ありましたので両方とも載せています。この中では「冬の田は」に惹かれました。冬の田の、ある意味荒涼とした中で、次の季節へ向かう準備が「父のような肉感奔る」になっているのだと理解しています。
「連作篇」は「箱根彫刻の森」「箱根大涌谷」「赤い針箱」「酒匂川流域」「真鶴岬」の5回で、「赤い針箱」を除けば私にも馴染みの風景です。句集タイトルの「さがみ野」は小田原近郊を指し、作品をより身近に感じることができました。



総合文芸誌『中央文學』471号
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2007.1.25 東京都品川区
日本中央文学会・鳥居章氏発行 400円

<目次>
◆小説◆
髪/久坂幸緒/2              絵の中の人物たち/柳沢京子/9
辺地有情/曽根 聖/18
◆詩作品◆
縄文の空を見上げなさい/佐々木義勝/23   あの曲がり角/田島三男/25
イチゴ畑/田島三男/26
◆小品◆
球根の育て方/櫻井弥生/27         コーヒーゼリー/小田真理/29
◆俳句◆
一木の祈り/黒澤和夫/31
●編集後記● 32
●表紙写真●フランス/パリ/青空市風景●



 イチゴ畑/田島三男

乗る駅と
降りる駅の近くに
八百屋がある
時間の波に押され
駅に向かうとき
通りすぎる店先の
イチゴのパックに目をやる
電車にゆられ
目を閉じると
車窓の風景が
イチゴ畑に変わるんだ
まばたきのような
一瞬のことだ
電車を降りると
アスファルトと
コンクリートの街にもどる
降りた駅から少し歩くと
もう一つの店だ
ふと目に入るのは
同じような陳列の
イチゴについていた
花びら一枚
そのとき
春色の風が吹き
アスファルトと
コンクリートの歩く道が
一瞬
イチゴ畑に変わり
僕は
蜜蜂になって飛んでいく

 「電車にゆられ/目を閉じると/車窓の風景が/イチゴ畑に変わる」。それは「まばたきのような/一瞬のこと」。「そのとき/春色の風が吹き」、「一瞬/イチゴ畑に変わり/僕は/蜜蜂になって飛んでいく」。「時間の波に押され」ながら生活している日常の、一瞬の幻影ですが、この作品には暖かみを感じます。おそらく疲弊し切った通勤・勤務なんでしょうけど、それに流されない作者の勁さを感じ取れる作品ですね。



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