きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2006.11.09 表参道「Gallery Concept21」 |
2007.1.29(月)
西さがみ文芸展も今日がいよいよ最終日。今日も私の呼びかけに応じて女性が1名来場してくださいました。ありがとうございました。
ここで最終的なおさらいをしておきます。出品は西さがみ文芸愛好会会員が71点、特別展「藤田湘子展」が70点ほどの140点余りでした。入場者は初日72名、2日目63名、3日目63名、4日目61名、最終日71名の計330名。平均66名という盛況さでした。藤田湘子が主宰していた句誌『鷹』のお弟子さんたちの来場が多かったこともありますけど、地域に密着した活動を20年近くも展開している西さがみ文芸愛好会の底力だと私は思っています。私の呼びかけに応じてくれた方が7名もいらっしゃって、こちらも感謝。遠くは秦野、三島からもおいでいただきました。
写真は受付の女性陣です。最終日だからでしょうか、心なしか笑顔にも余裕を感じました。ところで、私も同じ場所に座って受付当番をやっていましたが、やはり女性の方がサマになりますね。ムサいおやぢが座っていると、それだけで客足が遠のいてしまうような…。これは女性は産む機械などとほざいた大臣と違って、女性蔑視とは思っていません。適材適所なのです。やはり女性は座るだけで華になる。
片付けのあとは会場で簡単な懇親会になりました。20名ほどのささやかな会でしたが、なごやかでしたね。小田原地方についてはよく言われることなのですが、気候温暖、海の幸・山の幸に恵まれているせいか温和な人が多く、まさにそれを絵に描いたような懇親会でした。セットしたテーブルの片付けも皆でやって、ゴミも分担して持ち帰ったのは当世風かもしれませんけど、積極的に持ち帰る人が多くて驚きました。良い会に入れてもらったなとつくづく感じた最終日でした。
○日達良文氏著『夕映えの信濃追分』 |
1999.8.10 神奈川県秦野市 夢工房刊 1800円+税 |
<目次>
はじめに 1
『夕映えの信濃追分』を読んで 堀多恵子 2
初めての信濃追分 9
停車場道 15
堀多恵子さん訪問記 21
明治・大正の追分 29
昭和十二年夏 37
油屋の火災 46
石井茂氏の『油屋物語』 53
浅間山 60
火山観測と演習地反対 60 慶長噴火記録の欠落 68
上州の記録と小諸高校の研究 76 高原に列車は走った 83
原村−追分サイクリング 87
追分節 93
馬と人が伝えた唄 93 大般若経奥書 101
馬群統御の唄 107. 草原の狼 112
昭和初期の「追分」放送 117
野火と草原 124
分去れの拓本採り 129
泉洞寺 137
繁栄の残照 137. さまざまな墓の風雪 143
蔓草の執念 150
御影用水 156
白秋の詩と追分の小字 166
分去れ 180
子持地蔵と台石の穴 180. 石造物の歴史 186
写真に見る変遷 195
碓氷線の終焉――バスへのカウントダウン 201
碓日嶺鉄道碑と『ふるさとびと』 208
信濃追分駅 216
参考文献ほか 233
あとがき 250
*カバー、文中の写真は断りのないもの以外は筆者の撮影です。
堀がその文学を後顧の愁いなく進められたのは外界、特に戦争という暴風を盾ともなって受けとめた夫人によってであり、ラディゲの生き方が基調にあったにもせよ実生活の基盤を支えた彼女に負う処は大きい。東京では隣組の防空演習に出て梯子に乗り(堀は奈良への旅)、信州へ来るには警察署へ行って移動証明を受けなければならず、戦中戦後東京−追分間をしばしば動いた二人だけに並以上の苦労があったと思われる。巡査にこの非常時に軽井沢かと言われても追分が拠点であってみれば耐えなければならなかった。そうでなければ移動地での配給は受けられない。又、追分では小諸への買い出しで乗り遅れ、無理矢理機関車に乗って帰るなど病人に心配をかけまいとしたにしてもできることではない。買い出しは誰もやったが普通列車が出たあとの貨物の機関車にどうして乗れよう。煙草と食糧の交換に数キロの自転車での往復や他の土地ならいざ知らず寒冷と荒地の追分で自邸の庭−記念館前を開墾し馬鈴薯を四十貫も穫るなどは並ではない。あの一帯は火山の焼石がゴロゴロ出てくる痩地である。病床での堀のために朗読してあげた本は数十冊に及ぶようだ。彼の精神の強靭さが言われるが、これを裏打ちし形成させたもののうちには他ならぬ夫人がいる。戦争も世事も作品に投影させなかった故にこそ、これらは見えない。堀文学をたどる上でこの視点ははずすわけにはゆかないと思う。
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西さがみ文芸愛好会副代表の著者より頂戴しました。1996年から99年まで『長野日報』に連載した「私の追分」を主としたエッセイ集です。堀辰雄が軽井沢追分で療養していたことはよく知られていることで、私がクルマで近くを通るときはああ、この辺が…≠ニ思うことはありましたけど、正直なところそれ以上の知識は持ち合わせていませんでした。その追分を明治から現在まで地図入りで紹介した貴重なエッセイ集です。
紹介したのは「昭和十二年夏」の最終部分で、堀辰雄夫人・堀多恵子さんと直接接した著者が、多恵子夫人の「戦争という暴風を盾ともなって受けとめた」事実を伝えています。私は堀文学を専門に研究しているわけではありませんけど、「堀文学をたどる上でこの視点ははずすわけにはゆかない」という主張はおそらく新しい視点ではないかと思います。その他「分去れ」の歴史的な検証も圧巻でした。堀文学を、そして「追分」を語るには欠かせない1冊だと思います。お薦めします。
なお著者より、自宅に在庫があるので希望者の便のため住所を記載いてもよいという許可を得ました。ご希望の方は下記までお申込みください。
〒259-0133 神奈川県中郡二宮町百合が丘2-28-6 日達良文様
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