きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.1.26 小田原「アオキ画廊」 |
2007.2.2(金)
何ヶ月ぶりかで四谷コタンに行って、奥野祐子さんのライヴを観てきました。彼女はいつも通りトリでしたが、その前のシンガーはバラエティに富んでいましたね。女性ひとり、ペア、男性ひとりで、例えば男ばっかりが続くなんてことがありますけど、それに比べると目先が変わって楽しめます。
奥野さんが持っている薔薇は、実は私が贈ったのです。理由は、特にありません。たまには薔薇でも持って行って歓心を買おうとしただけです(^^; たぶん喜んでくれたと思います。
ライヴに行く前の夕食で秋田の銘酒「太平山」を呑んで、コタンではバーボンをダブルで2杯呑んで、だいぶ酩酊しました。でも、お酒とライヴの組み合わせはこたえられません。楽しい夜を過ごさせていただきました。
○詩誌『ひょうたん』31号 |
2007.1.31 東京都板橋区 相沢氏方・ひょうたん倶楽部発行 400円 |
<目次>
村野美優/青いドア…2 空のターミナル…4 相沢育男/絶滅種…6 一夜城…7
水野るり子/雨のひきだし…8 水鳴きょうこ/穴に眠る鳥…10
柏木義高/あたらしいノート…14 長田典子/7:54…16
岡島弘子/しめる…22 中口秀樹/拒否する…24 敗北もない…26
大園由美子/信州 初詣…28 小原宏延/雨夜酒話…30
森ミキエ/英国式庭園…32 柏木義高/こもれび日記(24)(覆された宝石)のような…35
表紙絵−相沢律子
カット−相沢育男
空のターミナル/村野美優
想い出の方角が
夜空のように明るいので
おもわずそっちのほうに向かって
歩き出していた
むかし
狂ったように
わたしの気持ちで
踏み固めた道の上には
時劾表も行き先の表示もない
停留所があって
その前を空のバスがよこぎり
坂道の向こうからは
車椅子に乗った少女が
日差しを弾き返すように
笑いながら降りてきて
頭の上にそびえる
ユリノキ並木の向こうには
かなしいくらい自由な空が広がっていた
この澄みわたる空をわたれば
子供の頃の空の下に出られるだろう
そこを過ぎると
生まれる前の空の下に出られるだろう
そこまで歩けばターミナルがあって
きっとさっきのバスに間に合う
第2連の「わたしの気持ちで/踏み固めた道の上」という詩語も佳いけど、やっぱり1字下げの最終部分が佳いですね。時間を逆行させて、第3連の「その前を空のバスがよこぎり」に見事に繋がっています。「生まれる前の空の下に出られる」というのは多くの人の望みかもしれませんけど、そこをきちんと書くのが詩人の仕事。それをやった作品だと思いました。
○個人誌『aquarium』4号 |
2006.12 東京都八王子市 水嶋きょうこ氏発行 非売品 |
<目次>
**ゲスト**
● 木村恭子 卵…2
*******
● 水嶋きょうこ 座る人…4 スクリーンの中の海…10
【後記】…14
座る人/水嶋きょうこ
赤い傷口をぽっかりと開けた太陽が目の前に見えている。降り注
ぐ、ただれた光の中で、回り続ける薄い影が見え、しだいに、そ
の輪郭が明らかになってゆく。金属の輪だ。きしむ音が聞こえて
くる。車輪が砂利を跳ね上げているのだ。わたしは何かを押して
いた。手のひらに冷たい感触が沈み込む。はたはたと揺れる青い布
製の背もたれが見える。固い椅子。わたしは車椅子を押していた。
ゆっくりと重みを手の平に受け、歩きにくい道を押してゆく。背も
たれの上に前を向く人のほっそりとした首筋が浮かび上がり、陶器
のように冷たく光る首は、誰のものなのか、思い出せない。その人
を深く愛していたようでもあり、深く傷つけたようでもあり。「深
く」という言葉が、回り続ける車輪の中に、ふっと入り込み、こな
ごなになって燃えてゆく。座る人は、決して言葉を発しない。前を
向き、風になびく髪が、わたしの腕に絡まり、その人の小さな温も
りが確かに伝わって、わたしはいつまでもいつまでもその椅子を
押していかなければいけないのだと了解した。風が吹くと、手の
甲に黄色い紙吹雪のようなものがはりつく。冷たい、花びらだ。道
の両側には、吹き零れそうなキリン草が密集し、息苦しいほど群
れを作って並んでいる。強い太陽の光を浴びて花々の房がしおれ
てゆく。無数の花びらが風に舞い路上に流れ出した。動く車輪が
その上を踏み、ちぎれた、地面にはりつく花びらからは砂が零れ続
けた。踏むたびに増え続ける砂に車椅子はうまく進めない。砂利が
消え、砂の道が広がる。風でいたるところ砂塵が渦巻いている。ゴ
オォ、ゴオォと身を削る音が鼓膜に粘り着く。砂の中に足先が埋
まってゆく。わたしは、いつのまにか砂漠の道を歩いている。人々
の怒声や、何か遠くでものが崩れる音が響いてくる。わたしは椅子
の取っ手を握りしめ、足先に力を込めた。顔を上にあげ、辺りを
見渡すと果てしない荒野だ。黄色い砂塵が波となって目の前に打ち
寄せる。枯れ枝がどこまでも転がってゆく。こうしてひたすら広い
砂漠を眺めていると、燃えるものを置きたくなる。赤々と燃える木
を、家を、町を、切り立つ崖を。炎の中で、崩れ、細々と伸びてゆ
く塔を、わたしは無性に置いてみたくなる。「こんな景色を眺めて
いると細く燃え上がるものをその中に置きたくなるんです。」話し
かけても座る人はけっして答えてくれない。私はしかたなく椅子を
押し続ける。娘なのか、母なのか、柔らかな友人たちなのか、わた
しなのか、座る人が誰なのか、思い出せないのだが、臍の緒の先か
ら地の底につながれてくるまるように、わたしたちは一つの世界を
彷徨し続けていることだけはわかっていた。椅子の硬さが伝わって
手のひらが熱い。風が痛く皮膚にまといつく。座る人のしなやかな
弾力が大きくなり、風に舞う石礫とともにわたしの肌の中に入り込
んでくる。砂を巻き込む車輪の音は、風に交じり、赤ん妨の泣き声
にも聞こえた。声は上空へと上り、視線を彼方へと押しやると、小
高い砂丘の端の空が、薄くなり、細かくれれれれれと波状に歪んで
ゆく。その中にくっきりと浮かび上がるのは、わたしが置きたかっ
た一つの塔だ。わたしは車椅子を押し続け、塔のよく見えるとこ
ろにまでおぼつかない足取りで歩いていった。塔は、ただれた太陽
の光を浴び、空の裂け目を呼び込んで、赤々と燃え始め、からだを
くねらせている。わたしは重くなった車椅子を押し続け、燃える塔
にゆっくりと近づいてゆく。座る人、その人が誰なのか未だにわか
らない。わからないのだが、塔が巻き上げる炎の輝きを浴びて、座
る人は益々確かなものとなり、それに反してわたしは頼りないもの
となってゆく。塔は音をたて壁を割り、崩れ始めた。天に伸びる火
の柱となってゆく。赤々と火の粉がわたしに降りかかってくる。熱
くもなく、痛くもなく、ただ、この感覚をからだの中で燻る芯のよ
うに受け入れてゆくべきだと思っていた。車輪の回る音が炎の中で
続いている。砂が飛び散り、地面をたたき続ける、きしむ音。その
時、風に舞う炎を受け、大きく広がった、座る人のからだから堰を
切ったように、無数の文字が溢れだした。受け止めなくてはならな
い。手のひらで受け止めようとするのだが、文字は、火の粉ととも
に飛び散って赤々と流れてゆく。炎は大きくなって、その人もわた
しも一緒に交じりながら燃えてゆく。その人とわたしと冷たく回る
金属の車輪、車椅子は炎の中で一体となってからまっていた。天高
く、火の粉は散り、空が少しずつ割れてゆく。遠く、空の先へ車輪
が動き続ける音がする。わたしたちも行かなければならない。太陽
の傷口も割れだした。赤い隙間には、細い舌が、燃える無数の塔が
見える。その隙間へ、燃えさかる塔の中へ。赤々と流れる文字を追
い、終わりもなく、わたしたちは動き出してゆく。
「座る人」、「燃える塔」、「無数の文字」それぞれに何の喩であるか考えるのは非常に難しいことですが、例えば詩≠サのものと捉えてはどうでしょうか。「座る人」は「娘なのか、母なのか、柔らかな友人たちなのか、わた/しなのか、座る人が誰なのか、思い出せないのだが、臍の緒の先か/ら地の底につながれてくるまるように、わたしたちは一つの世界を/彷徨し続けていることだけはわかっていた」のですから、これは肉親と考えてよさそうです。「塔が巻き上げる炎の輝きを浴びて、座/る人は益々確かなものとなり、それに反してわたしは頼りないもの/となってゆく」となっていきますから「燃える塔」は自己の反照と考えられます。「無数の文字」は、最終的には「赤々と流れ」ていきますので、これは文字の行動への転化と読み取りました。それらを総合しての詩≠ナあり、散文では描けない世界を表出させた作品だと思いました。
○坂本梧朗氏著『おれの場所』 |
2007.1.21 東京都文京区 日本図書刊行会刊 1143円+税 |
<目次>
T
連呼 14 オオカミは来ている 17
大学の図書館 21 携帯電話 24
猫背 27 マスク 31
睡眠列車 34 いじめ 36
ワイン 39 戦争 41
「天皇」の飾りもの 44 ますますジャングル 47
常在戦場 50 ユニット 53
安売王 57 末期 60
U
時代 64 個の時代 68
箱 70 喪失 73
光景 75 世界変革入門 77
おれの場所 80 族立ち 83
壺の中 86 障害の段階的除去 89
一日 93
V
眼差し 96 定年考 99
響く 102. ひとりぽっちの場所 106
食卓 109. 村道 111
死 113. 秋雨 116
感応 119. 背負っていけ 122
柄 125. こうん 128
指笛 131
W
落着く 134. 薄暮 137
食(くら)ふべき詩.140 ブロイラー 143
屁 146. 文弱 151
本の中の人生 154
X
瞳 158. 言葉をください 160
ワラシの散歩 163. 友の犬 166
あとがき 170. 装画・岡野亮介
おれの場所
一隅で生きている
願いに衝き動かされ
拳を振り上げたり
蹲ったりする
愛しい人がおり
避けたい人がいる
一隅の人々と共に経験する
一隅の出来事に
ここも結構いそがしい
確かに一隅
どこまでも一隅
しかし、世界の一隅
目の前の海が
地球の裏側に続いているように
ここで起きることの
波紋は世界に広がる
世界の鼓動は
ここで起きる事のなかにこそ脈打つ
ここがおれの場所
本著にはどこにも詩集≠ニは書かれておらず、書店用の売上カードに「坂本梧朗著」とありましたのでここではそれを踏襲しました。しかし「あとがき」に詩∞前詩集≠ニいう言葉があり、作品は全て行分け詩の形態ですので詩集と捉えて問題はないと思います。
紹介したのはタイトルポエムで、「あとがき」には「私にとって詩は生活とともにあります。私は『社会派』を自認していますが、正確には『生活派』というべきかもしれません。私の個人的な生活や思いから多くの作品が生まれます。『生活』をフィルターにして『社会』を映しているということでしょうか。もっとも、『生活』を語れば『社会』を語ることになるので、私にとつてこの二つの言葉はそれほど懸隔のあるものではありません」とありました。その言葉通り「社会」詩、「生活」詩の佳品が揃えられている詩集です。タイトルポエムの「おれの場所」は、そんな詩群の中でも光彩を放つ、自己証明とも呼べる作品だと思います。「世界の一隅」である「ここがおれの場所」と言い切る著者の姿勢に共感しました。
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