きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.1.26 小田原「アオキ画廊」




2007.2.3(土)


 午前10時から日本詩人クラブのオンライン現代詩作品研究会を行っています。明日の午前10時までの24時間の予定です。提出作品は12人12編。21時までの現在、50件近い発言があり盛況です。ただ、残念ながらメーリングリスト登録者だけのクローズドミーティングで、一般の方にはご覧いただけません。簡単な報告は日本詩人クラブHPに載せますので、2〜3日したらそちらをご覧ください。

 今回は、現理事会の担当理事としては最後の研究会ですので、私も全作品についてコメントしました。今までは理事が口出しするのは良くないと考えて、事務局に徹していたのですが村山の意見も聞きたいという声があって、それに応える意味もありました。全作品にコメントを付けるのに4時間ほど掛かってしまい、意外に大変でした。でも、これで義務は果たしたという気分です。さあ、明日の朝まで12時間ほど。今後どういう発言が飛び出してくるか楽しみです。



詩誌『馴鹿』45号
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2007.1.30 栃木県宇都宮市
tonakai・我妻洋氏発行 500円

<目次>
*作品
遠い茅ヶ崎…青柳晶子 1          ある日の冬空…和気勇雄 3
普通の日々…矢口志津江 9         寒天/紅葉/荒海…大野 敏 11
自然は…村上周司 13            夜は/湖平月影多…入田一慧 15
見える/のっペらぼう…和氣康之 19     橇遊びのように…我妻 洋 23
[橇]−同人エッセイ欄−
詩集のこと…青柳晶子 5          那須野ゼロポイント…入田一慧 6
後記                    表紙 青山幸夫



 のっペらぼう/和氣康之

めも
くちも
はなも無い
のっペらぼうの
おんな

死んだ子を
見下ろしている

十指の爪は
肉を剥いだように
真っ赤

「ごはんをこぼしたからだ」
喉の奥で
おんなが呻く
ずっと
テレビに向いている
若いおとこ

のっペらぼう

やかんが鳴っている

 子を虐待死させた状況と採りましたが、「おんな」も「若いおとこ」も「のっペらぼう」というのは怖いですね。人間としての顔がないという喩ですけど、まさにその通りなのかもしれません。生物であるなら子孫の繁栄を願うのが自然の摂理。その摂理に反して子を殺してしまう親の顔には何の表情もないという昨今の映像を思い浮かべます。最終連の「やかん」は、死んだ子に無関係に物理の法則通りに作用しているわけで、この対比は見事です。考えさせられた作品です。



詩誌『火山彈』68(終刊)号
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2006.12.25 岩手県盛岡市
内川吉男氏方・「火山彈」の会発行 700円

<目次>

内川吉男/神様のいる日陰で 2       内川吉男/神様のホログラム 4
内川吉男/ベッドに脚を投げ出して 6    内川吉男/ふと覚めて 9
内川吉男/告知前 12
本宮正保/白鳥が南下していく 14      本宮正保/石蕗の花 16
長尾 登/本当のお年玉 18         長尾 登/生き物さまざま 22
吉野重雄/鳩よ 24             吉野重雄/年の暮れ 26
エッセイ
森 三紗/宮沢賢治サハリン挽歌紀行に参加して 28
作曲
林 芳輝/白いぼうし<詩・ささききょう> 35

朝倉宏哉/老いた孤児へ 36         大村孝子/ナボイ劇場 38
八重樫哲/樺山 連作58 40         永田 豊/秋の噴水 42
菊池唯子/雪が 44             板垣崇志/ここに 46
森 三紗/女麗海岸の風・英訳詩 48     藤森重紀/大塚博堂 51
齊藤岳城/すべてはふと到来する 54     佐佐木匡/サハリン――八月の駅 56

謹告 58                  第六十七号評 58
同人消息 60                編集後記 62
付・詩誌「火山弾」小史           表紙デザイン・村上善男



 大塚博堂/藤森重紀

  ――思い出そうとしているのだ
    なんという駅を出発して来たのかを(石原吉郎)

歌いだす
足もとは
また洪水になる。

長髪のぼくに
あの同級生や
早婚だつた後輩が
体当たりをくらわす
ぼくは
ひたすら
泳がねばならないのだ。
(なかば溺れかけているのに)

それでも
カラオケとかクラス会などでは
躍起になってきみを探すのだよ。
(生年がおなじだったなんて
 こだわるわけでもないけれど)

ダスティンホフマンや
束ね髪をほどいた娘が
ウインクする
歌がもりあがる片隅で
ニコチンのしみた肌どうしが
神妙にうなづいていたり。
(十三歳の
 なでしこの
 ゆかたの
 ゆれるほたるは
 何の予兆だったかね)
などと
臆病者だったことを自嘲ぎみに。
慙愧をこめて。

率直に詫びねばならない
天の甕がひび割れ
さらさらと星のかけらが
紫煙をなだめに降りてきても
ぼくは酔いからさめなかったからね。
おわらぬはるのみちしるべが
どうしたこうしたと
なにかの歌のつもりで
口ごもっているとき
(口ごもってばかりいるのだが)
独り呼ばれたように
絨毯を踏み
店のとびらへ向かう影を
夢ごこちで見送るだけだった。

いつもの朝の
気分のまま‥‥。

 昨年は『蠻』や『輪』という有力な同人誌が相次いで終刊となり、悔しい思いをしていましたのに、岩手県の有力誌『火山彈』も終刊号だということで驚いています。創刊は1974年、32年の歴史で、詳しくは書かれていませんが主宰者の体調によるようです。私は60号から拝読させていただいていますが、質の高い執筆陣を揃えていることから毎号楽しみにしていました。残念です。

 紹介した作品のタイトル「大塚博堂」は何処かで聞いたことがあるなと思いましたら、1970年代に活躍したシンガーソングライターでした。フリー百科事典『wikipedia』によると、1944年生で1981年に37歳の若さで亡くなっています。代表作に「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」があり、ここから第4連の「ダスティンホフマン」が出てくると思います。作品は青春の一時期を切り取って、甘く悲しくうたっています。そのまま『火山彈』終刊号への愛惜と採るのは考え過ぎでしょうが、ぴったり当て嵌まってしまったとも感じました。石原吉郎の詩の一節も効果的な作品だと思いました。



個人誌『せおん』5号
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2007.2.1 愛媛県今治市
柳原省三氏発行 非売品

<目次>
正月の金魚      愛嬌
春を近づける     初春の思い
あとがき



 愛嬌

妻の飼っている大きな金魚は
実は身体障害者なのである
近所の仲良し婆さんが
せっせと金魚鉢の掃除をしているとき
どら猫がくわえて逃げたのだ
あんまり金魚が大きくて
一休みしたところを取り返した

猫に噛まれた傷は深く
婆さんが葬ろうとしたのを妻が貰った
自力では餌を食べることができないので
口を開け生きたミミズを這いこませた
懸命な看護の甲斐あって
金魚の命は助かったが泳げない
いつも金魚鉢の底の砂に
ナマズのように寝そべっている

金魚本来の美しい姿態をくねらせて
飼い主の目を楽しませることはできないが
決して怠けているわけではないのだ
陰気に塞ぎこんでいる様子もなく
鉢のガラスの向こう側から
飼い主の姿を認めると
ごろりと転んで餌をねだる
金魚なりの必死の親愛の表現だ
ぼくたちはその愛嬌を眺めている

 良い話ですね。金魚をまるで人間のように見ている「陰気に塞ぎこんでいる様子もなく」というフレーズに「ぼくたち」がいかに感情移入をしているかが読み取れます。「飼い主の姿を認めると/ごろりと転んで餌をねだる」という仕種はまさに「愛嬌」ですけど、人間と金魚という種の違いを超えた愛情が感じられ、ある意味では楽園の縮図なのかもしれません。「身体障害者」の金魚に声援を送りたくなった作品です。



詩誌『詩区 かつしか』89号
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2007.1.28 東京都葛飾区
池澤秀和氏連絡先 非売品

<目次>
池澤秀和 初夢/もういくつねると・・・   堀越睦子 つなわたり
青山晴江 ろうそくの方程式         石川逸子 帰り道
まつだひでお 人間72 戦争はだいきらいだ/人間76 人間くさい
小川哲史 汽車の窓から/篠笛        小林徳明 窓辺の心理学/焼きが回ったか
池澤京子 あかり              みゆき杏子 花の束
しま・ようこ サンシャインの彼方に 1.光、そして闇
工藤憲治 宝石商/肉屋           内藤セツコ 幸せ裏表/晩秋の宵



 帰り道/石川逸子

小学校の帰り道
香山さんと二人
さまざまな道を探し探し 歩いた

気に入った家をみつけて
そこに住むひとびとを空想し 語るのが
二人の遊び

「あの蔦がからまる家には
胸の病で婚約がこわれた 女のひとがいて
咳しながら大きな瞳で 庭をじっとながめてるわ」
おませな香山さんは言い

「あそこの洋館 親が死んで
お祖父さんに育てられている少年がいるの
イギリスからお母さんの里にもどってきたのよ」
わたしは言い

(少年とわたしはそのうち この家の前で
バッタリ会って親しくなり
少年のお父さんが描いた 海の絵を見せてもらうの)
心で想って口には出さなかった

ランドセル背負って
いつもドキドキしていた 尋常小学四年生

ほどなく「国民学校」と変わり
真珠湾攻撃がはじまる

三年後 女学生になってすぐ わたしは疎開し
香山さんの家は焼かれた
爾来 消息を聞かない
(二人の物語はまだ未完のままで‥‥)

 「ランドセル背負って/いつもドキドキしていた 尋常小学四年生」の、ちょっとおませな微笑ましい物語…。と思って読んでいくと「香山さんの家は焼かれた」と出てきて、ドキリとしました。「真珠湾攻撃がはじま」ったり、「わたしは疎開し」たりしても微笑ましい女の子たちには大きな被害はないだろうとどこかで思い込んでいた私の空想が破られました。それが戦争の現実なんですね。続く「爾来 消息を聞かない」というフレーズにも、自分には、物語の上で自分が知った人には災難は降りかからないという、理由のない楽天主義を打ち砕かれた思いです。最終連の「(二人の物語はまだ未完のままで‥‥)」に、あの時代を生きた人たちの嘆きや恨みを感じます。「心で想って口には出さなかった」ことなのでしょうが、見事なフレーズです。考えさせられました。



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