きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.1.26 小田原「アオキ画廊」




2007.2.5(月)


 西さがみ文芸愛好会でご一緒しているエッセイストの日達良文さんから案内状が届きました。長年に亘って集めたサイン・署名本100余冊の展示会をやるそうです。お近くの方、興味のある方は是非おいでください。私も一日ぐらいは顔を出そうと思っています。

 
サイン・署名本展

各界著名人のサイン・著名本100余冊を展示します
 皆様もお持ちと思います どうぞお越し下さい

日時 2007年2月28日(水)〜3月5日(月) AM10時−PM6時 最終日PM4時
会場 小田原市銀座通 伊勢治書店3F 
ギャラリー新九郎
    〒250-0011 小田原市栄町2-13-3 電話 0465-22-1366 *下図をご参照ください。

展示本の一部(献呈本も含みます)
 市川房江 賀川豊彦 松本清張 野上弥生子 土門 拳 入江泰吉 岡本太郎 篠山紀信 谷川俊太郎 池田満寿夫 植村直巳 手塚治虫 江川達也 清水基吉 楠本憲吉 富安風生 原 コウ子 中河与一 堤 康次郎 五島慶太 中村雨虹 堀口大學 宮城まり子 堀江謙一 沢田美喜 柳原白連 辻 政信 三宅一生 室生犀星 小倉遊亀 榊 莫山 三島由紀夫

○初版本
北原白秋詩集1、白秋「桐の花」1、大木惇夫詩集1、福田正夫/井上康文共著本、田中光顕著作本
○宝塚関係(1975〜1984)
・東京宝塚劇場各組公演パンフレット ・ベルサイユのバラ(星・雪組)2点 ・戦前公演脚本解説(1919〜1936) ・宝塚大劇場落成特別号「歌劇」(1924) ・帝国劇場開場70周年記念パンフ等60点

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連絡先:〒259-0133 神奈川県中郡二宮町百合が丘2-28-6 日達良文



『栃木県詩人協会会報』20号
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2007.1.31 栃木県茂木町 森羅一氏発行責任 非売品

<目次>
協会十年を振り返って…1          イベントレポート…2
高内壮介著作の紹介(五)…3         会員エッセイ…4
会員の詩作品…7              本の紹介…10
新刊書紹介・お知らせ…11          会員消息お知らせ・編集後記…12



 凛として 眩しく(蒲公英)/大木てるよ

純白の綿毛が一斉に舞い上る
蕾が思わぬ明るさに曝され
戸惑いながら枯草の下葉にうつむく

突然
空地に看板が立つ
十四階建の分譲マンションの表示
平成二十年七月に完成とある
翌日から隣の建物の解体が始まった

空地は忽ち駐車場に変る
咲き残る黄金が
行きようもなく身を反らし
日射しの陰にうずくまる
流浪の花はまた地上から追われるのだ
幾度の生き方にも
社会の非を謗らず
凛として片隅に咲きつづける
 

心荒さむ日にみた花の
泥にまみれた眩しさ
対峙する術は咲きつづけることと
一輪の小さな戦いに固唾をのんだ

脇道の憩いの空地
ひびき合う花と人の空間は
総て変貌していくだろう
夕映えも夕月も言葉さえも
ビルのなかに消えていくだろう
日曜の朝
楓の根元にこの花を
寡黙な強さを植えた

 春の訪れを知らせるタンポポは、いつも何気なく見ているのですが、作者はそれを「流浪の花」と見、「対峙する術は咲きつづけることと」だと捉えています。そして、その「一輪の小さな戦いに固唾をの」み、「日曜の朝/楓の根元に」「寡黙な強さを植え」ます。弱いながらも必死に「咲きつづける」ものへ寄せる作者の心情が伝わってきます。「十四階建の分譲マンション」への直接の抗議はありませんけど、人間の身勝手も静かに告発していると読むのは読み過ぎでしょうか。せめて小さな花を救うことで心の傷を押さえようとする詩人の姿が見える作品です。

 今号では昨年末に出版した拙詩集を、1頁の3分の2も使って紹介してくださいました。詩集タイトルの「帰郷」全文、さらに表紙写真まで載せていただきました。ありがとうございます。



詩誌『Void』12号
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2007.1.31 東京都八王子市
松方俊氏他発行 500円

<目次>
『詩』
秋と冬の間…森田タカ子 2         合成皮革の休日…松方 俊 7
空蝉橋(V)…浦田フミ子 10
『小論』寄贈詩誌から…中田昭太郎 13
サバンナの花…小島昭男 14         二番星見つけた…中田昭太郎 18
二人三脚は足のひっぱりあい…中田昭太郎 22
後記…28



 二番星見つけた/中田昭太郎

玄関の引き戸の開く音がした
逢魔が時
闇に沈んでゆく景色に誘われてか
独りでは降りることの出来なかった玄関の框を
どう降りたのか
独りでは履けなかった靴を履いて
あなたは 門扉をこじ開けた

冷雨に叩かれたイチョウやケヤキの
枯れ葉は北風にすっかり掠め取られ
公園の縁取りの裸木の枝先の網目から
間近に透かして見えた奥多摩の山々は
落ちてゆく稜線を僅かに画していた
消えてゆく夕映えの残照に向かって
あなたは 嫌いなはずの寒さの中を歩いていった
そのとき口ずさんでいたのだろう
杖に鈍りながら いつもの歌を
後を追いかけていった ぼくには
聞き取れなかったが

イチバン星ミツケタ
アレ アノ山ノ
スギノ木ノウエニ

九十歳を過ぎて自分の歳を忘れはじめた
思い出したように家の者に聞きただしては
それを 手帳に書き付けていた
大切な手帳を誰かに盗まれたとわめく
盗まれた物はいつでも
ベッドのマットの下から出てくるのに
その日から
あなたの まったく意識していない
ぼくとの 格闘が始まったのですよ

 ――そこをどいておくれ
 ――兄さんが迎えに来ているんだよ

そこそこの資産のある商家の
兄など居るはずのない一人娘だった
養父という他人に
資産は土地ごと遣い果たされてしまった
悔しさの願望が
兄の幻影を生み出したことに
ぼくは うかつにも気付けなかった

  ――そこをどいておくれ
  ――私はこれから お嫁に行くんだよ

歳を聞けば十八という
叔父さんの車が待っているという
夕映えの消えた逢魔が時に
あなたの意識はすべて
掠め取られて
あなたの歳では考えられないような
力がぼくの手を振り払った

呟くようにへ唄う
かあさん あなたの声が
ぼくには いまになって聞こえてきますよ

ニバン星ミツケタ

 「九十歳を過ぎて自分の歳を忘れはじめた」「かあさん」と「ぼくとの 格闘」の日々が描かれていますが、「悔しさの願望が/兄の幻影を生み出したことに/ぼくは うかつにも気付けなかった」というフレーズに驚いています。いかに母子とはいえ、そこまで思い至ることが出来るのかどうか…。少なくとも私には自信がありません。本物の詩人だけが察知できる感性なのかもしれませんね。
 タイトルと最終連の「二番星見つけた」が良く効いていると思います。「イチバン星」だけではなく「ニバン星」をも見つけようという意欲、あるいは期待する純粋性を「あなたの声」に感じます。長く一緒に暮らす母と子の哀切が滲み出た佳品と思いました。



詩誌『環』123号
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2007.1.30 名古屋市守山区
若山紀子氏方「環」の会発行 500円

<目次>
東山かつこ/銀杏 2            若山紀子/追伸 4
神谷鮎美/たつ おとこ 6         加藤栄子/胸のなかで生きる人 8
さとうますみ/光りのかけら 10       菱田ゑつ子/葉陰にかくれて 12
安井さとし/浅い海 14
国司 通/「縦書きか、横書きか」私考 17
<かふえてらす> 東山かつこ さとうますみ 加藤栄子 神谷鮎美 菱田ゑつ子 20
<あとがき> 若山紀子 24
表紙絵 上杉孝行



 浅い海/安井さとし

それは例えば小春日和のうす曇の
はてしない広がりのようなもの
遠い島影に向かって艪櫂船を繰り出せば
静かな海に引き波が一筋
船底にはボラの群れがいっぱい
遥か遠くから油の匂いと蜆の匂いとそして
ポップな音楽が切れ切れに流れてくる
海鳥は海面すれすれに飛ぶ
島影に少し近づき、そして、振り返れば
来し方も遠い島影で
うす曇のぼんやりした太陽の位置も
見失ってしまえば、どちらの島影に
向かっているのか分からない
何も聞こえないまるで静かな海だけど
よく耳を澄ませば無数に何かピチピチと
はじける音が聞こえる

黄色い砂が降る満月の日の正午
大海原の真ん中に砂浜が現れる日がある
誰も近づかない海域で舟を砂に乗り上げる
この暗礁は黄砂が降り積もったものなのか
一面、死に絶えたかのような泥の海が広がり
そこかしこの二枚貝がツブツブ
うごめいているだけ
時間がゆっくりとゆっくりと
止まって行くようで、来し方行く先の
遠い島影も黄砂で消え失せようとしている
迫りくる睡魔に寝てはいかんと思う矢先に
寝てしまう

大きな椋の木の下で
今は、うつらうつらしている夢を見ている
一陣の風にサラサラと舞い落ちる落葉の吹雪
あたり一面、黄色一色となって
葉っぱの先のギザギザを一枚一枚調べる
虫の食った黄葉の夏の間の生きた足跡を
青空に透かして一枚一枚たどっている

痕跡だけが生きた証で
何もなかったことに抗っている
その夏の一枚一枚をたどってまだ見ぬ夏の
暑い日の海を見ている

目を覚ました今は、もうどんどん満ち溢れ
上げ潮は早く海は青くなり空も青くなり
島影はなく魚影もなく今どこに居るのか
分からない上に、行方の知れない潮流に
身を任せているのです

 「黄色い砂が降る満月の日の正午」に「大海原の真ん中」の「砂浜」で「舟を砂に乗り上げ」て「迫りくる睡魔に寝てはいかんと思う矢先に/寝てしま」った。そこで「今は、うつらうつらしている夢を見ている」状態を描いた作品ですが、その夢の中でも「痕跡だけが生きた証で/何もなかったことに抗っている」のは「来し方」への淡い悔恨なのかもしれません。ヒトはそのように「生きた足跡」を見るものだと教えられた気がします。
 最終連の「今どこに居るのか/分からない上に、行方の知れない潮流に/身を任せているのです」というフレーズも佳いですね。やけっぱちではなく、静かに「身を任せている」姿に共感しました。



詩誌『帆翔』40号
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2007.1.25 東京都小平市
《帆翔の会》岩井昭児氏発行 非売品

<目次>
名も知らぬ偉大なものに 大岳美帆 1    東京たぬき 小田垣晶子 2
風鈴のささやき 長谷川吉雄 4       御望(ゴモ)の空 三橋美江 6
噛む音 渡邊静夫 8            棒のようなもの 荒木忠男 10
日向灘 吉木幸子 12            谷戸の寺で 坂本絢世 14
朝食 茂里美絵 16             修羅 長島三芳 18
窓と扉/恋歌 岩井昭児 20
随筆
いじめ 三橋美江 22            親切 茂里美絵 23
たった一枚の絵 小田垣晶子 24       土手のカラス 大岳美帆 25
回想記(父の思い出) 荒木忠男 27      山うなぎ 渡邊静夫 28
津軽の方言詩 長谷川吉雄 30
〔時代小説〕・暁闇の星 赤木駿介 35
 * * *
坂本絢世詩集『結露の風景』に寄せられた書評その2 32
※受贈詩誌・詩書等紹介 2〜
※あとがき/同人連絡先 表(三)



 日向灘/吉木幸子

ひうが
日向灘は
岩礁を求めて怒りをぶっつけていた
知人夫妻の車から
それらの風景になじんだ頃
鵜戸神宮に到着する

一別以来の敬虔な参道を
師走の風について歩く
数十年前のそぼくな神前に
唐突な再度のおとづれ
さて 何事の思し召しであろう

神は岩窟におわし
善男 善女は
潮が叫ぶ岸壁に立った
人は礫を投げて
風波をさえぎる未来を占う
わたしの修羅も跳んでいく

車に戻れば会話も発進した
あなた 礫が一個だけ届いたの
願いごとひとつ叶うそうよ
よし 釣ろう
つりマニア夫君の即答
夫人の答弁も
さらにショウト・ショウトを決めていた
わたしにも願いごとあったのに――

礫よ どうする
           '98・「BOHEMIAN」より

 懐かしい誌名に出逢いました。『BOHEMIAN』は川崎の池田時雄さんが出していた個人誌です。1999年2月の117号が最後で、そのあとに亡くなっています。当時のワープロを使った手作りの詩誌で、毎号送っていただいていました。
 紹介した作品はその頃の詩と思いますが、10年の歳月が流れても色褪せていませんね。「人は礫を投げて/風波をさえぎる未来を占う」という風習はおそらく今でも続いているのではないかと思います。「わたしにも願いごとあったのに――」というフレーズが佳いと思い、最終連にたった1行置かれた「礫よ どうする」が効果的な作品だと思いました。



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