きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.1.26 小田原「アオキ画廊」 |
2007.2.7(水)
日本詩人クラブHPの間違いを指摘されて、あわてて修正しました。見直しはしているつもりなんですが、ボーッとしていたんでしょうね、よくあることです(^^;
HPの問題点は校正者がいないことというのは以前から言われていることですし、私もその通りだなと思っています。詩人クラブの場合は私の担当であるOA(今は電子メディアと言った方が適切ですが)には専門委員もいらっしゃって、一応頼んではあるんですが、頼み方の悪さもあってうまく機能していません。それはそれで新たな手を考えますけど、実は読者が校正者になれるんです。元の原稿は判らないはずですので、常識的に見てヘンだなと思う感覚です。これを日本ペンクラブの電子文藝館では常識校正と呼んでいますけど、これが有効です。今回の事例もまさに常識に照らしてヘンだと言ってきてくれたものです。ありがたいことですね。ありがたいついでに言えば、紙の本と違って修正はいたって簡単。ものの数分で正しい状態になります。
日本詩人クラブHPに限らず、日本ペンクラブ電子文藝館、そして拙HPは私の守備範囲ですので、常識に照らしてヘンだなとお感じのときは是非ご指摘ください。一般の記事はもちろん、特に文芸作品の場合には大変ありがたく思います。よろしくお願いいたします。
○大畑善夫氏詩画集『TANMA』 |
2006.10 埼玉県蓮田市 私家版 非売品 |
<目次>
ビックバン 1
銀河 2 意味 3
身分相応 4 こんなになっちゃって 5
お花見 6 サクラが咲いた 7
跡 8 時 9
仏様の時間 10 寝返り一億年 11
便乗 12 影 13
振り返れば 14 宴 15
般若心経 16 天地創造 17
雪の降る前 18 雪 19
冬景色 20 ごっこ 22
鬼ごっこ 23 お医者さんごっこ 24
かくれんぼ 25 戦争ごっこ 26
キャッチボール 27 定年後の少年少女 28
神さまに逢った 29 友よ 30
お守り 31 ふさわしいカタチ 32
ネコの日向ボッコ 33 懺悔 34
変竹林 36 亡くなった者の道楽 38
天国 39 オーロラ 40
悪い人 41 美しい花の秘密 42
鬼 43 バランス 44
子供用爆弾 45 やっぱり手遅れ 46
傘地蔵 48 TANMA 50
モグラの一生 51 音符 52
後書き 二言 57
TANMA
これ食べ終るまで
この酒飲み終えるまで
このタバコ吸い終るまで
コーヒーサイホンが沸き立つまで
糸トンボが羽化するまで
カマキリの交尾が終るまで
朝顔が萎れるまで
月の陰から木星が顔を出すまで
この仕事終るまで
これ書き終るまで
これ届けるまで
この曲終るまで
あの虹が消るまで
微笑みが消えるまで
タンマ(短間)
近頃話題を呼んでいるフィールドスコープで撮ったという、20倍ほどの花や砂の写真が散りばめられた楽しい詩画集です。あとがきでは無断転載を禁ず≠ニいう最近の傾向に反発して、「無断掲載大歓迎」としているところが著者のお人柄が出ているようで、これも楽しいです。
紹介したのはタイトルポエムです。不思議なタイトルだなと思いましたけど、ちょっと待って!のタンマ!で良いようです。それを「短間」としたところにこの詩の命があり、待ったところで本当に「短」い「間」じゃないか、という著者の思いが伝わってきますね。日常の生活から「木星」まで、待ってられないほどの事柄はこの世にはないと教えられました。
○梅澤鳳舞氏著『うめきち質問日記』 |
2007.2.23 埼玉県越谷市 梅澤鳳舞資料館刊 非売品 |
第6回「東京大学環境安全研究センターシンポジウム」
(マイクで)
梅沢です。
ぼくは詩や俳句・短歌が好きでコンピューターのことはよく
わからないんですけれども、今インターネットとかデジタル
とかマルチメディアが発達して便利な機械道具がありますが、
パソコンとかハイテクの技術・機器は環境破壊の実際の修復
とどういう関連性がありますか。
(答)評論家 東京大学先端科学技術研究センター客員教授 立花隆様
東大大学院経済学研究科教授 梅沢豊 様
1996年(平8)6月4日(火)16:20
東京大学安田講堂最前列
あとがきには「ここ約20年間で、2000回近くのシンポジウム・講演会に参加・聴講し、延べ約6000人の有名人・著名人・大学教授の先生方のお話をききました」とある通り、非常に行動力がある方です。ほとんど毎回のように質問に立っているようで、その抄録が本著です。例としてあげたように立花隆さんに対して「ハイテクの技術・機器は環境破壊の実際の修復とどういう関連性がありますか」という質問はなかなか鋭いと云えましょう。
しかし残念ながらその回答は載っていません。まえがきで質問だけを取り出したものだと断ってありますから止むを得ませんが、非常に不満です。読者としては質問と回答の両方を読まないと、この本を読んだ意味がありません。「安田講堂最前列」に著者が座っていたことなどどうでもいいのです。これでは単なる個人的な記録で、引き合いに有名人を出した売名本と言うべきもので、読まされた方はたまったものではありません。芸術作品なら個人的なものは当然歓迎ですけど、単なる記録なら回答も加えてもらいたいものです。以下、続刊も出る可能性がありますので一言加える次第です。
○詩誌『茜』23号 |
2007.1.31 東京都渋谷区 高橋晟子氏方・茜の会発行 非売品 |
<目次>
古河みのり・九谷の茶碗/パラソル/八月十五日 2
梅沢 綾子・恵方巻き/私のゴールデンウイーク/師走 8
三枝 規子・成長/井戸端会議/特攻花 14
柴田 照代・アポロ計画/ポプラ/観覧車 20
高橋 康子・春浅く/私の時計/未完 26
藤井ヤヱ子・樋渡/秋へ/骨折 32
連詩 ・半夏生 ネクタイ 38
大石 規子・水橋さん、また 42
編集後記
表紙 柴田照代
九谷の茶碗/古河みのり
金沢の旅から戻って
急に仕舞ってある九谷焼の茶碗が見たくなった
亡父が輪島の友人から贈られて大切にしていたもの
戦時中は疎開させ 戦後の生活でも手放さずにいた
嫁ぐ時 雛の色紙とこの茶碗をもらってきた
直径十一糎程で 全体は濃い緑 黒い青海波の地紋がある
内側は黄土色で 緑と紫で牡丹が描かれている
飾り棚の奥から右手で取り出した途端 何の前触れも無く
あっー という間に取り落としてしまった
大きく三つに 後は細かく床に広がった
何という事だろう 本当は茶碗を手にゆっくりと
父を偲びたかったのに 結果は正反対となり
私は再び父を失った気がした「ごめんなさい お父さん」
壊した現実を受け入れられず じっと破片を見つめていると
父の亡骸のように思えてきて そっとそのまま箱に納めた
「私は再び父を失った気がした」というフレーズが佳いと思います。私は母を二度亡くしていますが、それは生母と継母のこと。ひとりの「父」でも二度亡くすことがあるのだと納得させられました。戦前からのもののようですから、もう60年、70年の年月を過ごした貴重なものだったのでしょう。「大きく三つに 後は細かく床に広がった」という描写に「私」の思い入れの強さを感じます。最終行の「父の亡骸のように思えてきて そっとそのまま箱に納めた」というフレーズもよく効いています。巻頭作品としての価値を感じた佳品です。
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