きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.1.26 小田原「アオキ画廊」




2007.2.9(金)


 夕方、小田原の「くらわんか」というお気に入りの店に行ってきました。昨年出版した拙詩集のお祝いの会をやってもらったのです。昔の職場で一緒に詩を書いていた仲間たち3人と呑んだんですけど、まあ、詩集にかこつけて呑もうという会ですから、昔話の方が多かったかもしれません。それはそれで勿論おもしろかったです。
 なかで一番うれしかったのは、もう10年も詩を書いていないという女性が、拙詩集に刺激されて書いてみたくなったと言ってくれたことです。そういう刺激を与えられるような詩集かどうかは判りませんが、少なくとても前向きに捉えてくれたと解釈しました。ん? お前の下手な詩を見ていたら、これじゃあマズイ、佳い詩とはどういうものか見せてやる! ということだったのかな(^^;

 二次会は喫茶店、というヘンな連中。もちろん付き合いましたけどね、コーヒーで。でもコーヒー1杯でいつの間にか2時間が過ぎて…。とりとめもない話ですけど、何時間話していても飽きることがありませんでした。だんだん酔いが醒めていくのがわかって、いつもとは違う不思議な感覚でした。いつもはどんどん酔っていきますからね。
 久しぶりの小田原の夜。良い夜でした。ありがとうございました。



中原歓子氏詩集『高句麗の壺』
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2007.2.1 東京都新宿区
文芸社ビジュアルアート刊 1200円+税

<目次> シアン ター レン
T ……(『想大連』より)
私の川 12      絵葉書によせて 15
燕淑琴 18      北京有情 20
海倫のこと 22    紅茶 25
カンボラ 28     復活祭 31
想大連 35
U ……(『想大連』より)
挨拶状 40      軍鶏 42
椅子と山茶花 44   柿の木の話 46
貝殻 48       腕 51
V ……(『ゆっくり さよなら』より)
土蜘蛛 54      猪苗代湖畔にて 56
味御飯 58      関門橋の下で 60
廻転木馬 63     故郷の丘 66
故郷は海のむこうに69 大連神社 71
五月節 74      花子(乞食) 77
釦の記憶 80     黒パンが焼けた 85
ゆっくり さよなら 85
W ……(『一人芝居』より)
雉 90        軍鶏 93
鴉 96        山羊 98
河童 102
.      私の中の私 104
バウ 106.      脱皮 108
秋の尻尾 110
.    故郷 112
一人芝居 114
.    道 117
草の花 121
.     羽根 124
花 126
.       夜の馬車 128
坂道 151
.      泰山本 134
祝杯 136
X ……(新作より)
五月 142
.      脳 この不思議なもの 144
米寿 146
.      豊さんの村 148
高句麗の壺 151



 高句麗の壺

口の欠けた
ひびの入った
焼〆めの壷があった

茶筒をおとしにして
春はきんぽうげ
秋は女郎花を活けるとよく似合った

だだっぴろい応接間の
床の間がわりの家具の上で
ひとつの重石のように
それはあった

送電線の
鉄塔の脚は四本
穴は深く掘らなければならない
屈強な男達を数十人つれて
父は数ケ月も帰って来なかった

凍った土がとけて
柔らかい間の仕事
機械などなかった

公主嶺は
高句麗の西北の涯
千数百年前の滅びの時
いつかここへ帰ると
思いを込めて埋められた壺か

父の掘りあてた壺の数は十三
ひび割れた一ケを残して
満蒙資源館に寄附した
中にひとつ
忘れられない白い壺があったのだが

無事でいるのか
あの壺たち

  
こうしゅれい
  公主嶺=沈陽と長春の中程、分水嶺のあるところ
  満蒙資源館=大連の旧ロシア町にあった

 過去の3詩集『
想大連』(1990)、『ゆっくり さよなら』(1995)、『一人芝居』(2002)からの抄録と最新詩篇とで成った詩集です。著者は韓国生まれの大連育ち、引揚げという経験をうたいあげた佳品が多い詩集でした。
 紹介したのはタイトルポエムですが、読んだ記憶がありました。調べてみると昨年11月発行の『沙漠』244号に載っていました。第4連の「
父は数ケ月も帰って来なかった」というところが印象に残っていたものです。大連にいた少女時代の著者の「父」に対する視線、「送電線の/鉄塔の脚は四本」で、「穴は深く掘らなければならな」かったという具体がこの詩を支え、印象強くしているのだと思います。「千数百年前」という時間もこの作品に深みを与えています。中原歓子という詩人を知るにはまたとない詩集と云えましょう。



詩誌『梢』43号
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2007.2.20 東京都西東京市 300円
山岡和範氏方事務局・井上賢治氏発行

<目次>
「失ったものと得たものと」他2編 北村愛子…2
「カササギの橋」他9編 日高のぼる…8
「孫の諒ちゃんに問われて」他1編 藤田紀…21
「文句は何でも学校に」他1編 牧乗りひろ…26
「師走の街角」宮崎由紀…30
「笑生ちゃん」他1編 山岡和範…33
「働き方」山田典子…36
「幸福駅」他1編 井上賢治…38
「額」他2編 上原章三…43
「梢」42号感想紹介…47
事務局だより…53
表紙イラスト−カラスウリ 山田典子



 文句は何でも学校に/牧葉りひろ

授業がわからないのは先生が下手だから
学校がつまらないのは先生がうざいから
自分の甘えはわからずに
なんでも先生のせいにする生徒

学校はもっと躾をきちんとして下さい
学校はもっと連絡を早くしてください
自分の子育ては棚にあげ
なんでも学校に要求する保護者

生徒の登下校の仕方が悪い
生徒がゴミを捨てていく
苦情はなんでも学校に電話する近隣の住人

先生のせいにしやすいのです
学校には言いやすいのです
何を言っても殴られないし
お金も取られないし
教育委員会に言うぞって言えば
何かやってくれるし
やってくれなくても
文句いっただけで気がまぎれるし

世のお偉方も
先生や学校がたたかれるのはうれしいのです
だって隠れ簑になってるんです
本当の原因をつくっている自分たちの

先生が悪いからって
自分たちに都合のいい先生を養成するようにしてしまえるし

教育が悪いからって
「愛国心」を押しつける教育法に変える口実になるし

生徒の幸せを願い
身を粉にしてがんばる先生も
命と未来を大切にする法律も
人々の目には入らないのでしょうか

 やっぱり根本は「本当の原因をつくっている」「世のお偉方」をどう暴いていくか、ということなのかなと思います。その方法のひとつとしてこのような詩があるべきでしょう。小説の方がもっと良いのかもしれませんが、絵でも俳句・川柳でもあらゆる分野を私たちのものにする必要があるのでしょう。そして芸術性高く…。この作品は芸術性という面でも高いと思います。「やってくれなくても/文句いっただけで気がまぎれるし」というフレーズには「文句は何でも学校に」持ってくる人たちの本質があります。ここも私たちはもっと暴かなくてはいけないのかもしれませんね。考えさせられた作品です。



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