きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.1.26 小田原「アオキ画廊」




2007.2.11(日)


 昨夜のマッコリが効いたようで、朝起きたら頭がフラついて、腰もよろついてしまいました。頭が痛くて吐き気もするという二日酔いは、たまにあることです。しかし腰に来たことはあまりありません。以前、誰かにマッコリは呑み過ぎると腰に来るよと聞いていましたけど、ああ、これがその状態なんだなと思いましたね。でも不思議に頭は爽やか。しばらくベッドで文庫本を読んでいましたけど、どんどん頭の中に這入ってきます。本当に不思議なお酒です。

 そのまま午前中は本を読んでいて、読み終わってもまだもの足りませんでした。関連の文庫をもう1冊取り出して、午後も読んで、とうとう一日に2冊の文庫を読みきってしまいました。日本史の謎を追うという本でしたから、その面白さがあったのかもしれません。5年ほど前に一度読んだ本で、開始から読み終わりまでのメモ書きを見ると、そのときには1冊に1週間ほど掛けていました。現職中でしたので間を見ては読んでいたのでしょう。退職するとこういうことに贅沢に時間を使えるというのは嬉しいことです。



詩誌『カラ』3号
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2007.2.1 東京都国立市
松原牧子氏発行 400円

<目次>
声/石関善治郎
Homograph/鳴海 宥
Smokin' Turquoise −1−/鷹山いずみ
さつき睡レ、天使遁走す〈いえ結構です〉/外山功雄
睡眠の軌跡/佐伯多美子
紙ふぶき/松原牧子



 睡眠の軌跡/佐伯多美子



 だだっ広い部屋の隅で横になっていると、「ここ、私の場所なのだけど」
と突然、不快な感情を抑えるように声をかけられた。いつのまにか戻って
きていたこの部屋の住人らしい若い女性だった。「そこが空いているわ」と
反対側の壁際に面した中央部分を指した。左右壁際を頭にして四人ずつ寝
場所が決まっているらしい。夜、八人分の布団が敷かれると部屋はほぼい
っぱいになる。布団を収納する押入れにも鍵が掛けられ、夜、八時に看護
師によって開けられ、九時就寝。朝六時起床、六時半にはまた鍵が掛けら
れる。つまり、原則として昼間は寝ることはできない。それでも寝ようと
すれば畳にじかに寝るしかない。民はこの習慣になかなか慣れなかった。
夏はまだ寝ようとすれば寝られたが冬は朝と夜しか暖房が入れられず寒さ
に寝てなどいられなかった。ここでは規律によって決定され、それは、生
理的なものでもなく、物理的な寝るという行為であり、まして、眠り、睡
眠とはまったく違ったものだった。一日の大半をベッドで過ごしていた独
りの眠りがいきなり破壊され、思考が完全に止まった。
 ここ、閉鎖病棟も窓には鉄格子が嵌まっているが、格子ではなく、白く
塗られた丸い輪が嵌め込まれ圧迫感はそれほどなかった。外部に通ずるド
アは非常口とナース室の出入り口だけで、それらは固く鍵が掛けられてい
た。建物はホールを中央に南方を窓にして東南と西南に向かって左右扇形
に病棟が延びている。東南側が男子病棟。西南側が女子病棟。ホールに面
しては手入れの行き届いた芝生の中庭があり、中庭は左右の病棟と背丈よ
りはるかに高い塀で囲まれている。塀のすぐ向こうには郊外の電車が通っ
ていて、乗客の人の姿も確認できた。つまり、手の届きそうなところに娑
婆があった。朝夕のラッシュ時には大勢の人が乗っているのが見えるが喧
騒はここまで届かない。手が届きそうにみえてあっち側とこっち側は大き
なふたつの力、鍵と鉄格子という目の前にある見える力と、まるで、危険
物を扱うような隔離という法律と差別という見えにくい力で遮断されてい
る。それは、絶対といえるものであった。出入りできるのは、男女それぞ
れ各自の病棟、食堂にもなるホール、それにトイレ。中庭に出られるのは
時間を区切って一日に二三時間、看護師監視のもと開放された。しかし、
民は精神保健法により緊急措置入院形態だったため、建物外、中庭に出る
ことも許されなかった。数カ月後はじめて医師から許可が下りたとき、民
は思わず裸足になって足の裏から伝わってくる冷たい土の感触を新鮮な感
動を覚えながら、しばらく、じっと立っていた。そこは、塀と病棟で仕切
られ、鍵が掛けられ、監視の目のなかの限られた空間であったが、深い眠
りから、虚空からの幽かな覚醒でもあった。それは、不思議な生を呼び覚
ますなつかしい感動だった。凍りついていた血脈が体温を感じながら、ま
た、身体中に流れだしたのを感じている。感じる、という、感性が蘇りは
じめ、生きている、と思えた。



 シリーズ「睡眠の軌跡」です。「一日の大半をベッドで過ごしていた独りの眠りがいきなり破壊され」、「規律によって決定され、それは、生理的なものでもなく、物理的な寝るという行為であり、まして、眠り、睡眠とはまったく違ったもの」となってしまった睡眠の具体が出ていると思います。「精神保健法により緊急措置入院」となった「民」の「覚醒」は「裸足になって足の裏から伝わってくる冷たい土の感触」の「新鮮な感動」の中にあるのかもしれません。
 まだまだ途上の作品ですから、これからが楽しみです。楽しみ≠ニいうのは不謹慎かもしれませんけど、あくまでも文学作品として読んでいます。実話かどうかは関係ありません。「民」の心理が表現され、それをこれからも追おうと思っています。



季刊詩誌『新怪魚』102号
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2007.1.1 和歌山県和歌山市
くりすたきじ氏方・新怪魚の会発行 500円

<目次>
   岡本光明(2)時間(冬)
  曽我部昭美(4)麻痺1
     沙羅(5)冬のカンナ
   石橋美紀(6)竈神(かまどがみ)
ありたじゅんこ(8)雨スダレ
   寺中ゆり(9)ランボーの詩(うた)
   水間敦隆(10)G会員
   前河正子(12)雑木林
   上田 清(14)営為(四十八)
 くりすたきじ(16)北の亡者U
  中川たつ子(18)シクラメン
   山田 博(21)好きな画
表紙イラスト/くりすたきじ



 北の亡者U/くりすたきじ

 (四)

もう どうでもいいような階段の下で
あといくつ昇ろうかと思案している
気ままな白い雲は
いつもわたしの空にあって
時速一四〇〇キロメートルの速さで
東に向かって流れゆく

この星がひと回りしても
元の風景に帰るわけではないと知っている
無辺の空間を 丸い地表に向かって
どこまでも 滑り墜ちてゆく人工衛星のように
このわたしも
今日という日を支え確かな明日を得るために
日常と名付けた空間を滑り墜ちてゆく
小さな衛星だ
そうして いつかは訪れる
安息の日を待ち続けているのだろう
もう どうでもいいような明日を
描きながら
笑ってごまかして
不安と希望と家族を抱きしめて

今日のわたしは夕日に映えて美しいと
気ままな白い雲は笑う
明日を信じて走り続ける
夕焼け電車に乗って
時速一四〇〇キロメートルの速さで
旅をしていると
与えられた記憶はあとわずか
オレンジ色に染まった北の駅が見えたら
高い空に向かって
大きく手を振ればいい

そうしたら
この星は止まる

 「時速一四〇〇キロメートルの速さ」について、あとがきで「地球の自転速度は赤道上で一七〇〇キロメートル。日本では一四〇〇キロメートルだそうです」と書かれています。このことによって日本での自転速度だとわかりましたが、私は赤道との差異に驚きました。考えたらその差異は当り前のことなんですけど、なんとも不思議な感覚に捕らわれました。
 作品はそんな地球に生きる私たちの在り様を言っていると思います。「どうでもいいような階段の下」は天に届く階段を指し、「どうでもいいような明日」は地球の自転から見た明日≠指しているのでしょうが、捨て鉢な言い方の中に人類の希望の無さを謂っているように感じます。最終連の「そうしたら/この星は止まる」というフレーズはその最たるものでしょうか。「北の亡者」と規定する詩人の嘆きが感じられる作品です。



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