きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
070126.JPG
2007.1.26 小田原「アオキ画廊」




2007.2.14(水)


 日本ペンクラブ電子文藝館の仕事で、會津八一「南京新唱(抄)」の校正をしました。南京はナンキンではありません。ナンキョウと読み、奈良のことです。ちなみに京都は北京でホッキョウと読み、明治の歌人の言い方のようです。
 奈良の仏教遺跡にまつわる短歌とその解説を抄録したものでした。おそらくこんな仕事が回ってこなければ一生読まなかったかもしれません。なかば強制的にこれ、校正して!≠ニ委員長から申し渡されるものですけど、これがなかなの拾い物なんです。短歌も素養がなく、旧仮名なんて遣ったこともありませんけど、こうなるとともかく読むしかありません。場合によっては英語の方が楽だなんて思いながら読んで、そのうち段々おもしろくなります。
 明治から過去の作品を振り返っている文章ですから、年号がいっぱい出てきます。西暦付帯で…。そのうちに気付きました。これは遣える! 実は明治以降でも年号と西暦の対応が私はよく判っていません。昨年、明治から平成までの対応表を作ったんですが、ついでに作品に出てくる年号を使って一覧表を作っておけば、あとで役立つはずだと…。で、出てきた和銅、霊亀、養老、天平、天平勝宝、神護等々20ばかりをつけ加えました。もちろん歯抜けですけど、そんな機会を捉えながら完成させていきたいと思っています。こんなことも役得かなぁ。
 それにしても、今回で一番古い和銅元年は西暦708年、明治元年の1868年まで実に1160年! Exelの1列を100年としましたが12列になます。この圧倒的な量には驚きです。1年は1カラムですけど、その中には365日があって、それは8760時間で…。その数百万人分の厚みがあって…。それが歴史なんだなと、妙に感心しましたね。



隔月刊誌『新・原詩人』10号
shin genshijin 10.JPG
2007.2 東京都多摩市
江原茂雄氏事務局 200円

<目次>
《この詩[》2羽のアホウドリ(アルバトロスと信天翁)/江原茂雄 1
読者の声 読者の賀状 2          川柳 乱鬼龍 4

ゾウガメと人間/羽生康二 4        私の中の祖父/佐相憲一 5
月光価千金/長谷川修児 5         夢の月夜/墨微 5
自由と差別/かずき 5           三野混沌の二代目/小林忠明 6
二本の道/まつうらまさお 6        ブランコ/丸山愛 6
事務局より 6



 アルバトロス/ニーチェ(訳:江原茂雄)

まだ飛んでいるのか?
おお
あんなに高く
あんなに静かに!
何に支えられて?
何をめざし
何に魅
(ひ)かれ
何に従って?

みよ
空の高み
白く浮かぶを――
勝利を忘れて
自分を忘れて

永遠に
星のごとくに
すべての生が熄
(や)むところ
おまえは棲む
静かにも
すべるがごとく翔
(か)ていく

アルバトロス!
おまえをみつめる
わが目には
涙ながれて
あの永遠の高みへと
この身も駆り立てられるのだ
おお
愛してやまぬ
アルバトロス!

 訳者による解説では、この詩はニーチェが抱く永遠の理想の姿を高空を飛ぶアホウドリの姿に託し、見事に視覚化したものとありました。理想を否定したニーチェであったが、30代の終わりごろから若い時分の理想追及が復活したものとも続けています。
 ニーチェの思想的な変遷は私には不勉強で判りませんが、むかしハンググライダーで遊んでいたころのアホウドリは、フライヤーの憧れでしたから「あんなに高く/あんなに静かに!」、「空の高み/白く浮かぶを――」というフレーズには共感しますね。まさかニーチェがこんな詩を書いていたとは思いもしませんでしたけど、侮辱的な名にもめげず、確かに「永遠の理想の姿」なのかもしれません。人間も、馬鹿にされていろ、デクノボーでいろと自分に納得できれば「あの永遠の高みへと」達することができるのでしょう。ニーチェの詩ということもあってか、刺激された作品です。



   back(2月の部屋へ戻る)

   
home