きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.1.26 小田原「アオキ画廊」




2007.2.21(水)


 西さがみ文芸愛好会でご一緒している櫻井さんが「グリーンステージ・湯河原」で13時半から朗読会をやるというので、行ってみました。櫻井さんの詩の朗読は聴いたことがありますが、小説の朗読だというので楽しみにしていました。聴いて正解でしたね。
 朗読は中津文彦氏の「くせ」。浅学にして初めて知る作家ですが、ネットで調べたら「くせ」は1989年の日本推理作家協会賞の候補作でした。ネタを明かすわけにはいきませんけど、小学生とその親の盗癖・虚言癖に翻弄される美人教師というところです。結末には思わず「ヤラレタ!」と内心で叫んでしまいました。

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 会場には20人ほどの方が見え、今回は男が私を含めて3人。先月、開成町の瀬戸屋敷の朗読会では男が私ひとりでしたので、ホッとしました(^^; 櫻井さんのお声はちょっと低めで渋く、ミステリー向きかもしれません。
 45分ほどで朗読は終わり、そのあとはコーヒーや紅茶を飲みながらの軽い懇親会。ここで櫻井さんに聞いて驚いたのですが、朗読は原作通りではないとのこと。45分に収めるために割愛した部分があるとのことでした。原作を読んでいないことがあるかもしれませんけど、まったく違和感がありませんでした。小説の朗読では一般的なことのように受け止めましたが、割愛する技術も必要なんだなと、これは勉強になりました。

 書かないでおこうと思っていましたが、書き出したついでに…。懇親会では櫻井さんが私を紹介してくれて、なんと拙詩集から「2月26日木曜日」を朗読してくれたのです。初対面の人が多かったですから恥ずかしいやら嬉しいやら。終わると今度は会場から「お前もやれ!」の声。これも意外でドギマギしましたけど、ここで断るのはシラケさせてしまうと思って、櫻井さんがお持ちの拙詩集から「この冬」を朗読しました。突然のことで声は震えるし、冷や汗ものでした。でも、気にかけてくださって嬉しかったです。
 私は他人様の朗読を聴いても、自作詩の朗読は積極的にはやりません。特に詩人たちの集まりでは。ろくに練習もしないで自己愛にふけっている姿は情けなく思っているからです。しかし今回は詩人の集まりではありませんでしたから、断ると逆に詩壇への反感を買うかもしれません。それで受けました。でもやっぱり、練習していませんでしたから辛かったですね。こんなこともあり得ますから、今度から密かに練習しておこう(^^;



『白鳥省吾研究会会報』3号
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2007.2.27 宮城県栗原市    非売品
佐藤吉人氏方・白鳥省吾研究会事務局発行

<目次>
珍本 私家版『地上楽園』合本発見! 1
民衆派詩人達の文学賞 2
文学碑について その二 3
詩の紹介(寄贈詩集より) 4
第三回「白鳥省吾賞」最優秀受賞作品 川井豊子「バイラは十二歳」誕生記 6
『地上楽園』バックナンバー その一 7
『日本詩人』と白鳥省吾 その三 7
報告 8



 毎号、白鳥省吾に関する発見≠ェ載っていますが、今号では「珍本 私家版『地上楽園』合本発見!」がありました。石神井書林の古書目録で発見したようです。大地舎(白鳥省吾の自宅が出版元)同人の寺田薫という人の私家版合本で、自分の作品が載った号を合本にしたものとのこと。自分の作品には朱を入れてあったといいますから、それだけ思い入れが強かったのでしょう。その中には研究会で未見だった『地上楽園』の昭和8年版の5冊があったとのことです。それは喜ばしい限りと思っていましたら、なんと全88冊のうち昭和7年から12年までのうち3冊がまだ不明とのこと。かの有名な白鳥省吾が主宰した詩誌でも、時間の経過とともにそうなるのかと複雑な気持になりました。研究会では発見したらご一報をと呼びかけています。研究会HPは、
http://ww5.et.tiki.ne.jp/~y-sato/
です。ご一報もしかりですが、一度覗いてみてください。白鳥省吾に関して充実したHPです。

 今号の「詩の紹介」では、昨年暮に出版した拙詩集を紹介してくださっていました。貴重な誌面を使って大きく採り上げていただき、御礼申し上げます。



個人詩紙『おい、おい』40号
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2006.10.3 東京都杉並区 岩本勇氏発行 非売品

<目次>
詩 都会さもなくば旅
  屁詩
エッセイ 貘さん、初めまして



 屁詩

「ヒマ」だから
詩ばかり作っている
所詮
詩とはそういうものだ
あのタクボクだって
金への
不安から逃れるために
短歌ばかり作っていたのだから
似たようなものだ
詩とは
所詮
屁のようなものだ
屁ならば
出来るだけでかいのを
出した方が
気持ちがいいぞ

 アハハ、そうだ、「詩とは/所詮/屁のようなものだ」。「屁ならば」当然、「出来るだけでかいのを/出した方が/気持ちがいいぞ」と私も思いましたね。そうか、詩って「気持ちがいい」から書くのか、どんなに悲惨な、哀しいことを書いても、詩人なんて内心では「気持ちがいい」と思っているのでしょう。作者はエッセイ「貘さん、初めまして」で初めて山之口貘さんの墓参りをしたことを書いていて、貘さんにかなり影響されているようです。でも、この詩は貘さんの上を行っているかもしれませんね。



個人詩紙『おい、おい』41号
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2006.11.6 東京都杉並区 岩本勇氏発行 非売品

<目次>
詩 事実として
  我、発見せり
エッセイ ガンバリ屋さん、林芙美子



 我、発見せり

小さいニンゲンだな……
と思い
小さいことにクヨクヨするんだけど
小さいニンゲンの方がいいのかもしれない
小さいニンゲンの小さなクヨクヨは
比較的ラクに
クリアーできることばかりなんだから……

今日も十一月

 この詩も佳いですね。私は「小さいニンゲンの方がいいのかもしれない」と思っています。大きなマチガイをして人類を危機に直面させる、なんてことはしない。「小さいニンゲンの小さなクヨクヨは/比較的ラクに/クリアーできることばかりなん」です。大きな迷惑を掛けて生きるなんてオソロシイぞ。でも、最終連の「今日も十一月」はどっちかな。小さい自分を無理に納得させているのかもしれません。本当は大きな「ニンゲン」だと思っていたけど「我、発見せり」、と採ると素直なんでしょうが、そんな二元論で考えなくてもよいでしょう。どうも自分は「小さいニンゲンだな……/と思」っていたら、やっぱりそうだった、と採りましょう!



個人詩紙『おい、おい』42号
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2006.12.6 東京都杉並区 岩本勇氏発行 非売品

<目次>
詩 さらばフォーク
  お盆
  今日も負け
エッセイ 高田渡の現代詩



 さらばフォーク

最初に
小林政広から電話があった
私に衝撃が
四月の衝撃が走りはじめた
シバに電話した(ルスだった)
チューソツに電話した
北海道の秋山君に電話した
山形の向井君に電話した
フォークロアの国崎さんに電話した
深沢君に電話した
平塚に引っ越したばかりの梅田さんに電話した
アリエールに電話した
高木護さんに電話した(ルスだった)

当日は
小林キヨシがいた
ケン坊もいた
私の前の嫁ハンも来ていた
その他昔の見知り顔いっぱいいた
誰にも懐かしさで以て声を掛ける気になどならなかった
中川五郎さんは昔みたいにニヤニヤしてきた
友部正人には目だけで挨拶した
フミ子さん(高田渡前夫人)に会った時は目の前が
ぼやけた
ささの葉のマスターは焼き場まで行くと言った
そうして
終わった
巨きな巨きな象がひっくり返って
倒れたようなものだ
それを見るようなものだ
高田渡の死体を見るということは。
さようなら
高田渡さん

 作者と同じ時代を生きているなと思います。「高田渡」を最初に見たのは、たしか1979年か70年頃の富士山麓でのフォークフェスティバル。徹夜でやるというので、テント持参でした。次に見たのは4年ほど前の日本現代詩人会「日本の詩祭」。話をしたこともなく、観客の一員として見ていただけですけど、私たちの代表のように思っていました。作者は高田渡とは親しかったようですね。そのうち話を聞きたいものです。
 作品の主題とはズレますけど「中川五郎」も「友部正人」も懐かしい名前です。特に友部正人は詩集も持っていて、彼の「愛について」という曲は今でもたびたび聴いています。
 高田渡さんのご冥福を改めてお祈りします。



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