きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.1.26 小田原「アオキ画廊」




2007.2.22(木)


 終日、HPの修正をしていました。今日は1999年の1月から3月まで。本当はやらなければならないことが多いのですが、確定申告とか(^^; まだ期日もあるせいかそちらには頭が切り替わりません。私の脳にはどうも詩的な部分と散文的な部分があるようで、詩的になりたい日と散文的な日があります。詩のHPを修正するということをやりたがっていますから、今日はその中間なのかもしれません。

 自分の頭がそんなふうになっていると気付いたのは数年前です。その頃は在職中でしたから、詩的な日にしたいと思っても仕事が許しませんでした。無理をして散文の日を続けていたように思います。しかし退職したからといってすぐに切り替えられるかというと、それも出来ませんでした。38年間も散文の日を続けていたんですから当然でしょう。ここ数ヶ月、とくに今年になってからは余裕が出てきて、その日の気分で切り替えられるようになったと思います。退職した一番のメリットですね。



一人誌『粋青』48号
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2007.2 大阪府岸和田市
後山光行氏発行 非売品

<目次>

○枯れ色(9)     ○−2007年−団塊の世代(10)
○アロエ(13)     ○めざし(14)
○漂流する朝・5(18)
スケッチ (8)(17)
創作★時間のすき間を覗いて (4)
エッセイ
●絵筆の洗い水【24】(16)
●舞台になった石見【38】
 寺坂吉右衛門と吉田忠左衛門「四十七人の刺客」池宮彰一郎著 (20)
あとがき
表紙絵:花(韓国にて1997年1月)



 枯れ色

ある統計によると
日本文化が急激に衰退し
枯れ始めてから久しい

長い時代に
人々のくらしや
生活の内容が変わってきたように

日本人女性の
みどりの黒髪は
しだいに枯れ始めて
いまではすっかり枯れ色をしている

日本文化の
枯れた色に違いない
と統計はいう

 「統計」が主語になっているところがおもしろいと思います。こういう手法ですと誰も責任を取らず、どこにも責任を押し付けず言いたいことが言えるということにも気付かされました。それにしても「みどりの黒髪」なんて言葉を今の若い人は知っているのかな? 下賎には烏の濡れ場色≠ネんて言い方もしていましたけど、そんな生まれたままの黒髪の女性なんか小学生ぐらいかもしれませんね。いやいや、小学生でも茶髪にして話題になったことがありました。「みどりの黒髪」は絶滅危惧種か…。「日本文化」はすでに腐ってきているのかもしれません。



『かわさき詩人会議通信』42号
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2007.3.1 非売品

<目次>
「サラリーマン川柳」に学びユーモア、風刺のある詩作を/河津みのる
夢/丸山緑子
サヨナラハナチャン/寺尾知紗
風の伝言/さがの真紀
節分草/枕木一平
君よそんなに苦しまなくても/斉藤 薫
薬師寺の空へ(病ながびくRさんの篠笛の会で)/山口洋子
春への支度/小杉和也
血糖値/斉藤 薫
川崎に温泉



 風の伝言/さがの真紀

どんな荒地でも
思いがけず
旅人は
深く澄みわたった泉に出遇
(あ)うことがある

まばゆいばかりの生命力にあふれた
ヘヴンリー・ブルーの

深傷
(ふかで)を負った旅人は
魂の奥まで瑞々しい泉に清められ
再び歩きはじめる

碧い空の下
遠く風の伝言を聞いた
ずーとずーと元気でいて下さいと

傷の痛みを抱えて旅人は
悲しみにも似た希望を胸に
愛という遠流の地まで
旅を続ける

 もちろん人生をうたった作品ですが「ヘヴンリー・ブルー」という詩句が効いていると思います。第2連にあるということが重要で、第1連の「深く澄みわたった泉」と第3連の「瑞々しい泉」を修飾しています。ここは巧みです。
 第4連の「ずーとずーと」はずっとずっと≠フ誤植かと思いましたが、これで良いのだと気付きました。「遠く」から聞こえてくる「風の伝言」ですから、伸びた音の方がリアリティがあるのです。
 正直なところ見過ごしやすい作品です。しかし「ずーとずーと」で、ん?と思って立ち止まり、もう一度読み返して「ヘヴンリー・ブルー」の位置づけが判りました。読者の眼力が試される作品かもしれませんね。



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