きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.1.26 小田原「アオキ画廊」




2007.2.28(水)


 2月最後の日は歯医者・銀行・犬の美容室などを巡り、なんとも散文的な一日でした。じゃあ、詩的な日というのはどういう日? と問われると難しいんですが、俗事から逃れて浮世離れした日とでもしておきましょう。今日はそうじゃなかった、というだけの話です。

 散文ついでに日本詩人クラブ役員の話。先日役員選挙が行われ、会長・理事長に継いで私が第3位で当選したそうです。投票はひとり10票で行われます。投票者のうち3分の1近くの人が私に入れてくれたことになるそうで、引き続いて理事をやるように依頼がありました。しかし熟慮の末、本日、辞退の葉書を投函しました。拙HPをご覧になっている会員の皆様で、私に投票してくださった方もいらっしゃるかと思いますが、申し訳ありません、ご海容ください。それほど大したことをやってきたわけではありませんけど、考えるところがあってしばらく組織運営から離れたいと思っています。もちろん残された任期のあと2カ月はしっかり働かせていただきます。



個人誌『伏流水通信』22号
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2007.2.25 横浜市磯子区
うめだけんさく氏発行 非売品

<目次>

ヨコスカの声…長島三芳 2         一鉢の盆栽…長島三芳 3
風の行方…うめだけんさく 4        めじろ…うめだけんさく 5
 *
フリー・スペース(21) 佐須町の家……木村 和 1
〈エッセイ〉現代詩雑感…うめだけんさく 6
後記…8
深謝受贈詩誌・詩集等…8



 ヨコスカの声/長島三芳

師走の横須賀駅を降りると
いきなり駅前で
原子力空母入港反対の署名を求められた。

私は黒いボールペンで
ゆっくりと署名をした
「ご苦労さん大変ですね」と声をかけると
署名を求めた青年は無言で
微笑をしながら頭を下げた。

ヨコスカは今どこかで行き詰まっている
遠くで戦争の匂いが少ししていて
原子力空母入港で
市民の声は二分され
揺れに揺れて沸きかえっている。

昔昏の空が夕日で染まるのを見ながら
この喧騒は私だけの問題ではなく
日本全体の
いや世界の平和に結びついていると思った。

私が今書いた空母反対の署名は
どこに届き
どこかで消えてしまうかも知れない
だが私の小さな声が
いつか何万の声となって
ヨコスカの黄昏の空を
覆う日がくるのを願っている
その日まで私は生きたい。

 ご存知の方も多いと思いますが、横須賀市長は当初「原子力空母入港」に反対していましたが、現在では認める立場に転換しています。そのため横須賀の「市民の声は二分され」た形になって「揺れに揺れて沸きかえってい」ます。その「空母反対の署名」が「どこに届」くか判らず「どこかで消えてしまうかも知れない」けれど、「いつか何万の声となって/ヨコスカの黄昏の空を/覆う日がくるのを願っている」という横須賀在住詩人の声を、私たちは真摯に聴く必要があります。まさに「私だけの問題ではなく/日本全体の/いや世界の平和に結びついている」問題です。詩人の社会性という面でも教えられる作品です。



隔月刊誌『サロン・デ・ポエート』266号
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2007.3.24 名古屋市名東区
中部詩人サロン編集・伊藤康子氏発行 300円

<目次>
作品
吸い殻拾い…小林 聖…4          たもとゆり…足立すみ子 5
雨のこころ…野老比左子…6         逝く秋…甲斐久子…7
愚弟より賢姉への悼詞…阿部竪磐…8     小春の日に…横井光枝…11
幼き君へ…荒井幸子…12           コーヒーカップ…伊藤康子…13
空白の時…みくちけんすけ…14        年輪を刻む…及川 純…15
散文
詩集「帰郷」を読む…阿部堅磐…16      詩集「指を背にあてて」を読む…阿部竪磐…17
詩集「暗愁の時」を読む…阿部竪磐…18    東北の旅…阿部堅磐…19
「詩と思想」新年会に出席して…野老比左子…20 同人閑話…諸家…21
詩話会レポート…23
受晴誌・詩集、サロン消息、編集後記
表紙・目次カット…甲斐久子



 コーヒーカップ/伊藤康子

如月の風が吹き抜ける町をそぞろ歩く
見知らぬ町を彷徨うことは
若い頃はよくしたのだが・・・

吹く風に背中を押され
目の前の喫茶店のドアを押す
常連客と話していたのだろう店主が
ちらりとこちらを見て立ち上がった

場違いの所に入り込んでしまった

そんな気持ちを抱えたまま
窓側の席に座り込む
コーヒーを待ちながら
窓の外に自を移すと
道行く人はほとんどなく
雪がちらついてきた

この歳になって
どう生きるかなどと言う気はないが
どうなっていくのかという
漠然とした気持ちが纏わりつく

周りから消えていった人を想い
過去になってしまった事を想うとき
家族がいて友がいても
独りであることが浮上してくる

哀しいのでは無く
空しいのでも無く
ただ
溜め息をつきたくなる
そんなとき
コーヒーカップを
両の手のひらで抱え込むと
身体中に染みてくるものがある

  ああ 暖かい・・・

行きずりの
でも忘れられないこの町を
再び訪れることのないこの町を
もう少し歩いてみよう

友の永眠るこの町を

 「見知らぬ町」で「目の前の喫茶店のドアを押」したところ「場違いの所に入り込んでしまった」という感覚になることはよくあることで、そこをうまく突いていると思います。第5連の「この歳になって/どう生きるかなどと言う気はないが/どうなっていくのかという/漠然とした気持ちが纏わりつく」という感覚も理解できます。それらの思いと「行きずりの」「友の永眠るこの町」とが効果的に重なった作品と云えましょう。「コーヒーカップ」という無機質なタイトルも奏功している作品だと思いました。
 今号では阿部堅磐氏が拙詩集について論評してくださいました。御礼申し上げます。



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