きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.2.8 自宅庭の白梅




2007.3.3(土)


 午後2時から神楽坂エミールで日本詩人クラブ研究会がありましたけど、30分も遅刻しました。もちろん余裕を持って出たのですが、小田急ロマンスカーが遅れたのです。車掌がのんびりと車内放送をやっていましたが、栢山の駅を過ぎたら突然「ただいま急ブレーキを掛けています、ご注意ください!」。電車の急ブレーキって初めて体験しましたけど、全々急≠カゃありません。完全に停止するまで1分以上、距離も1kmぐらい掛かったんじゃないでしょうか。そのあとの放送は「当電車はただいまヒトと接触したようです」。
 4日の新聞で判ったことですが、40代男性の自殺でした。結局、電車は40分遅れで私が遅刻となった次第ですけど、働き盛りの男性自殺と知って心中穏やかではありません。過労死なんじゃなかろうか、仕事に追われた末の自殺なんじゃなかろうかと、現職時代を思い出しています。私はその男に迷惑を掛けられた立場ですけど、ぜんぜん気にしていません。それよりも生きていてほしかったなと思います。合掌。

 そんなわけで研究会はすでに始まっていました。講演は天彦五男氏による「詩と美術」。日本詩人クラブのアンソロジー『現代詩選』の表紙絵、口絵を今まで全て担当してきたご経験から、画家との交わりを話してくださいました。

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 写真はたくさんの資料に囲まれて講演する天彦五男氏。新『現代詩選』に採用した絵や展覧会図録を回覧して、臨場感あふれる講演でした。時間が少なく、タイトルの「詩と美術」とは違って美術のみのお話になってしまいましたが、私には得るものが多くありました。特に配布された「近代洋画団体変遷表」、「近代日本画の系譜」は貴重な資料です。洋画でいえば有名な日展、院展はもともと明治美術会−太平洋画会の流れであること。行動美術、自由美術、主体美術などもその流れで見ることができます。その流れとは別に、戦後、一線美術会(1950年)、日府展(1956年)、大調和会(1962年再興)、近代美術協会(1965年)、元陽会(1977年)などが興きてきたことが判りました。
 これは私にとって重要な示唆だと思います。絵を観るのは大好きで、よく出かけますけど、そういう流れはほとんど意識していませんでした。直感で良い悪いを見分けるだけでしたけど、絵描き個人の作品が実は美術史の大きな流れの中で捉えられるかもしれません。そういう観方が良いかどうか分かりません。しかし、そういう楽しみ方もあるだろうと感じましたね。

 懇親会はいつもの白木屋。いつもの呑み仲間がいませんでしたので、今日は普段あまりお話しできない人たちと同席しました。初めてお会いしたと思っていた女性は、実は1997年の大垣大会でお会いしていると指摘され、ちょっと恥をかいてしまいましたけど、まあ、私の不徳の致すところ。焼酎のボトルは男性会員と二人だけで空けてしまって、これも不徳の致すところ≠ゥな(^^; 早めに帰宅して爆睡。連日のお酒には弱くなったようです。



個人誌『むくげ通信』34号
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2007.3.1 千葉県成田市
飯嶋武太郎氏発行 非売品

<目次>
金光林エッセイ 詩のための私の遍歴 1
『文学と創作』二〇〇六冬号より
犬の呟き/崔勝範(チェスンボン) 4     ベンチ/慎重信(シンジュンシン) 4
柿の木を眺めて/金宗吉(キムジョンギル) 4 花/張烈(チャンヨル) 4
故郷の井戸端で/李尚鎬(イサンホ) 4
第六回韓国詩文学賞受賞者 韓光九(ハンクァンク)の詩四篇 5
 山経・深い水・香油・山里の家

洛東江(ナクトンガン)の詩人 崔華國(チェファグク)/韓国「毎日新聞」より 6
二十一世紀韓国文学二十一集より 蘇于(ソウォン)浩(ホ)の詩二篇 7
 人類に明日はあるのか・永遠に至る道
想像の国/ソヒャンスク 8         武寧王(ムリョンワン)の国/文孝治(ムンヒョウチ) 8
自画像/李吉遠(イギルウォン) 8      温かい声/崔光鎬(チェクァンホ) 8
友人 八−問病/姜敏(カンミン) 9     独島について−日本の良心に/朴喜(パクヒジン) 9
帰天(キチョン)/李生珍(イセンジン) 10   私たちの生活の舞台で/崔載亨 10
母/許英子(ホヨンジャ) 10
日本文学館発行 緑野るり詩集書評 11
酒と女に狂った男/飯嶋武太郎 12
編集後記 12



 武寧王(ムリョンワン)の国/文孝治(ムンヒョウチ)

バスに乗り古代の国へ出発するとき雪が降ってきた
空のかけらが落ちてきて
ぼくを乗せて運ぶ機械の上にぶつかった
ぶつかる度に空の音が聞こえてきた
空の音は限りなく響いて
ぼくを乗せた機械は空中に上がっていった
空中まで来ると古代の国へ入る門が見える
門番一人立っていない大きな門は
だれでも自由に出入りできるように
広々と開いていた
あたかも演劇の開幕のように
キジ一羽が青い静寂を裂いて飛んでいた
この薄い幕をひいたら直ちにあなたの国
ぼくは度々こんな風に
複雑な手続きも難しい証明書もなく
簡単に
あなたの国に入国したことがあります


 私は日本史に疎いですから韓国史に疎いのも当然かもしれませんけど、浅学にして「
武寧王」とはどういう人物か判りませんでした。そこで早速、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のお世話になりました。

 「武寧王(ぶねいおう、462年-523年)は百済の第25代の王(在位:502年-523年)。『三国史記』百済本紀・武寧王紀によれば先代の牟大王(東城王)の第2子であり、諱を斯摩、『分注では隆とする。『梁書』では余隆(余は百済王の姓)、『日本書紀』雄略天皇紀5年条では、加須利君(かすりのきし、第21代蓋鹵王)の弟の軍君昆伎王の子、名を嶋君とする。また、武烈天皇紀4年条では『百済新撰』の引用として、末多王(東城王)の異母兄の混支王子の子、名を斯麻王、としながらも、「末多王(東城王)の異母兄というのは不詳であり、蓋鹵王の子であろう」としている。『三国遺事』王暦では『三国史記』と同じく、諱を斯摩とする。
旧都漢城(ソウル特別市)を高句麗に奪われ混乱した百済の安定を回復した王とされる。」

 とありました。要するに韓国の国民的英雄ということでしょう。作品はその「武寧王の国」へ「入国したことがあります」というもので、幻想と言ってしまえばそれまでですけど、私は違う感じ方をしました。「門番一人立っていない大きな門は/だれでも自由に出入りできるように/広々と開いていた」というフレーズにポイントがあるのではないでしょうか。すなわち「武寧王」は北朝鮮、韓国双方の英雄のはずで、両国を「複雑な手続きも難しい証明書もなく」「自由に出入りできる」日を描いているように思うのです。おそらく作者の意図からは外れているでしょうが。
 それは措いても「空のかけらが落ちてきて」というフレーズは佳いですね。「バス」がいつの間にか「空中に上がってい」く「機械」になっていくというシーンも見事です。韓国現代詩の実力を見せられた思いのする作品です。




詩とエッセイ『ガーネット』51号
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2007.3.1 神戸市北区
空とぶキリン社・高階杞一氏発行 500円

<目次>

廿楽順治/肴町・誘拐・さがさない 4    大橋政人/春の庭・春の悲しみ 10
阿瀧 康/中学生 14            神尾和寿/でこぼこ 18
高階杞一/文字の夢・夕日とアンデルセン 26 嵯峨恵子/出社拒否症の男・不法侵入・べッカリア広場 30
大谷良太/日々・輝いて眩しいたくさんのものたちへ・人情 40
1編の詩から NO.22 立原道造 嵯峨恵子 20
シリーズ〈今、わたしの関心事〉NO.51 浜田裕子/佐藤弓生/眉村卓/森哲弥 22
ためになる、講義(2) 韃靼海峡/高階紀一 24
詩集から NO.49 ●詩片 
受贈図書一覧/高階紀一 46
エッセイ 八木幹夫さん八木重吉を語る/大橋政人 54
ガーネット・タイム 57
前世/嵯峨恵子    壁の文字/大谷良太  納豆が無かった/神尾和寿
秋から冬へ/阿瀧康  二十行の詩/大橋政人 上から何かが降ってくる/高階杞一
名前について/廿楽順治
同人著書リスト 63
あとがき 64



 肴町/廿楽順治 Tsuzura Junji

ここでは
なにを売ってもさかなになってしまう
ぜつぼう なんて
ひさしく聞いたことはなかったが
このさかなの目
だってそのひとつかもしれない
くさくて
にんげんなんかにゃ
そのにおいはとても出せない
そいういうさかなになってしまえば
ぜつぼう
も おかずのひとつである
死んじゃいけないよ
語るやつらの権利にうんざりする
さかなまち
なんだからね
むざんにかわってしまった
(もとはとてもだいじなもの)
それを
籠ごとこうかんする
くさいねえ
わたしたちのまちは
どうしていつまでたっても
水の音がしないのだろう
かなしいものは束で売るほかないのだ

 巻頭を飾る新同人の作品です。苗字は「つづら」とお読みするそうです。ご本名で、よく甘楽≠ニ間違えられると「ガーネット・タイム」で憤慨していました。
 「ぜつぼう/も おかずのひとつである」というフレーズには思わず笑ってしまいましたが、佳い詩句だと思います。最後の「かなしいものは束で売るほかないのだ」も佳いですね。束≠ノなるということは哀しいことなのだと気付かされます。今後のご活躍が楽しみな詩人です。
 なお、今号では拙詩集を紹介してくださっていました。ありがとうございました、御礼申し上げます。



詩とエッセイ『回転木馬』120(終刊)号
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2007.3.5 千葉市花見川区 鈴木俊氏発行 非売品

<目次>

短詩一〇篇/朝倉宏哉 4          ルーブル美術館のエレベータにて/川嶋昭子 6
かささぎ/川原公子 8           街角/川原公子 10
もみじっこ/小笹いずみ 12
エッセイ
見習生瑛子さん/大川節子 14        ちょっと不思議な街・バーゼル/杉 裕子 18

わたしの詩/佐野ヤ子 23          フォックスフェイス/つむり葉月 25
宿題/つむり葉月25             「ある国のものがたり」/田中ひさ 30
エッセイ
晩秋/那須信子 32             下駄の音/橋本榮子 35

青空/中村弘子 38             私の中の私/中村弘子 39
金魚の哀しみ/村上久江 41         あの児が泣いている/村上久江 42
名詞/長沢矩子 44             しまうま/長沢矩子 45
回転木馬/鈴木 俊 48
受贈書簿・詩誌等御礼 50          編集後記 53
回転木馬二二年の記録/長沢矩子 57



 回転木馬/鈴木 俊

回転木馬をドイツでは
カルッセルという
大きな町にはたいてい移動遊園があり
そこには必ずカルッセルがある
駅前の広場
川ぞいの繁華街の片隅は
車の進入が禁じられているので
週末など
若いカプルや子供づれの恰好の遊び場になる

秋になれば
ワイン祭りなどと称して
遊園地を囲んで露店が並び
ソーセージの茹でたの焼いたの
焼きそばならぬ焼きヌードル
ケバブはお好み焼きそっくりの味
電気仕掛けの猛牛を
見ごと乗りこなした若い父親は
ホイリゲのご褒美を貰ってご満悦

ドイツでも結婚する若者の数が年年減って
出生率は過去最低を記録している というが
回転木馬はいつも満席
子供達は次次に
きらびやかなお伽の館で
ゆっくりと弧を描きながら浮いたり沈んだりして
見まもる両親の笑顔の前を通過して行く
その運命の出会いと別れ
そこに永遠の詩があるからだ

 注 ケバブ――水で練った小麦粉を鉄板で焼き、中に肉や野菜を挟んで食べる。トルコから来たものだという。
 注 ホイリゲ――年内にできたワイン

 表紙に「終刊号」とあって驚きましたが、「回転木馬二二年の記録」によるとすでに2006年1月に発行人の鈴木俊氏より解散の提案があったようです。その後118号、119号と出してこの度の120号が終刊号ですから、規定の路線を歩んで来たにすぎないのかもしれません。しかし一読者としては非常に残念です。毎号楽しませていただいておりました。
 最後の作品としては、やはり鈴木代表の詩を紹介したいですね。誌名の由来もよく判ります。最後の「見まもる両親の笑顔の前を通過して行く/その運命の出会いと別れ/そこに永遠の詩があるからだ」というフレーズは「子供達」に限らず、生きている私たちすべてに当て嵌まります。そうやって「運命の出会いと別れ」を繰り返し、いずれ肉体は消滅する…。それまでの瞬間瞬間を精いっぱい生きるしかないのかなと思います。
 長い間読ませていただいてありがとうございました。同人の皆さまの他所での今後のご活躍を祈念しています。



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