きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.2.8 自宅庭の白梅 |
2007.3.13(火)
午前中はクルマで20分ほどの実家に帰って、父親の通院に付き合いました。新しいクルマで行ったので何か言うかな?と思ったら、最後まで何も言いませんでした。気付かなかったみたい(^^; いくら80を過ぎたとはいえ、自分が乗るクルマが変わったことぐらい気付けよ!と思いましたけど、まあ、こんな息子の父親じゃ止むを得ないか…。
気付かなかったといえば、私の方が罪は深いかもしれません。定期的な頭のMRIを撮ったので私も一緒に見ましたが、前頭部に白い影があって、なんだこりゃ!と思ったら、戦争中の砲弾の破片だとのこと。58年近くも父親と付き合って来て初めて知りました。昔は頭のレントゲンを撮ることは少なく、MRIになってから一般的に見るようになったとはいえ、知らなかったことに私自身が驚いています。そういえば戦争の話もほとんど聞いていませんでしたが、こういう形で戦争は残っているのかと、ちょっと緊張しました。父親は自分からそろそろ死ななければならない≠ネんて言ってますけど、その前にじっくり聞いておこうと思いました。
○詩とエッセイ『槐』5号 |
2007.3.1
栃木県宇都宮市 矢口志津江氏他発行 非売品 |
<目次>
詩
峯尾玲子/ポンペイの空…2 小春日和…6
矢口志津江/夕焼け…8 にしん蕎麦…10
詩を読む
峯尾玲子/六月の蝶…12
矢口志津江/薔薇を焚く…14
エッセイ
峯尾玲子/館岩の家(二)…16
矢口志津江/知り合い…‥…‥18
編集後記…20
表紙 空木 海 題字 栗原郁子
小春日和/峯尾玲子
肩にさりげなく
セーターをかけられた気がした
見まわすと
公孫樹の大木
真っ青な空に向かって立っている
溢れでる黄の色で
あたりが目映い
光にすいよせられ近づく
風もないのに
一枚の葉が降りてきた
角がピンとして
三味線の撥のよう
おばあさまは
よく弾いていらっしやった
座布団に坐られ
日のあたる部屋で
おばあさまの弾く
三味の音色が聞こえてくる
透きとおった声も
最初の「肩にさりげなく/セーターをかけられた気がした」というフレーズが印象的です。「公孫樹の大木」から「降りてきた」「一枚の葉」なのでしょう。「光にすいよせられ近づく」という行為も公孫樹の木ならではのもので、これもよく納得できます。その葉が「三味線の撥のよう」で、そこから「おばあさま」に結びついて、「小春日和」というタイトルに上手く繋がったと思います。初冬の一日の穏やかな陽の光を感じる作品でした。
○同人誌『佃』1号 |
2007・春
埼玉県所沢市 北野丘氏発行 非売品 |
<目次>
詩
抒情誤爆/山岡 遊 2
ヤグルマの島/北野 丘 7
リターントゥフォーエバー/村田マチネ 13
エッセイ
宮本武蔵 杉本真雅子 辛淑玉 荒川洋治/山岡 遊 17
御伽――母が歩きだすと 羊水が揺れる/北野 丘 25
抒情誤爆/山岡 遊
夥しく枝分かれする先端に
マヒ鰐の歯をつけたケーブル
そのうねり来る尾行を
肩をすくめる叙情たちが詠うとき
行は
無邪気な憐憫の歩いた道
行間は
虚無が水切りで遊んだ小川
見えない句読点は
溺れた女への追憶の吐息
喩は
凪の海原から来る魚拓の夢でしょうか
やがてそこには
潜む場所をより修辞する
精神地図(サイキック・マップ)ができあがる
二日かけて読んだ
萩原朔太郎詩集の『月に吠える』から『氷島』までの
一一二篇の詩群
その六十九篇には
四十四匹のカナシの蛾虫が羽を広げて停止し
五十九匹のサミシの蜘蛛が霞のように巣を張って
読者を待っておりました
野に 山に 村に ひとに
アワレの飛蝗
ミジメのキリギリス
憂鬱のこうろぎたちが
適度に分布されており
はたして
彼の「生きて働く心理学」とは
永遠の昆虫採集だったのでしょうか
追ってくるのは
大正から昭和十年代初期に流れた笛の音に踊るもの
中原中也は
細い骨の狭窄の中で
汚れちまった悲しみに雪を降らし
三好達治は
二度と目覚めることのないやさしい呪文で
眠らせた者たちの屋根に雪を降り積もらせ
丸山薫は
ひたすら物象にひそむエモーショナリズムの反照のため
風雨の吹き込む胸から風雨に色あせた花を取り出したのです
鳴咽しながら考える
鳴咽しながら考える
ああ、
すべては
ああ、
紊乱なき
風景への信奉の果て
破竹の開戦を見た
二十一世紀はすべる
もはや尾行は引致に変貌し
世界はますます
黒い昆虫採集のメロディを奏でるだろう
海に浮かぶ鬱の国
宙に浮く躁の地表で
渦巻くすべての感情は自己決定ではない
饐えた叙情反乱は黄色い容器に注がれてゆく
マヒ鰐が吐き捨てたフォースの虫籠の中
解剖から逃れた前頭葉が
手榴弾のように飛び交い転がっている
なるほど
ピンを引き抜かれたようだ
てんてんと
てんてんと
絶好の叙情誤爆を
繰り返している
2006・秋に創刊号が出ていますが、今号はVOL.1となっており発行者も代わっていますから新たな出発なのかもしれません。ただし同人お三人は同じで、表紙のびいどろの絵も同じです。
山岡さんの作品にはいつも新しい発見がありますけど、紹介した詩にも驚きました。確かに詩は「叙情」を「誤爆」しているのかもしれません。ここでは叙情詩に限定しても良いのでしょうが、作品を読み終わって他の詩も「誤爆を/繰り返している」のかもしれないなと感じています。今こそ正確な爆撃が求められている時代かなと思う反面、爆撃そのものが必要なのかということまで考えさせられました。
○総合文芸誌『葦』26号 |
2007.3.15
三重県度会郡玉城町 村井一朗氏発行 非売品 |
<目次>
□詩
青春(はる)翔ける/松沢 桃…2 蓮の眼(まなこ)/岡田千香代…12
ルピナスに会う前に/辻田武美…14 食卓のまんなかの花/池田みち…16
−高校生四人集−
いつもの朝/鹿島莉香…20 妥協/小林佳奈…22
私の朝/服部 渚…24 届かないおたより/梅田綾音…26
物が捨てられない/佐野みゆき…32 桜/武藤ゆかり…34
メッセージ/村井一朗…41 風の径/村井一朗…44
□短歌
(遺作) 供出/東 季彦…36
□エッセイ
峠の向こうへの手紙(8)/中田重顕…10 詩人の恋(32)「中野重冶」/清水 信…18
ここだけの話(24)/松嶋 節…28
□所感
詩集「コトリ」に寄す/村井一朗…38
はる
青春翔ける/松沢 桃
きみは
走りだそうとしている
誰も
きみを止められない
きみの生命(いのち)が噴きだしているひとみを
みとめたら
うなずくしかないだろう
一九六八年四月
傷だらけの手にわずかな所持金をにぎりしめ
肩にくいこむザックの中味は
棄てたはずの明日の死骸
八十八ヶ所は遠いか
石段の果てにほほえむ面影がみえるか
夜更けに幾度も呼びかけた
なつかしい匂いと温りがよみがえるか
ほこりと汗にまみれた
たびごろも
いとおしく抱きしめる母がみつかるか
きみの背をうながすのは
春の風 だけではない
悔いと憎しみとあふれる不安と
ねむれぬ時間が
きみを美しい原石にしたのだ
断崖から眺めているきみがいる
墜らてゆくのか
飛翔(と)びたつのか
さあ
出発するのだ
苦渋にみちた選択
他人(ひと)を不幸にもしよう
他人の思惑こそしがらみをうむ
白い空間をうるおす しろい貌
病弱の女人(ひと)は嘆きもせず
静かに運命と添寝をしている
いつ訪れるのか
死神は四分の一影をつくる
なだめすかし 知らないふり
きみが愛した時間軸にいた
やさしいペンパル
流れるものは
きみを濡らし負荷をあたえ
痕跡をのこしてゆく
きみの蒼いひたいに刻まれた
決して消えない
内側からしか読み解けない
幾条もの筋
一目散に
駈けてくる者がいる
きみのスクリーンいっぱいに
確かめねばならない
危険を冒しても
択ばなければならない
きみのためらいも
すぐ打ち砕かれるだろう
情熱にまさる欲望は
おそらくない
索めあう流れが
しばしひとつの烈しい流れをよぶ
急流から大河そして海へ
ひとりぼっちの雲が
虹色に染めあげられるとき
きみの本能がさとる
畏れていた歯車がひそかに廻ったことを
ほんとうは疾うに知っていた
約束された予感にみちていた
いずれ否応なしに
甘美な酔いがきみを狂わせ
きみを虜にする日がくるだろう
そうして
きみをむしばむ
奈落の未来が螺線状にせりあがる
理性は乾いた目差しに終始し
きみは拒む術をもたない
レンゲ色の満月が証人だ
戦きのなか
きみは自らの意思ですすんだ
あともどりはできない
際限もなく繰り返すのだろう
飢えも渇きもいたみも
愚かな
涙がきみを澄ませ
淋しさがきみをつよくする
きみはまだ知らない
ゆめの翼の代価を
古人(いにしえびと)には倣うべくもないが
きみの放浪(たび)が
端緒についた四十日余りのひとり旅
はるかな声に耳を優けよ
はだかのこころで
昨年7月の日本詩人クラブ例会で作者によって朗読された作品です。「一九六八年四月」と明記されていますから具体的な事実があったのかもしれません。まさに「青春」の「あともどりはできない」「四十日余りのひとり旅」のドラマです。現代の叙事詩という言い方も出来ます。「棄てたはずの明日の死骸」「静かに運命と添寝をしている」「奈落の未来が螺線状にせりあがる」などのフレーズにも魅了されました。
○安川登紀子氏詩集『記憶』 |
2004.12.20再版
東京都東村山市 水仁社刊 非売品 |
<目次>
T
14 カンシャク 16 冬の木
18 そよ風 20 春いちばん
22 時差 24 生活
26 いさかい 28 関係
U
32 鳩のいる風景 36 絵 A
38 絵 B 40 回復
42 時についての一考 46 空
48 歌 50 蛇の窒息
54 月光 56 コンタクトレンズ
58 ずれ 60 栗子
V
66 祈り 70 心象風景
72 無題 74 気の遠くなるようなもの
78 ある情景 80 記憶
84 こんな日には
栗子
1
夜中に目覚めてふと横を見ると 妹が
化粧をした母に抱かれている
母の丹念に化粧された顔が言う
「殺してやる」
2
人通りのない夜道を恐恐(こわごわ)歩いていた
向こうから人影が近付いてくる
人影は磁石に吸い寄せられるように
こちらに寄って来る そして私は
3
粟子は私の子よ
違うわ 妹よ
4
外は雨 玄関のドアがあけっ放しだ もう日が暮れてしまったとい
うのに 暗闇の中で音無しテレビだけが光り かすかにジージー呟
きながら画面を変えてゆく 留守の家
5
ああ 私の粟子が死んでしまう
私の栗子が
6
公園の公衆トイレ
不吉な黒い紋章を背に浮かび上がらせて
白い鳥が次から次へと舞い込んでいる
そして扉を開けると
なかった記憶が よみがえる
この詩集の初版は1992年9月30日に詩学社より刊行されたそうで、著者の第2詩集だそうです。新装再版は限定100部という貴重な詩集をいただきました。
詩集タイトルと同じ「記憶」という作品は収録されていますが、私はこ詩集の全体イメージとしては紹介した作品の最終連「なかった記憶が よみがえる」にあるように思います。もちろんこの連は1から6の全てに当て嵌まります。「母」との確執が著者の原点なのかもしれません。ちょっと怖いイメージが続きますけど、それだからこそ15年前の作品という古さを感じさせない普遍性があると云えるでしょう。著者が再版に踏み切る意思が判る詩集でした。
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