きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.2.8 自宅庭の白梅 |
2007.3.19(月)
伊東市一碧湖畔の「池田20世紀美術館」に行きました。今月末までハンス・ベルメールの版画が展示されています。今年1月に一度行ったのですが、会期末までにどうしてももう一回は観たいと思っていました。やっぱり、佳いなと感じます。今回は他の展示を全て観たあと、もう一度ベルメールに戻りました。1回目も疲れたけど、2回目は更に疲れた…。でも、良かったです。一度目では見落としたものを発見して、ちょっと興奮気味でした。線だけの描写ですが、よく見ると二重三重に絵が隠されています。両性具有としてはその方が効果的なのでしょう。知の武装をした人間の、本当は違うだろ! というところが抉り出されてます。普通の生活の中では、隠すべきものは隠した方が良い、しかし芸術は暴くもの、それを改めて感じさせられました。
30年ほど前にベルメールの図録は求めてあって、時折引っ張り出しては眺めていたのですが、いつの間にか失くなっていました。今回また買い求めました。30年前とまったく同じもので、値段も同じ300円。おそらく初版がそのまま残っているのでしょう。それだけ一般には人気がないということでしょうか。しかし詩に興味のある人には、一度は観てほしいと思っています。ロートレアモン詩集『マルドロールの歌』の挿絵です。
○文芸誌『扣之帳』15号 |
2007.3.15
神奈川県小田原市 青木良一氏編集・扣之帳刊行会発行 500円 |
<目次>
小田原の文学発掘(9)
望郷の詩人−藪田義雄のこと/岸 達志 2
近況U/東 好一 18
水のはなし−水環境と水資源/富家和男 21
垂直と水平/村山精二 28
来自大・的信(大連からのたより)/水谷紀之 30
相模女/木村 博 32
カルメン日記/桃山おふく 38
足柄を散策する(6)文学遺跡を尋ねて
我が産土の町・小田原(2)/杉山博久 44
名護屋城と秀ノ前/今川徳子 54
茂年さんのことば/岡田花子 58
先人の「郷土史論」に思う/石井啓文 59
藤田湘子展を終えて/佐宗欣二 66
安里宗楊(14) 皆是れ理外のみ/青木良一 68
◇表紙 木下泰徳 ◇カット 木下泰徳/F・みやもと
茂年さんの言葉/岡田花子
商品
物を買うのは
買はされる事でもある
その事で一つの出合が
生れるからだ
生きる事の必要さの中で
物を作る使う学ぶことの中で
売りたい心
買いたい心がある
商品の中には
人間を作り出す力がある
社会を動かしている魔があり
文化そのものの
表現となっている
どんな商品が
今の人間にとって必要なのかは
何時でも
人間の健全さと病弱との
分れ道としての
判断に任せられている
《小川茂年(一九二七〜一九九五)》
私の身の廻りにある品々の多くは<商品>でした。一つ一つ出会いがあって今、私のもとにあります。茂年さんは、「商品の中には/人間を作り出す力がある」といわれます。人間が商品を作ったと思っていましたが、その反対側から見ています。「人間を作り出す」とはどういうことなのでしょうか。私の身の廻りにある品々が私を作り、私の健全さと病弱とを計っている。こころの弱さまでお見通しのようです。
--------------------
11号から連載されている岡田花子氏の「茂年さんのことば」を紹介します。「茂年」はもねん≠ニ読みますがどういう人かはよく判りません。ネットで調べてみると、モーネン先生≠ニも呼ばれ69歳で亡くなったようです。作品は岡田花子氏がお書きになっている通り、確かに「人間が商品を作ったと思っていましたが、その反対側から見てい」る面白さがあります。「私の身の廻りにある品々が私を作」っているというのも高い見識と云えましょう。モノと人間との関係について考えさせられる詩であり、感想だと思いました。
今号では拙エッセイ「垂直と水平」を載せていただきました。水平線を見るとなぜ心安らかになり、高い建物を見ると不安になるのかを愚考したものです。機会のある方はお読みくださると嬉しいです。また石井啓文氏の「先人の『郷土史論』に思う」では拙HPについて触れていただきました。ありがとうございました。
○季刊『現代詩図鑑』第5巻1号 |
2007.3.1 東京都大田区 ダニエル社発行 300円 |
<目次>
椿まで/支倉隆子 3 一匹のルリボシヤンマ/福田武人7
投函/岡島弘子 11 あかし/高橋渉二 15
冬の教室・冬の忠清南道/國井克彦 18 夜明けの月/枝川里恵 21
無一物・天の下・心/高木 護 24 俺は冬だ/武田 健 28
終らないもの/坂多瑩子 31 salon/竹内敏喜 35
扉を開けて/荻 悦子 40 私もゴキブリ・シンプル/岩本 勇 43
冬の市で/佐藤真里子 50 空しい日々/小野耕一郎 53
遠い山里/松越文雄 56 妻籠み・豊玉姫/倉田良成 60
ワープ/山之内まつ子 67 表紙画…来原貴美『聖母子』
遠い山里/松越文雄(まつこし ふみお)
岩手の山のなかを走っていると
とつぜんに一軒家があったりする。
電気や水道を
どうしているのだろうと
つい電柱や谷川を探してしまう。
炭を焼いていた時代に
先代が住みついたらしい。
夏休みのことだった。
木立のなかから家が現れ
一軒の板かべに
割烹着の女がほほ笑んでいた。
大塚のボンカレーの看板だった。
その隣には
金鳥蚊取り線香の渦巻き。
隅がはがれていたが
昔のままの色だった。
私は一瞬 昔に戻された。
店のなかには何もなく
農具と木箱が散らかっていた。
通りにも人影はなく
日ざしが沢を照りつけていた。
そこがどこだったのか
今では思いだせない。
私が小さかった頃
母が着物に割烹着だったことを
女に話したことは覚えている。
そこを思いだそうとすると
ナショナル電球とか
丸石自転車とかの
ほうろう看板が浮かんできてしまう。
退職して一線を退いてから
歩いて探すしかないような
遠い遠い山里だったように思えてくる。
作者と私は年代が近いのかもしれません。「大塚のボンカレーの看板」「金鳥蚊取り線香の渦巻き」「ナショナル電球とか/丸石自転車とかの/ほうろう看板」は私にとっても「昔に戻され」るものです。想い返すと昔の宣伝って、ずいぶん地味だったなと思います。
この作品で光るのは「女に話したことは覚えている。」という1行です。この行が無くても詩として成立しますが、あることによって人間の体臭を感じるようになりました。深みが加わったとも云えましょう。1行の重みを感じた作品です。
○文芸誌『ノア』12号 |
2007.4.30
千葉県山武郡大網白里町 ノア出版・伊藤ふみ氏発行 500円 |
<目次>
詩
奈良点景…筧 槇二 2 悔痕のような午后…桑原 啓善 4
鳥屋…右近 稜 6 シャボン玉…此木三紅大 7
「終末時計」…小倉勢以 8 左手…大野ちよ子 9
当世の猫事情…北村愛子 10 田舎の学校…伊藤ふみ 12
風鏡…伊藤ふみ 13
エッセイ 老の験直し…保坂登志子 14 小論 コレット…遊佐礼子 16
エッセイ アート・ノート…望月和吉 22 詩画 武政博…田村和子 23
エッセイ ステッセル将軍のオルガン…馬場ゆき緒 24
創作 水を切る幸子…川村慶子 26 童話 月とばら…伊藤ふみ 28
詩 学童作品…30 エッセイ 私のアブロード…森 ケイ 32
ご案内…詩画集 39 編集後記 40
左手/大野ちよ子
母親の左ききを 見ながら 子ども達は育つ
両手が使えるっていいな
人前では 少しとまどう時もある
鋏は 左手 カーブはむずかしい
包丁は 左手 見ていてドキーンとする
縫い物は 左手 不思議だね
雑巾しぼりは 左手 力強い
書くのは 右手に持ちかえる
箸は 右手 皆んなと同じ
左ききとか ギッチョといわれて
ただいま通過中
左手は 太陽
右手は 月
18・10
最終連の「左手は 太陽/右手は 月」にというフレーズにハッとしました。私は右利きですから月、「左きき」の人は太陽なのか! 別に逆でもかまわないけど、妙に説得力があります。しかし道具は基本的に右利き用に作られていますので、特に「鋏」の扱いは「むずかしい」でしょうね。「ただいま通過中」ということは右も左も使えるようになるということでしょうか。野球にもスイッチバッターがいて凄いもんだなと思っていますが、普通の生活でもスイッチできるということになれば、太陽も月も手中に収める、羨ましい限りです。
(3月の部屋へ戻る)