きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.2.8 自宅庭の白梅




2007.3.25(日)


 娘の就職が決まって、相鉄線沿線のアパート探しをしてきました。目ぼしいところを娘がネットで調べて、私が運転手兼保証人役というところですが、久しぶりのアパート巡りで私の方がちょっと興奮気味でした。しかし、それにしてもアパート探しは楽になったものです。家賃・間取り・日当たりなど好みの条件を入力するとすぐに何十件も出てきます。そこから絞り込んで5件、現地を見てきました。そのうちの一件が条件通りでしたので決定。仮契約までやってきました。

 保証人は私です。ここでも書面に職業欄がありました。前回、無職と書いて失敗しましたから、今日は堂々と著述業≠ニ書きました。すかさず不動産屋さんが「小説をお書きですか?」。一瞬ドキリとしましたね。そうか、世の中の人は著述業≠ニいうと小説家という連想なのか! 「いえ、小説はシンドイですからエッセイが主です」。詩を主に書いてます、なんて言えません。それではまったく収入がありませんと言っているようなもの。ここは見栄でもがんばらなければ(^^;
 どにに書いてます? と聞かれたらどうしょうと思って、地元の新聞社や一度だけ書かせてもらった熊本の新聞社、これも一度だけエッセイを書いた大手出版社の名前などを考えていましたけど、その質問はありませんでした。ホッ。年収欄には失業保険分、投資信託のアガリ分など総動員してそれなりの金額を書いておきました。著述業は何年やってますか? という質問に1年と答えたら驚いていました。その前は何を? の質問に現職時代の会社の名を出して、そこで37年働いていました、と回答したら急に相手の態度が変わりました。もうひとりの不動産屋さんが口をはさんで「誰でも知っている会社ですね!」。

 やっぱりなぁ。著述業なんてあまり信用されていないようです。よっぽど有名で、どこそこのTVドラマの原作は私ですよ、ぐらいのことを言えないと信用ゼロなんだろうなぁ。それに比べて前職の名は天下に通用しています。娘が就職する会社はほとんど知られていません。しかしすぐに不動産屋さんは会社を検索して、ようやく信用してくれたようです。私の前職は検索さえやらないで信用しましたからね…。虎の威を借りていたサラリーマン時代と、まったくの丸裸になった個人名の現在、この差があるのは頭では判っていましたけど、現実に目の前で展開されるとその落差の大きさに驚きます。これから本名という個人名、筆名という個人名で世の中と渡り合って行くのかと改めて感じました。退職して1年後にそれを実感するなんて、私もニブイですけどね(^^;



秋山泰則氏詩集『民衆の記憶』
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2007.4.3 東京都板橋区 コールサック社刊 2000円+税

<目次>
T章 ぼくは兎になりたかった
ぼくは兎になりたかった 10         母という字 12
母がうたう歌 14              初冬の川原にて 16
流れと群れ 18               赤い舌 20
母の背中 22                戦死 24
生きる形 26                声 28
沢蟹 30                  父の日 32
虫捕り 34                 幸福 36
遠足 38                  あした天気に…… 40
望郷 42
U章 火が燃えている
火が燃えている 48             立ち話 50
美しいとき 52               母の声 54
オラショ 56                二十一番目の染色体 58
浪人 60                  酒場 62
別れ 64                  村の領域 66
画家 68                  数式 70
顔 72
V章 民衆の記憶
遺伝子 76                 所感 78
若い娘 80                 人類の記憶 82
生きたものの記憶 84            有事 86
木炭 88                  居庸関 90
天壇 92                  歌 94
絶滅危惧種 96
 あとがき 100



 父の日

父の日がいつ頃できたのか知らないが
この日にかぎって 私は子どもたちからものをもらう
ハンカチが初めであった
くつ下の時がずっと続いた
やがてシャツ 靴 洋服と変化した

いずれも身につけると幾分大きめであった
そのわずかに大きな部分が期待であり
父というものの虚構なのであろう
彼らもすっかり大人になったくせに
今年も同じことをしている

 松本市議を4期務めたという異色の詩人で、最近『COAL SACK』誌に書き始めていて注目していました。今回、詩集というまとまった形で詩群を拝読しましたが、母上や従兄など身近な人々に示された愛情がそのまま政治の世界でも生かされていたのだろうと思います。
 紹介した作品は親族を題材にした「T章 ぼくは兎になりたかった」に収められています。「そのわずかに大きな部分が期待であり」というフレーズに、この「父」の偉大さがあると言えましょう。ご本人に言わせれば「父というものの虚構なのであろう」ということになりましょうが、「そのわずかに大きな部分が期待であ」ることに気付く父親は、私も含めて少ないように思います。政治という現実の世界と詩人としての立場を両立させた秘密がこのフレーズにあると感じました。



大原勝人氏詩集『通りゃんすな』
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2007.4.15 東京都板橋区 コールサック社刊 2000円+税

<目次>
T章 花の叫び
花の叫び 10                終日吹雪 13
伊春(イチュン)の春 16           追跡者 19
特別寝台車 22               鳥葬 26
ポタラ宮殿 29               砂の館 32
U章 十輪院の火渡り
十輪院の火渡り 38             俺のふる里 41
太陽に向って走れ 44            瀬戸の潮騒 47
ホームレス 51               夕陽の森 53
鯛の行方 56                葛の葉物語 59
嘘 62
V章 通りゃんすな
通りゃんすな 66              回帰 69
赤とんぼ 72                乱れ雲 74
おふくろ 78                路 81
秋桜 84                  小舟 86
早春譜 88                 花の季節 92
秋 94                   回天 砕け散る 97
 あとがき 100



 通りゃんすな

ままにならない手術台の上から
一本の橋が暗闇に向かって繋がっている
渡ろうか渡るまいかと
迷い佇んだその橋も取り壊されて
エーテルの匂いが漂う径を
後戻りしたあの日
チラチラと見え隠れする
彼岸の灯りを背に
辿りついた村の広場
くりひろげられた盆踊りの夜に
浴衣姿の輪に踊った愛ちゃんや
鉦や太鼓で秋空を焦がした宵宮に
祭り半纏の渦の中で
御輿をかついで汗に溺れた哲ちゃんも
みんな村はずれの橋の向こうへ
姿を消してしまった

のうぜんかずら
凌 霄 花 の花だけが鮮やかな
朽ちた橋を渡ろうとして
またしても纏わりつくかずらの通せんぼ
生きるという聖域に名を借りて
噛み違った歯車は狂ったまま
くり返し重ねてきた恥と慾の数々
悔恨の海は探く淀み
怨嗟の声だけが遠く海鳴りのように
魂をしめつける

せめてあの橋を渡れば……
と行手を遮るものがある
それは、通りゃんすな、と
煩悩の此岸に私を押し返した
かずらのように痩せ細った
亡き父母の手だ

 *エーテル‥溶媒液。麻酔に使用する。

 80歳を過ぎた著者の第一詩集です。ご出版おめでとうございます。タイトルポエムの「通りゃんすな」を紹介してみました。「手術台の上から/一本の橋が暗闇に向かって繋がっている」のを見た作品で、その「行手を遮る」「かずらのように痩せ細った/亡き父母の手」が印象的です。「私を押し返した」者によって生かされている現在、その父上、母上の愛情をも感じさせます。通りゃんせ≠ノ対する言葉として「通りゃんすな」という言葉も面白いと思いました。今後のご活躍を祈念いたします。



詩誌『青衣』124号
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2007.3.20 東京都練馬区
青衣社・比留間一成氏発行 非売品

 目次
<表紙>…比留間一成
花むしろ…表 孝子 2           ラスト ダンス…表 孝子 4
六月の窓…表 孝子 6           春隣…井上喜美子 8
少年と少女と凧と…伊勢山峻 11       在處なく−旅ぞ危うき…上平紗恵子 14
夕時雨…河合智恵子 18           詩…布川 鴇 20
朧…比留間一成 22
「日塔聰」(1)…布川 鴇 24
−追悼 鈴木亨−
鶴…鈴木 亨 28              光りある樹よ…伊勢山峻 28
百合の香の…比留間一成 28
<あとがき> 目次



 鶴/鈴木 亨

        かし
鶴、おまえが首を傾げると、わたしも首をかしげる。何の音

に愕いてかはしらぬが、わたしも愕かされる、きょとんとす
                 
うなじ
る。だが、おまえはすぐにその豊かな頸を伸ばして、実に寛

達な様で、歩きだす。疑うことも惑うとも知らない。ただ、

おまえはすぐに忘れる。



遠州作りの庭園に、陽が照り陽が翳って、おまえのその麗姿
        
おもて
も、いくどか水の面に、映え、澱んだ。
                 
       
裏山にはひと日、蝉の声が喧すしく、夜となれば、蛙の濁み

声が蔽わんばかり騒ぎたてるのに、どこ吹く風の風情。ここ

かしこの松のたたずまいを真似ては、首を縒ってみたり、前

の方へずうっと突き出してみたり、静かにその羽を展げてみ
     

たりする。添れを呼んでも労わるでもなく、何の関わりもな

げに、しかもこの二羽の鶴は連れだって、散歩する。虫を追う。


とら
把えどころがない。わたしは飽かず眺める。一瞬わたしは、

自分の心が山のように静もったと感じた。(愚かしさもまた、
        
とりで
ときに美しい生の砦たりうる。)鶴は疲れたと感じたことが

ない。その精神は、微風のように和らいでいる。流れるよう

なもの、墜ちる水のようなものを感じる。おまえはどこで、
  
かくねん
その廓然たる身仕舞いを学びおおせた。
            

子供が馳けてきて、石橋を跳んでいった。――いっせいに首
       
みは
が伸びあがり、瞠った眼がそれを追う。そして思い出したよ
                

うに、一羽はく
うと啼いて、水に下り立ち、一羽はのっそ
                     
とお
り池をめぐった。暮れの読経が、母屋の方から杳く聞こえは

じめた。


                         
からだ
鶴は、やがて足を根のように立てたまま、その上に大きな躯

をあずけ、頸を曲げては長々と、房々した背に横たえる。埋

める。何かおおきな忘れものをしたかと惑いかけて、すぐに

それも忘れる。眠ってしまう。それは、むしろ怖ろしい、こ
                     

の世のものとも思われぬ眠り。実に深々と鶴は睡入ってしま

った。

 今号は先ごろ亡くなった鈴木亨さんの追悼ページが組まれていました。紹介した作品は第一次『山の樹』第2号(1939年)4月号に所収のものだそうです。伊勢山峻さんの追悼文によれば、1937年に西垣脩さんとともに高野山の宿坊普門院で一夏を過ごした折の作で、眼底出血症・肺湿潤に罹っていた学生時代のもののようです。鈴木亨さんは一度日本詩人クラブで講演してくださったことがあり、その他に一、二度遠くから拝顔した程度ですが、厳しい視線が印象的でした。しかもそれは他人に向けられたものではなく、ご自身に向けられたものであることがお話の端々から感じさせられたことを覚えています。そんな鈴木さんの姿勢が表出している作品だと思います。改めてご冥福をお祈りいたします。



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