きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.2.8 自宅庭の白梅




2007.3.26(月)


 銀行に行って3件ほどの所用を片付けようとしたのですが、人が多くて最低限のことしか出来ませんでした。ATMにズラリ、窓口も20人待ち。おまけに4台のATMのうち1台が壊れている…。「ここの銀行はサービスが悪くてサイテーだな!」と聞こえよがしの声が列の後の方から聞こえてきました。振り向くと昔の職場の先輩。相変わらずですね、と声を掛けると「おぉ、お前か!」。しばし旧交を温めました。
 まあ、それはそれで良かったんですけど、なんでこんなに混んでるの?と考えたら、給料日で月曜日でした。サラリーマン生活から離れてまだ1年経っていないというのに、もうすっかり忘れていました。現役のサラリーマン諸氏、その奥様方の邪魔をしたんでは申し訳ないので最低限のことをやって、あとは明日にすることにしました。気が短いので1時間も待ってられるか!というのが正直なところですけどね(^^; 明日は全部片付けよう!



詩誌『どぅえ』XVI号
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2007.4.1 京都市左京区
未踏社・有馬敲氏発行 700円

<目次>
根来眞知子2 赤ちゃんポスト/自分探し/怖い話
穂田 清 8 お婆ちゃんの茶飲み話 21/お婆ちゃんの茶飲み話 22/お婆ちゃんの茶飲み話 23/お婆ちゃんの茶飲み話 24
本多清子 16 祇園石段下界隈/一力さん
村上知久 22 お寺の屋根のすべり台/傘の下/にがつ/かぐや姫この忘れもん
安森ソノ子30 ポンペイでの京女/鳳凰
有馬 敲 36 いのち/こたつ記念日/タデ食う虫
     42 編集メモ
 *「どうえ」は「どうですか」の京言葉。年二回発行。



 いのち/有馬 敲

ここだけの話やが
連れあいには 早うあの世へ行きたい
と言うとるけどォ 遠慮しとるのや
ほんまはちょっとでも長う生きたい
この齢になってしもうて
もう長生きはできんとあきらめとるけど
死ぬのが恐おうてな

昼まはなんやしらん
がさがさして 気がまぎれるけど
夜さりにふとんに寝にはいったとき
ふっとこの世から消えてしまうと思うと
起きあがって こぶしを握って
なんとかならんもんか と
わめき散らしとうなるわ

このごろは
子どもの自殺するのがはやっとるようやが
もったいないこっちゃ
なんなら そのいのちを
ちょっとでもこっちゃに回してほしいな
欲張りじじィとけなされても
かまへん かまへん

 失礼ながら思わず笑ってしまいました。「なんとかならんもんか と/わめき散らしとうなる」のは私にも分かりますけど、「もったいないこっちゃ/なんなら そのいのちを/ちょっとでもこっちゃに回してほしいな」とまでは思いもしませんでした。「欲張りじじィとけなされても/かまへん かまへん」には爆笑。
 しかし、これは反語だなと気付きます。「欲張りじじィ」に「回して」たまるか! と「子ども」が思ってほしいですね。「いのち」は大切だなんて当り前のことを言うより、半分おくれ!と言った方が効き目があるかもしれません。この詩誌の特徴である京言葉も奏功している作品だと思いました。



詩・仲間『ZERO』16号
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2007.3.20 北海道千歳市
綾部清隆氏方・「ZERO」の会発行 非売品

<目次>
涙の帽子/斉藤征義
結晶/森 れい
北の浜辺にて−いとなみ/綾部清隆



 涙の帽子/斉藤征義

あれはラクルの妻だよ
霧がでてくると ああして橋のたもとで
うろうろしとる

帽子は
涙の帽子

旭川の師団の測量隊にいた 隊長がいいひと
で かわいがってくれて 字をおしえでくれ
て 毎晩練習して それで はじめて手紙を
くれた
手紙はくれたけども もらった方は字がわか
らない こっそり校長先生とこへいって 読
んでもらった 何が恥しかったのかね フジ
イサイゾウというのがラクルの名まえだ

わたくしは眼が良いとほめられました 霧の
なかでも よくみえるので 標尺棒をたてる
ときも まちがいがない とほめられました
生まれてはじめて釦のついた服を着たって
写真が入ってたと ちっちゃな

帽子は
涙の帽子

しばらくたって 今度は短い手紙がきた
校長は急に顔をぎりっとさせて 戦死しまし
た と読みあげた 日本の兵隊として名誉の
と校長はつけ加えた

夫に死なれると 女は髪を短くする習わしな
んだ 耳がみえるくらいにまで その髪が伸
びるまで帽子をかぶっているんだ 帽子は
涙の帽子ってな きょうの霧は濃いからなあ
見えるかどうか

 「ラクル」はアイヌの人で、「フジイサイゾウ」という日本名を名乗らされたのだと思います。その「ラクル」が「生まれてはじめて釦のついた服を着」て、最後は「日本の兵隊として名誉の」「戦死」。「ラクルの妻」は「涙の帽子」をかぶる…。アイヌ民族が置かれた歴史が声高ではなく静かに語られています。最終連の「きょうの霧は濃いからなあ/見えるかどうか」というフレーズに諦めと静かな怒りが込められているように感じました。いつまでも遺しておきたい作品です。



詩誌『パレット倶楽部』3号
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2007.3.28 埼玉県三郷市    非売品
植村秋江氏方連絡先・パレット倶楽部発行

<目次>
重永雅子…初めまして シモバシラ・空師…2
藤本敦子…ケヤキ並木を行く・
Happy Birthday…6
熊沢加代子…林檎・山陰旅行…10
笠間由紀子…耳・ウワサの白い粉…14
植村秋江…柳・塔乗まで…18
<エッセイ> 笠間由紀子…豆腐の角に頭をぶつける…22
<スケッチノート>…24
あとがき



 空師/重永雅子

高い 樹に登って
大きな枝をバッサリ伐る人のことを
空師
(そらし)というのだそうだ

腰には命綱をつける
伐った枝にも綱を結んで
周りに人はいないか
差し障りになるものはないか
的確な判断をしてゆっくりと吊り下ろす
力のいる命がけの技なのだ

木の上で どの枝を落とそうかと
思案をすると
「ここを伐ってよ」と
木がいうのだ と

木々の聞から 空が見えるから
空師というのか
空近くで仕事をするから
空師というのか
年をとるまで
こんな職業があるなんて知らなかった

若かったら
男だったらなんて
なれるはずもないのに‥‥

見上げるのは高い秋の空

 「空師」という言葉を初めて知りました。インターネットで調べてみると空師自身のHPがありました。それによると「空近くで仕事をする」人で、鳶が建物を扱うのに対して樹木専門の人のことだそうです。しかも広い山の中で働く人は指さず、家や電線のある所で「周りに人はいないか/差し障りになるものはないか/的確な判断をしてゆっくりと吊り下ろす」ことができる人のことを言うようです。私も「こんな職業があるなんて知らなかった」ですね。
 そんな「力のいる命がけの」職業を上手く描いた作品だと云えましょう。最終連の「見上げるのは高い秋の空」というフレーズも良く効いていると思います。



隔月刊詩誌『石の森』138号
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2007.4.1 大阪府交野市    非売品
交野が原ポエムKの会・金堀則夫氏発行

<目次>
朝起きたら/四方彩瑛 1          猫の手/夏山なおみ 2
第二新卒科・再就職属・たね/佐藤 梓 3  ラストターミナル/上野 彩 4
みち 遠い世界から/高石晴香 5      白い箱/西岡彩乃 6
風の世界 旅立ち/山田春香 7       断崖 酔人/大薮直美 9
田/金堀則夫 11
《交野が原通信》第二五二号 12
リュ・シファ著『君がそばにいても僕は君が恋しい』を読んで/美濃千鶴 13
あとがき



 猫の手/夏山なおみ

君は毎日何を考えているの
君はどうしてそんなに
幸せそうな顔をして眠れるの

ひとつの背伸びで
これまでの悲しみが断ち切られ
ひとつの欠伸で
これからの喜びにつながってゆく

毎年三万人以上の自殺者を出す国で
ヒゲの先にも
爪の先にも
自殺の文字はひっかからない

うつ向き加減で歩く私の癖を
君は長いしっぽをくねくね
させながら眺めている

かつて涙受けの器はあったけれど
ため息を受ける器がない
ビーカーでも
メスシリンダーでもあふれてしまう
その中で育つのは
過去の塵を栄養にしたキノコか
未来の風を予見する種子か

私のため息の
濃度と匂いを
君は目を閉じたまま
長いヒゲで感じている

肩凝りもない
君の背をなでる
テリトリーと種の保存に心を尽くす
純粋な愛のかけひき
日本国では君の手が
福を呼ぶと信じられている
君がその手で自らの命を絶つことはない

 第2連の「ひとつの背伸びで/これまでの悲しみが断ち切られ/ひとつの欠伸で/これからの喜びにつながってゆく」というフレーズが猫と人間の違いを如実に物語っています。その流れで「毎年三万人以上の自殺者を出す国」を考え、「君がその手で自らの命を絶つことはない」というフレーズを読むと、生物として猫と人間のどちらに「幸せ」があるのか判らなくなってしまいますね。「日本国では君の手が/福を呼ぶと信じられている」が、そうなっていないのは猫の数が人間より少ないからなのかもしれません。面白いけど考えさせられた作品です。



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