きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
百日紅(さるすべり) |
2007.4.4(水)
地元の西さがみ文芸愛好会の運営委員会が小田原で開かれました。2006年度の事業・決算報告、2007年度の事業計画・予算が承認されました。本来なら全会員による総会で議決されるものなんでしょうが、会員数100名ほどの会ですから運営委員会承認という形を採っているようです。
事業計画は9月下旬に小田原市民会館で「文芸を楽しむ会」を開くこと、来年1月31日から2月4日まで小田原・アオキ画廊で「文芸展覧会」を開催することが決まりました。恒例のイベントですが、「文芸を楽しむ会」では西さがみ地域に関係ある文人たちが作詞した歌謡を聴き、「文芸展覧会」では文芸作品に描かれた西さがみの特別展などが計画されそうです。近くなったら拙HPでもご案内しますので、おいで下さると嬉しいです。
○詩誌『烈風圏』第二期11号 |
2007.2.25
栃木県下都賀郡藤岡町 烈風圏の会・本郷武夫氏発行 非売品 |
<目次>
椅子/陰 松本ミチ子 2 拠水林/秋 須永敏之 5
灯り たのしずえ 9 秋の火 出井栄 11
豪雪/雪 瀧葉子 14 シルクロード 高澤朝子 18
いい日 遠い日 白沢英子 23 笛 都留さちこ 25
厨房にて 金子一癖斎 27 死者に語らせる届払息づかい 原田道子 31
古澤履物店十一 古沢克元 34 背中/彼岸花が咲いている 水無月ようこ 36
白美人も 三本木昇 40 過ぎてしまえば 小久保吉雄 58
秋の夕焼け 菊池礼子 44 土曜の深夜/そして夜 金敷善由 49
詩における洒脱とユーモア 金敷善由 46 臼(三) 深津朝雄 50
烏合の郷 石神かよ子 52 カンガルー島/水の横 山形照美 55
日光湯元 立原エツ子 62 指紋呪文 柳沢幸雄 64
鳥を葬る人 本郷武夫 67 あとがき 72
いい日 遠い日/白沢英子
たっぷりした陽射し受けて
ゆっくりと縁側に腰をおろす
空も
風も
ないまぜにふり注ぎ
いい日である
こんな日は
薄紙を剥がしたように
遠い日が見えてくる
三羽の鳥が
斜交いに流れていった
昔 私を困らせた三羽烏
N君 凄いいたずらで
臍ばかりほじくり入院したっけ
O君 あばれん坊で
机上でひょいと宙返り
K君 女の子をいじめてばかり
三羽は
今
どんなおじいさんをしているのだろうか
いい日が
目の前に
遠い日を連れてきてくれた
1年のうちに何度も訪れるわけではない「いい日」。そんな日には「目の前に/遠い日を連れてきてくれ」るという感覚が素晴らしいと思います。しかもそれは「薄紙を剥がしたように/遠い日が見えてくる」。この表現も見事です。「どんなおじいさん」になっているのだろうか、とせず「しているのだろうか」という言い方にも、いかにも「私を困らせた三羽烏」らしい自立性が出ています。何気ない日常の一齣ですが詩人らしい感性が表出した作品だと思いました。
なお原文では「どんあおじいさんをしているのだろうか」となっていましたが、誤植と思い訂正してあります。ご了承ください。
○詩誌『ONL』90号 |
2007.3.30
高知県四万十市 山本衞氏発行 350円 |
<目次>
現代詩作品
西森 茂/夢の中の弟 2 河内良澄/春一番 3
丸山全友/彼岸 4 浜田 啓/大丈夫かえ 5
宮崎真理子/つぼ湯の郷 6 水口里子/落葉 7
大森ちさと/君子蘭 8 柳原省三/猪 10
土志田英介/喪失 12 大山喬二/橡の木の森へ(7) 14
岩合 秋/黒い陰 16 土居廣之/臨月の妻 18
北代佳子/思春期の孫二人へ 20 文月奈津/記 22
徳廣早苗/大地の風 24 山本 衞/しゅくだい/他 26
俳句作品 文月奈津/カタカナ語 9
寄稿評論 村上利雄/89号読後感想 38
感想文 山本衞/吉久隆弘詩集に寄せて 光に向かって生きる 30
随想作品
谷口平八郎/幸徳秋水事件と文学者たち(3) 34 小松二三子/いのち 35
芝野晴男/自立支援法 36 秋山田鶴子/電話 36
後書き 40
執筆者名簿 41
表紙 田辺陶豊《鳥・U》
夢の中の弟/西森 茂
弟は能を舞っていた
もともと不器用なやつだが
おぼつかない手つきで扇を高く振りかざし
心もとない足運びで踊り続けるのだった
何故だか能の衣装を着けず
パジャマ姿だった
その格好はなんとも可笑しく
笑いがこみ上げてきて
閻魔大王眷族怨霊どもら地獄を支配する面々が笑い転げ
地獄中をさざめきの渦に包み込んでいくようだった
弟は普段から可笑しな所はあったが
どうやら 地獄でも
楽しい奴のようだ
「夢の中の弟」は亡くなっているはずですが、明るい作品です。短い作品ながら「弟」の人間性もよく出ていると思います。亡くなった人に対して「地獄」というのは穏やかではなく、本来なら例え夢の中であっても天国≠ニすべきでしょう。しかしそんな世俗の常識を打ち破る力をこの作品には感じます。それだけ作中人物と「弟」との絆は勁いのだとも思います。あるいは作中人物の達観と言ってよいかもしれません。「地獄」さえも笑いに変える兄弟に言い知れぬ魅力を感じました。
○詩とエッセイ『想像』116号 |
2007.4.1 神奈川県鎌倉市 羽生氏方・想像発行所 100円 |
<目次>
東中野の喫茶店「暫」…羽生槙子 2 時間と空間の詩人(大江満雄論3)…羽生康二 4
詩「76歳という年齢」ほか5編…羽生槙子 10 「こまわりくん」…羽生槙子 13
前号「ゲストスピーカー」つけ加え…羽生槙子14 花・野菜日記07年2月…15
大根/羽生槙子
秋まき大根が
みごとに育って
まずはせん切りを
皿に山と盛って
花かつおをかけ
しょうゆをかけて さっとまぜる
サクサクかんで食べる
初冬の単純
台所からの詩という言葉はよく耳にしまして、この作品もそんな範疇に入ると思います。「みごとに育って」とありますから、おそらくご自分で育てたのでしょう。手を掛けた作物を労わって食べる、そんな喜びが伝わってきました。そして何より最終行の「初冬の単純」という詩語が佳いですね。まさに単純明快、季節を味わう幸福を私も分けてもらいました。
羽生康二氏による連載・大江満雄論も3回目を迎え、ますます面白くなってきました。プロレタリア詩人から愛国詩人へと転向した大江満雄は、戦後はハンセン病患者の文芸を支援したこともあって一定の評価がなされてきたと思いますが、まだまだ評価が足りないのかもしれません。そこを深く考察している論ではないかと思いました。
○登 芳久氏著『懶夢譚』 |
2007.2.15 さいたま市浦和区 さきたま出版会刊 2000円+税 |
<目次>
一
城中の霜 9 林芙美子の眼 24 浅右衛門の蔵 36
花野幻想 54 三十六歳で死ぬの 69 夏の闇 82
二
なぶらとと 97 惜身命 128. 山入興(訳詩) 169
三
舞台に降る雪 175. 秋のセミ 178. 生き物を殺す 180
苗代グミ 184. 宝井其角三百年祭詞 188
大いなる春 194. 揚雲雀 200. アモック 204
学生下宿始末 207. 大聖歓喜天 210. クワイ 213
妹睦について 216. 田所泉先生を悼む.219 伝ふるところによれば 221
書けなかったこと 230
あとがき 237. カバー写真/会澤重行
アモック
昭和三十年代の初頭、私は関西のダウンタウンで失業対策事業の現場監督をしていた。この現場では戦争未亡人たちに混じって、いわれなき差別を受けて就職出来なかった若者たちや在日コリアンのおっちゃんなどが数多く働いていた。彼らは世の中が落ち着き、戦災の復興によって景気が回復しても就職の機会が来るとは限らず、この仕事が終生のものとなる確率が高かった。
こうした肉体労働は水商売の女性たちと同じで、若いときが最盛期で、歳を取るにしたがって収入が落ちてくる。若い元気な土工たちに、年寄りの雑役夫がアゴで遣われているのをよく見かけたものである。したがって、太く短くというのが生活信条となる。この将来に対する漠然とした不安が精神をいびつにし、ときとして彼らが悲哀や屈辱に出会うと、それが一気に爆発してパニック状態に陥るのである。
貧しい時代の東北の嬶(かかあ)たちは、こうしたパニックに陥ったときには、人間界のシガラミを断ち切って奥山に駆け込み「山姥(やまうば)」となった。しかし、それよりも身分制度の厳しかった南国のマレーでは、「アモク」という精神錯乱を引き起こして自殺する者が多かった。この土地に長く留まって現地を調査された民族学者・寺見元恵氏は、その要因を次のように書いておられる。
この現象は低収入層、低学歴の男性に多く見られるが、その理由は、物質的富を持たない貧しい人々が、唯一の宝としているプライド・体面などを傷つけられた時のショックの大きさには測り知れないものがあるからだとされている。その上、直面した問題は、金のある人ならある程度金で解決できるし、教育のある人なら別の方法、例えば法の手による解決に頼ることもできるが、彼らにはそうした手段がない。また、アモックが男性に圧倒的に多いのは、女性には声を張りあげたり、罵り合ったり、果ては髪の毛をつかんで転げ回ったり、怒りを表現する手段がいろいろ開かれているが、そんな「めめしい」ことは男にできないからだといわれる。
人類学者・ワレースの記すところによると、通常の「アモク」の症状は三段階に分かれていて、最初はあれこれと悲嘆(ひたん)にくれているが、そのうちに欝状態となり、やがて深い催眠をさそって自殺願望を誘発するのだという。この自殺方法は十九世紀のジャワ、セレベスなどでもしばしば発生したそうである。
自殺志望者たちは、夕暮れのまだ熱気が残る聚落の広場や街中の人込みの中に入ると、いきなり蛮刀を引き抜いて、あたりにいる誰彼かまわずに斬り付け、その血で真っ赤に濡れた刀身を正面に押し立てると、「アモック、アモック」と連呼しながら猛牛のように突進するのである。
この「アモック」という絶叫を聞いた群衆は、それこそ一種異様なパニック状態に陥って四方八方に逃げ惑うが、そのうちに手に手に斧や棍棒(こんぼう)を持って武装し、ただちに攻撃に転じて、この自殺志望者を彼の希望どおりに切り刻んで、南国特有の豊饒(ほうじょう)な大地に帰してやるのだという。
ときには自殺志願者が警官に取り押さえられて、この集団リンチから免れることもあるが、あの一瞬の打ち上げ花火のような興奮状態のことは何も覚えていないという。一般民衆の側にも、彼らをこうした苛酷な状況に追い込んだという後ろめたさがあり、彼自身が自裁を決意したからには、少しぐらいの犠牲が出ても仕方がないと考えている節があった。その証拠といえるかどうかはわからないが、この人格乖離(かいり)をともなう急性反応性精神病は、自国外のマレー人の間では起こらないということである。
こうした一見不都合とも見える貧者救済としては、「作物盗み」の俗信がよく知られている。盗みは反社会的な行為だが、他人の柿や梨を採って食べるときには、その果実の木の下で食べる分には盗みとならないという不文律である。例えば、土佐の物部(もののべ)村では、成り木の果実を盗んで食べるときには、その場で食べなければならないという類(たぐ)いである。このような思想は、日本全国で広く
子供たちの間で行われている「十五夜盗み」にもいえることである。
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4月1日の「埼玉詩祭」の二次会で同席させていただいた著者から頂戴しました。副題に「小説とエッセイ」とありまして、「一」「二」は短・中篇小説集、「三」は建設関係の諸雑誌、同人誌、朝日新聞、日経新聞などに掲載したエッセイ集です。ここでは「三」から「アモック」の全文を紹介してみました。「十九世紀のジャワ、セレベスなどでもしばしば発生したそうである」という珍しい自殺方法を紹介しながら、その底では人間に対する、特に「貧者」に対する深い愛情を感じることができます。話も「マレー」から日本へと展開し、私も体験のある「十五夜盗み」へと繋げる手法は秀逸と言えましょう。
小説の殉死を扱った「城中の霜」を始め、独自の視点で描かれて作品が多く、楽しめました。一般の書店でも注文すれば入手できると思いますので、是非お手にとって読んでみてください。
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