きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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百日紅(さるすべり)




2007.4.9(月)


 西さがみ文芸愛好会の本年度<文芸を楽しむ会>の概要が決まりました。まだちょっと早いのですが、私自身のメモとして載せておきます。お近くの方はおいでください。もちろん遠方の人も大歓迎します。
 日時 9月26日(水) 時間はたぶん14時〜16時。そのあと懇親会になると思います。
 場所 小田原市民会館 第3会議室
 内容 西さがみゆかりの詩人たちが作詞した懐かしの歌謡曲を楽しむ
     候補曲(予定です)
    *武鳥羽衣 <花>(春のうららの隅田川……)
    *北原白秋 <砂山>(海は荒海 向こうは佐渡よ……)
    *薮田義雄 <三日月娘>(幾夜重ねて砂漠を越えて……)
    *大木惇夫 <国境の町>(橇の鈴さえ寂しくひびく……)
    *西条八十 <誰か故郷を思わざる>(花つむ野辺に日は落ちて……)
    *蕗谷虹児 <花嫁人形>(きんらんどんすの帯しめながら……)
    *岩越昌三 <小田原市民歌>(歴史あらたな暁の……)
    *志沢正躬 <新小田原市民歌> 富士の見える梅の丘に……)
    *山口洋子 <誰もいない海>(いまはもう秋稚もいない海……)

 <三日月娘>、<小田原市民歌>、<新小田原市民歌> などは私も知らないのですが、気楽に楽しもうと思っています。歌唱は地元のコーラスグループになるでしょう。詳細が決まり次第載せますけど、今のうちに予定に入れておいてくださると嬉しいです。



会報『文芸西さがみ』37号
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2007.4 神奈川県小田原市    非売品
奥津尚男氏事務局・西さがみ文芸愛好会発行

<目次>
<文芸を楽しむ会>予告 1
交流の功徳/
西さがみ文芸愛好会事務局長 奥津尚男 
2007年度事業計画 2
2007年度予算 3
会員の消息/活動 4
西さがみ文芸情報、本年度会費納入のお願い 5
2006年度決算報告 6
2006年度事業報告、2006年度会費納入者 7
神静民報紙掲載記事 第11回西さがみ文芸展覧会−創作にほとばしる情熱/菅野正人 8



 上記<文芸を楽しむ会>概要が載せられている会報です。「2007年度事業計画」によれば第12回文芸展覧会は来年1月31日(木)〜2月4日(月)、小田原銀座通り「アオキ画廊」にて。これは近くなったら詳細を載せます。「西さがみ文芸情報」では拙詩集を大きく採り上げてくださいました。ありがとうございます。
 「2006年度会費納入者」では会員が109名であることが判ります。そのうち詩を書いている人は10人ほどでしょうか、歌人・俳人が圧倒的な数を占めますけど、神奈川県西部地方の総合文芸の一大勢力であることには変わりありません。運営委員の一人として私も微力ながら貢献させていただきますので、会員の皆様、今後ともご指導のほど、よろしくお願いいたします。



詩誌『二行詩』20号
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2007.4.15 埼玉県所沢市  非売品
伊藤雄一郎氏連絡先・二行詩の会発行

<目次>
春に老いて/高木秋尾            筆をつかう/大瀬孝和
一枚の絵/伊藤雄一郎            昼休み 他/布谷 裕
希望 他/安部慶悦
ゲスト・コーナー
列車 他/若月瓔子             ハングル・イン・ザ・家族/全 美恵
スポーツクラブMax/濱條智里
投稿作品
蚊 他/根本昌幸              遠い記憶U/青柳 悠
十二月/渡辺 洋
先人の『二行詩』を訪ねて第3回/伊藤雄一郎
お便りコーナー
後書き



 布谷 裕

 昼休み
時間差で虫達が食堂街に吐き出される
まだ写真入りの名札が外せない

 残業
寒い踊り場で煙草を吸う影が見える
窓灯りが少なくなっても帰れないパパ

 酒場
ぷゎっと吐きだす今日のしこり
まだまだ続く愚痴悪口

 終電車
車窓の灯りはいつも無表情
はんぺんのようにぐたっと首を垂れた人形

 名刺
顔も思い出せず束になったまま
ごみ出しもできずに 燃やす

 現職時代を思い出す作品です。「昼休み」に「まだ写真入りの名札が外せない」でいるサラリーマンはよく見る光景ですけど、そんなものをやっていることすら忘れて夢中になっているのでしょうね。ちょっと哀れさを感じますが、私も昔はそうでした。「残業」も「酒場」も「終電車」も思い出す光景です。「名刺」は裁断屑に出して退職しました。
 つくづく二行詩にすると緊張感があるなと思います。この光景を一編の詩にすることは可能でしょうが、屹立しているという面では二行詩に適わないでしょう。伊藤雄一郎氏の「先人の『二行詩』を訪ねて第3回」は「田中冬二(2)」。ここで紹介された二行詩にも屹立性を感じました。



『ヒロシマ ナガサキを考える』88号
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2007.5.1 東京都葛飾区
石川逸子氏編集・ヒロシマ・ナガサキを考える会発行 200円

<目次>
韓国被害者・李金寿さんの証言 P2
秋山格之助さんのお話 P8
萩原卓さんのお話 P15
爆心地復元映像(田邊雅章)P19
詩・ゆり子(笹本征男)P38



 ゆり子/笹本征男

あの時、あなたは母の羊水の中にいた
敵軍、アメリカ軍の飛行機があなたの母たちのいる
都市、広島市に原子爆弾を投下した
あなたは羊水の中で
何も見ず
何も知らず

日本は戦争に敗れた
敵軍は日本を占領した
自ら使った大量殺戮兵器の効果を
大量殺戮のその現場で調べた
敵軍は何万人もの妊娠した被爆した母たちと生まれてきた幼児たちと
被爆しなかった母たちと生まれてきた幼児たちを調べた
効果を比較するために

あなたは小さな頭を持って生まれた

敵軍はあなたの存在を突き止めた
そして他の多くの幼児たちと共に
あなたを大量殺戮兵器原子爆弾の効果の一事例として
調査報告書に記録した
あなたたちを救済すべき
日本政府が敵軍の調査に全面協力した
わずか五年間で三千万円もの金を投入して
今の何十億円だろう
原爆加害国アメリカに協力した被害国日本は
侵略戦争の推進者であった
あなたを実験材料として敵に提出することに
日本政府は躊躇しなかったであろう
敗戦後、昭和天皇裕仁を頂点とする体制は
象徴天皇制として残った

あなたは胎内被爆症候群という法律のことばで
言われる人たちのひとり

私はあなたの生まれた時より少し前に
あなたの故郷の町から山脈をひとつ隔てた村で生まれた
私はあなただったかも知れない
そのことが私の怒りを深める

あなたは水俣のあの少女に重なる
母の裸の胸に抱かれた、あの写真の少女に
その人も母の羊水の中で
何も知らず
水俣窒素会社の製造した有機水銀の毒を
引き受けた
それは戦争の時ではなかったが、
あなたやあの少女には
何の違いがあるのか

あなたはもう還暦を迎えたのか
私はもう還暦を過ぎてしまった
ゆり子、私は小さな声でつぶやく

広島、長崎からプルトニュム社会へ
この六十数年で日本はなった
日本は隣国への脅威となった

あなたは生きる
あなただけの生を
ゆり子、私は小さな声でつぶやく
あなたは私の怒りと悲しみの源泉

 −(二〇〇六年十二月二十三日、平成天皇明仁の誕生日という日に)

 「胎内被爆症候群という法律のことばで/言われる人たちのひとり」である「ゆり子」への思いは、「あなたの故郷の町から山脈をひとつ隔てた村で生まれた/私はあなただったかも知れない」という面で説得力のあるものです。その「広島、長崎」と「水俣のあの少女に重なる」とした視点は卓越したものがあると云えるでしょう。「あなたやあの少女には/何の違いがあるのか」という叫びが胸に迫ってきます。「私」にとっての「怒りと悲しみの源泉」が何であるかを知らしめる佳品だと思いました。

 今号ではほぼ半分の頁を使って転載されている「爆心地復元映像(田邊雅章)」という記録が圧巻でした。正確には「爆心地復元映像に何故取り組んだのか」というタイトルで、『2006ヒロシマ・フィールドワーク・田邊雅章さんの証言』という本からの転載のようです。メディアでも紹介されましたのでご存知の方も多いでしょう。原爆投下前の故郷を自費で復元映像化した映画監督の証言です。原爆について言葉で語るのは辛い、作品を観てくれ、という発言に監督の思いが込められているように感じました。機会があれば観てみたいものです。



詩誌『礁』2号
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2007.4.30 埼玉県富士見市
礁詩社・穂高夕子氏発行 非売品

<目次>
詩作品
暁闇のなかで/佐藤 尚 2         一滴/山浦正嗣 4
未練/山浦正嗣 7
寄稿 裂け目に/濱 泰雄 8        俳句 暖冬/川端 実 12
エッセイ
地球温暖化という滅亡への道/川端 実 12  正岡子規(6)子規とカリエスと短詩文学/川端 実 14
金子みすゞの詩を読む(2)/穂高夕子 20   ことわざ放談「聞く・見る・言う」/秦健一郎 24
ほろびしものはなつかしきかな/中谷 周 30
詩作品
母/近村沙耶 36              ことば/穂高夕子 40
行ったことのない海/穂高夕子 42
編集後記…44                表紙デザイン 佐藤 尚



 未練/山浦正嗣

夢を持たないひとにも
明日はあるという

妄想と現実の上に
遮断機のない
空は広がっていました

鉄路のように
連なった時間は
ゆっくりと伸びていきます

新しい時間は
きっと美しいと思いました

未練のようなものです

今日も
未練があるから
生きています

 確かに「夢を持たないひとにも/明日はある」と云えるでしょう。「明日」は「新しい時間」とも呼べるし、それは「きっと美しい」と言えることは楽観的すぎることかもしれませんが、作者はそれを「未練のようなものです」としています。この表現は素晴らしいですね。「美しいと思い」たいのかもしれません。最終連の「生きてい」ることは「未練があるから」だ、という結語も達観していると思います。短い作品ですが込められて思いの濃密さに敬服しました。



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