きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
百日紅(さるすべり) |
2007.4.10(火)
伊豆・松崎町の国指定重文「岩科学校」に行ってみました。松本の開智学校と並ぶ学校建築物で、明治12年着工、明治13年完成の日本では3番目に古いものです。当時の小学校の様子が蝋人形などで再現されていて、非常に興味深く見学しました。正面玄関の岩科学校≠フ扁額は時の太政大臣三条実美の書というのは噴飯ものでしたが、初代校長は會津藩出身という説明に思わずニンマリ。本当なら校長程度で収まる人物ではなかったろうと思いますけど、明治維新から13年、冷や飯を食わされながらも頑張っていたんだろうなと感じ入りました。
売店で昔の国定教科書復刻版が於てりましたので、買ってきました。たくさんは買えないのでとりあえず2冊だけ。大正6年発行の『尋常小學國語讀本巻一』と昭和9年から15年まで使われた『尋常小學修身書巻一』。特に修身が面白いですね。例のキグチコヘイハ、(略) シンデ モ、ラツパ ヲ クチカラ ハナシマセンデシタ。≠ネどが載っていて、当時の教育がどんなものだったのかが判ります。このシリーズの復刻版はいずれ全冊揃えたいものです。
ま、衝動的に出掛けた日帰りドライブでしたが、得るものは多くありました。無職の特権を生かして、これからも2〜3時間で行ける処を狙った社会勉強しようと思っています。
○詩誌『砕氷船』14号 |
2007.3.31 滋賀県栗東市 苗村吉昭氏発行 非売品 |
<目次>
詩
シーラカンスの鱗/森 哲弥 2 アキィ・アキィ/苗村吉昭 14
小説 脳髄の彼方(8)/森 哲弥 26
随想 プレヴェールの詩をどうぞ(7)/苗村吉昭 32
エッセイ
「繋ぐ」の迷走/森 哲弥 38 石原吾郎のノート/苗村吉昭 39
表紙・フロッタージュ 森 哲弥
「繋ぐ」の迷走 森 哲弥
数年来、気になっていることがある。それは普段は意識から遠退いているものの、突如、何の前触れもなく出現する。その現れ方は色々である。快い眠りの船が静かに紡い綱を解かれて現の岸から離れようとするまさにその時に行く手を阻む波涛として現れることもあるし、歓談のふとした途切れ目にぬっと無愛想に顔を出すこともある。そして次には、どうしてこんなことに捉われねばならぬのか、こんなことは専門家がしっかりと答えを示して解決すべき問題ではないのかというような憤りがふつふつと湧いてくるのだ。それだけならまだいい。しまいには当方が誤った捉え方をしているのではないかと思うようになり是が非でも黒白を付けねばという強迫観念にまで発展してしまうのである。
それは「繋ぐ」という言葉に「げ」という一字が執拗に絡んできたという昨今の言語情況にある。「繋ぐ」と言うべきところを「繋げる」と言い、「繋いで」を「繋げて」という。あまつさえ「繋ごうとして」が「繋げようとして」になったりする。「繋げる」は「繋ぐことができる」という意味で「AとBは繋げる」とは言えるが可能の意味以外での「繋げる」には無理がある。
「ら」抜き言葉が一頃話題になり、言語学者、国語学者がいろいろと論評していたが、概ね音数を少なくすると言う経済性原理に落ち着いた模様である。しかし「繋げる・繋げて」問題には、経済性原理のような合理的趨勢が見られない。事態が捻れているのだ。
日本語の乱れが世の耳目を引いて久しい。しかしこの「繋げる・繋げて」問題に言及する言葉の専門家はいないのか。「少子化問題と高齢者問題は繋げて考える必要があります」などというフレーズが大新聞の社説にのっていたり、ニュースで淀みなくアナウンスされたりすると、なにか当方の知らない、隠された言語学的法則があるのではないかと、ふと不安になり気弱になる。そしていつも童謡「くつがなる」の一節を思い出しては、気を取り直している。『おててつないで のみちをゆけば』断じて『おててつなげて・・・』ではない。
言いたいだけのことは言った。今夜はぐっすり眠れそうだ。『はーれたみそらに くつがなる』
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今号は詩ではなく森哲弥氏のエッセイを紹介してみました。「繋げる・繋げて」は私も気付かずに使っていたように思います。正直なところ、文法上は間違いかもしれないけど、そう目くじらを立てるほどのことではないじゃん、と思って読んできました。しかし、『おててつないで のみちをゆけば』でハッとしましたね。たしかに「断じて『おててつなげて・・・』では」ありません。うーん、これは説得力がある…。勉強になりました。以後、気をつけます!
○たかとう匡子氏詩集 『新編 ヨシコが燃えた』 |
2007.3.31 大阪市中央区 澪標刊 1000+税 |
<目次>
T
終戦記念日 6 大豆 8 赤い闇 11
ヨシコ 15 疎開 27 ムカデ騒動 30
ミニトマト 32 夕焼け 36 S寺の記憶 39
仔猫に似た記憶 42 空蝉 45
U
八月の妹 50 さわる 53 今も 56
根 59 断崖 62 歳月 65
いもうと考 69
V
私の夏は 74 ぱいぷおるがん 76 警告 78
オキナワで 79 洞窟 80 弾丸 81
残像 82
私の空襲体験――あとがきに代えて 85
V
焼ける家や
道や
燃える風景のなかを走りつづけていった
夜十時の空襲警報に
ヨシコは裸足で飛び出していた
私のモンペを握っている小さい手
火を踏んでやけどをした足うら
ネエチャン アンヨガイタイ
泣きながら
ふるえる声で
ヨシコは何度もいうのだけれど
黙って私は走っている
国民学校一年生の私に
知恵はなく
群れの後ろについて走るしかなく
逃げるしかなく
そのときだった
道端に積みあげられた枯れ草が燃えて
ヨシコが燃えた
焼夷弾が
舞いながら
火の粉噴きあげて落ち
爆風に飛ばされて高架下の橋げたまで
空き缶のように転がっていった
ヨシコとふたりして
もつれながら
頭を伏せていると
コウヅキさんのおじさんに突き飛ばされた
燃えているヨシコの服の火をもみ消しながら
抱きかかえて
おじさんは走る
すがりついて私も
走る
神足町の防空壕へ
ヨシコは
手の皮がむけて
胸も腹も庚もつぶれている
壕のうす暗がりに
私は黙って座る
からだのほてりが
駆け抜けてきた炎の町をよみがえらせ
助かった!
ふるえながら一息ついたとき
オテテ キレイニ チテ
ヨシコの唇はたどたどしく動いて
そのまま
息絶えてしまった
あまりにも有名な1987年『ヨシコが燃えた』の新編版です。詩集のタイトルと、どんな内容かはある程度知っていましたが、実は私はちゃんと読んだことがありませんでした。今回初めて全編を拝読して、胸を熱くしています。
紹介したのは詩集のタイトルともなった「ヨシコ」の一部分です。TからWまでの章立てですが、ここでは核心のVのみを紹介しました。他の章も含めて、是非お求めになって読んでみてください。「国民学校一年生」7歳の「私」が4歳の「ヨシコ」を連れて、「焼夷弾が/舞いながら/火の粉噴きあげて落ち」る下を逃げ惑う、そんな姿を想像してみてください。戦争が出来る美しい国≠ノなろうとしている現在、ぜひ読んでいただきたい1冊です。
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