きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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百日紅(さるすべり)




2007.4.27(金)


 日本詩人クラブ新理事会の準備会が開催されました。新理事会は5月の総会で承認されてからが正式な発足ですから、詳細は書けませんが、会長、理事長を始め役員人事が検討されました。一応、異議なく決着。新任理事が半数近くを占め、画期的な理事会になると思います。現理事会から留任するのは3人だけ。私もその一人ですから責任の重さを感じています。

 他の議題では、念願の事務所が提案されました。山手線内側のマンションで、なんとか理事会程度なら開ける広さです。まだ決定ではありませんから変更の可能性もありますけど、家賃もかなり安いです。今年度から会員は2000円、会友は1000円の値上げをさせてもらいましたが、その値上げ分で充分支払い可能です。今まで、クラブの備品、例えば3賞の正賞や本などは理事長が持ちまわりで保管していて、そのために1室が必要だったそうです。そんな理事長への負担も軽減されることと思います。私にとっても嬉しい話で、クラブのEメールアドレスは私個人の名前で取り、住所も私の自宅です。法人化もできたことですし、これで事務所が持てれば晴れて日本詩人クラブ名で取ることができます。会計さんも同じ。会計が変わるたびに郵便振替や銀行に届ける住所を変えていたのが不要になります。一般の会員・会友の皆さまには目に見えない部分ですが、組織としてのメリットは非常に大きいのです。これも一重に法人化を承認し、事務所も承認し、会費値上げにも同意してくださった皆さまのお陰です。私が言うのもヘンかもしれませんが、理事会の一員として改めて御礼申し上げます。

 ところで5月の総会は12日(土)午後2時からです。場所は
東京大学駒場Tキャンパス 18号館ホール(1F)、京王井の頭線「駒場東大前」下車、徒歩2分です。懇親会もキャンパス内のレストランで行います。フランス料理で5000円という安さ。会友の皆さんは総会には出席できませんが懇親会はOKです。大勢の皆さまのご出席をお待ちしています。



詩誌『COAL SACK』57号
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2007.4.25 千葉県柏市 鈴木比佐雄氏発行 700円

<目次>
[詩、訳詩]
美しい笑い顔/浜田知章 2         毛虫/山本十四尾 3
はぐれ者の詩、なみだ/崔 龍源 4     お花見その他、港がない町/林 木林 6
砂糖湯の想い出/星 清彦 8        カワセミとフクロウ/朝倉宏哉 9
いんぎょうちんぎょう/岡 隆夫 10     わがイネの小都、池は死に絶え/岡 隆夫 12
雲は失われた時計の中に/加藤 礁 14    はからいのかたち/山本倫子 15
交差点/佐相憲一 16            ネイビーフレザーのボタンを一つだけかけて/辻元よしふみ 18
微笑のために/下村和子 20         説経語り/倉田良成 21
夢の人/高田千尋 22            桜鬼V/大掛史子 24
花をたずねる/柳生じゅん子 25       ぶっそうげ/李 美子 26
逢魔が時/平原比呂子 27          素足の女/石下典子 28
巣立つ日に/淺山泰美 29          金魚街/海埜今日子 30
わたがし/石川和広 31           1コール Entry/山本聖子 32
遠き言伝てへ向けて/塚本敏雄 33      響きの無い跫音/杉本知政 34
願い/遠藤一夫 35             灰降りそそぐ、追憶そして現在/酒井 力 36
笑いながら行く(続)/山本泰生 38      ある形の遍路旅/大原勝人 48
谷中村/新井しず江 41           沼の意味、薔薇の旋律/横田英子 42
寒水仙、二月の海/うおずみ千尋 44     みどりさん、故郷をたずねること、キムラ/秋山泰則 46
石仏、幻の詩集/渡辺信雄 51        やんごとなきお方のご誕生vs庶民の子の出生/大山真善美 52
「消えろ 消えろ」ロバート フロスト/大山真善美訳 53
葛原りょう・原爆詩など七篇 54       父/鳴海英吉 60 /水埼野里子訳 61
桜の国/尾内達也  62           形の軽み/ヴァレリー・アフアナシエフ 尾内達也訳 62
奥多席の碧緑流/鈴木比佐雄 63       音風景、牡丹雪と「青い光」/鈴木比佐雄 64
高炯烈アジア詩行3/高桐烈 李美子訳 67
[エッセイ、詩論、書評]
実相寺昭雄監督を偲ぶ/浅山泰美 72     錆びた鉄板/朝倉宏哉 73
具体性の詩学ノート1/倉田良成 74     私の詩姿の原点/奥 重機 76
反逆としての「朦朧詩」/水崎野里子 78    うおずみ千尋詩集書評/徳沢愛子 82
秋山泰則詩集書評/腰原哲朗 84       大原勝人詩集書評/松尾静明  87
石村柳三詩論集書評 大掛史子 91      弧心と雨と/牧野立雄 93
『春と修羅』の誕生(7)/鈴木比佐雄 96



 幻の詩集/渡辺信雄

会社の私の机ははずされていると
工場長は病室の私を見下ろして
白ヒゲをなでながら言った
仕事を続けるつもりなら
詩集をつくったらあかんぞ
休憩中は何をしてもいいが
詩だけは書くなよ

工場長は何を恐れているのか
私は復帰した
パソコンに向かっていると
画面を覗きにくるのだ
入れ替わりコピーをとりにくる人
トナーの粉が飛んでくる
鼻腔が真っ黒になり
窒息しそうになる

     *

私は空を仰ぐ
幻の詩集が出来上がっていく


 現実的なことのように思えて、しかしそうではない、面白い作品です。表面的なことで考えると「工場長は病室の私を見下ろして」「詩集をつくったらあかんぞ」と言う。そして「私は復帰し」て「幻の詩集が出来上がっていく」。その間の「入れ替わりコピーをとりにくる人」というのがよく判りません。しかしここが面白いのです。「私」はコピー機の隣に机があるというだけなのかもしれません。「詩だけは書くなよ」というのはとんでもない話ですけど、「私」はそれに反発しているようにも納得しているようにも見えません。ここも面白いところです。理屈の上では成り立っていないようですが、もちろん詩は理屈ではありません。妙に魅了される作品です。



月刊詩誌『歴程』538号
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2007.3.31 静岡県熱海市
歴程社・新藤涼子氏発行 476円+税

<目次> 歴程新同人詩集
高岡 修/黒神の鳥居 2    鈴村和成/水のハートで 4
北畑光男/雲 6        斎藤 貞/大洪水 8
相沢正一郎/漂流物 11     浜田 優/うぶ毛のある鳥肌 16
後記/高貝弘也



 雲/北畑光男

やってきた白い服に白いゴム手袋の集団
その手袋がつぎつぎに
脚を掴み羽を掴み
わたしたちを袋に投げ入れていった
そうやってわたしたちの仲間
生きたまま火に投げ込まれた
兄妹
(きょうだい)の名前さえ呼べずに
ごおごおと燃え盛る火の中に投げ込まれた

煙になって
初めて知った兄の死妹の死
恋人の死友達の死
何万も何十万もの仲間の死
風に吹かれながら
何処へ
飛ばされていっても
一瞬
羊になったかと思うや舟になり
島になり蛇の鱗になり
つぎつぎに千切られては変わる
たましい

ここにきて初めて知った
世界のあちこちで
火に投げ込まれた何百万もの鶏
何百万もの人
千切られあてもなく飛ばされていく
たましいたちの破片

雲と言え
ここでは分け隔てなく
雲と言え

 鳥インフルエンザの拡大防止策として処理≠竍処分≠ニいう言葉はよく聞き、内容も理解しているつもりですけど、改めて「生きたまま火に投げ込まれた」「ごおごおと燃え盛る火の中に投げ込まれた」というフレーズを見ると身の毛がよだちます。そういう処分≠鶏は受けているわけですが、作品は「何百万もの人」と、人間にも行われたことを示唆しています。そして「たましい」は「煙になって」「羊になったかと思うや舟になり/島になり蛇の鱗にな」るが、最終連で「雲と言え」と結んでいます。しかも「分け隔てなく」。死には鶏も人も「分け隔て」はないと言っているわけで、ここは見事です。詩人は生命という観点をどう見るか、それを端的に示した秀作だと思いました。
 なお「掴」は原文では本字になっていますが、HTMLでは表現できないので略字としてあります。ご了承ください。



月刊詩誌『歴程』539号
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2007.4.30 静岡県熱海市
歴程社・新藤涼子氏発行 476円+税

<目次>
詩 安水稔和/泊川 五篇 2
  安水稔和/泊川 寛政元年五月 前段 6
  安水稔和/泊川 寛政元年五月 中段 10
  安水稔和/泊川 寛政元年五月 後段 15
  支倉隆子/悩みの緑の子 19
鬼区 桜の花/荒川純子 22
某月某日/北爪満喜
版画・岩佐なを   写真・北爪満喜



 いろくず/安水稔和

かちひきして
あざらけきいろくずを。

そい(あかそい)
あぶらこ(あいなめ)
たかのは(かわがれい)
ゆげ
かじ(ぎんぽ)
じじ

なのりそひろめのあいだから
童らわれがちに取出す。

 *かちひき=沖から海岸へ網を引く。かちは、くがち、陸の意か。
 *あざらけき=あざやか、新鮮。いろくず=いろこ、うろこ、鱗。転じて魚。
 *なのりそ=莫告藻、ほんだわら。ひろめ=昆布。

 「泊川 五篇」の中から1編を紹介してみました。「寛政」年間の風俗を描写した叙事詩のようです。しょうもないことですが、注釈をもとに私なりに現代文で読み下してみました。第2連はすべて魚の名前だろうと思います。

海岸で網を引いて
あざやかな魚を

あかそい
あいなめ
かわがれい
ゆげ
ぎんぽ
じじ

ほんだわら昆布のあいだから
子供たちわれがちに取出す。

 やはり、これでは面白くありません。ここで気付くのは、作者の意図は古語の読みにあるのだろうということです。そう思ってもう一度原文を読み返してみますと、何とも味わい深く感じました。現在では珍しい作詩ですが、貴重なお仕事だと敬服します。勉強させていただきました。



詩誌『じゅ・げ・む』17号
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2007.4.25 横浜市港南区    600円
田村くみこ氏連絡先・かながわ詩人の会発行

<目次>
ほらね…田村くみこ 4           甚だもって馬鹿なこと…富家珠磨代 6
水晶クッキー堂…宗田とも子 8       アウト・オブ・プレイス〜二人の天才のためのソナタ〜…林
(リン)文博(ウェンボー) 10
無念…富家珠磨代 12            ひもじさと鳥と老人…田村くみこ 14
漠然と…田村くみこ 15           櫻、咲くころ…林
(リン)文博(ウェンボー) 16

現代詩の根拠−現代詩の現在…油本達夫 18
【同人雑記】…22
<富家珠磨代/田村くみこ/林
(リン)文博(ウェンボー)/宗田とも子>
全国受贈詩話・詩集
題字 上野裕子



 無念/富家珠磨代

無念だと言う
六十六才の男の右の上下肢は
形のみを保って動かない
不自由なのは手足だけでなく
その意思や感慎も表出しにくいことだと言う
残された機能で
生活するようにと言われたが
両手両足が動かなくては
身辺自立もままならない

定年をむかえたばかりの
男のこれからは期待にあふれていたのだが
妻が言う
四十年働いてきた
その結果にしては酷くはないかと

かける言葉を探しながら
麻痺した手をさすり握ってやると
むくんだ手の甲から
私の手のひらへと
男の無念が伝わる

私にはなんの力もなく
役にたつものも持たない
私も無念だ

 「男の無念」、これはよく判るように思います。私は幸い60歳前に「定年をむかえ」ることができましたけど、「六十六才」になってから「両手両足が動かなく」なっては「期待」が裏切られたようなものです。「四十年働いてきた/その結果にしては酷くはないか」というフレーズには実感があります。その「男の無念が伝わ」ってくる「私」の「無念」もよく判ります。この作品はここがポイントで、夫婦の深いつながりを感じました。



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