きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
百日紅(さるすべり) |
2007.4.30(月)
退職して1年目を迎えました。早いもんだなと思います。正直なところ1年前は、これからどうなるんだろうという不安がありましたけど、振り返ってみると、どうということはなかったな、というのが実感です。アッという間に過ぎてしまいました。もう昔の職場のことは忘れています。昔からずーっとこういう生活をやっていたかのような錯覚に捉われてさえいます。適応力があるというか、鈍感というか(^^;
でも、真面目に考えると、年金がもらえるまでのあと5年間は大変なんです。こんなグータラな生活を続けられるか、まったく自信はありません。自信はないけどやるしかありませんね。自分で選んだ道ですから。せめて現実に潰されてポエジーを失うことだけは避けたいと願っています。
○詩誌『EOS』12号 |
2007.4.30 札幌市東区 安英晶氏発行 500円 |
<目次>
水族館*安英 晶/2
レクイエム*小杉元一/6
昆虫の書(一六)(一七)*高橋渉二/12
題字・表紙絵 高橋渉二
表紙絵:お好きなように(木版原寸)2007年3月作
昆虫の書(一六)/高橋渉二
再来蝶
やって来い やって来い
サクラマダラよ
XXX XXX
秋に北上して春に南下する蝶よ
わたしはあなたの
渡る空の下に住む
渡り蝶よ 海を越えてやって来い
南の島の桜さくつきむつききさらぎに
やって来い やって来い
XXV WWW VVV
サクラマダラよ XXX
南の島は蝶のパラダイス
いつだって美しい花々があふれている
花や果実のおいしい蜜があふれている
だが爆音をたてる金属の鳥たちは
やって来るな やって来るな
わがもの顔で往来する金属の鳥たちは
南の島にやって来るな
パトリオットパトリオットPAC3(パックスリー)
ミサイルの鳥は居すわるな
XXX Xは試練のかたち飛翔の姿
やって来いもどって来いサクラマダラよ
桜色の鱗粉を光らせて隊を組んで
やって来い海を越えて来いXXV
WWW 蝶のWay 蝶の道
WWW 蝶のWaVe 蝶の波
WWW 蝶とWind 蝶と風
サクラマダラよXXX
いまや空も地上も危ないが
いき残っているわたしたちも危ないが
やって来い もどって来い
星の数ほど 砂の数ほどの隊を組んで
もどって来い もどって来い
桜の花びらに見える蝶よ
南の島で翅を休めておくれ
泊まっておくれサクラマダラよ
あなたが再びやって来るのを
わたしたちは待っている
待っている
二〇〇六年十一月、沖縄の与那国島で捕獲されたアサギマダラ(マダラチョウ科)は、一八五〇キロ離れた石川県でマーキングされて、九月に放された蝶であることが確認された。その蝶の翅はボロボロであったという(「琉球新報」〇六年十二月二十一日)。なお、アサギマダラの渡りルートは現在、台湾まで確認されている。
「XXX Xは試練のかたち飛翔の姿」が奏功している作品だと思います。作者は沖縄県在住。「だが爆音をたてる金属の鳥たちは/やって来るな やって来るな」というフレーズには実感があるのでしょう。私は最近、神奈川県座間市に行く機会が増えたのですが、そこは米軍厚木基地の近くで、何度も「わがもの顔で往来する金属の鳥たち」を目撃します。人家の屋根をかすめるように着陸する姿に戦慄さえ覚えました。そんな小さな経験からも「サクラマダラ」と「金属の鳥たち」を対比させた見事な作品だと思いました。
○詩誌『木偶』69号 |
2007.4.30 東京都小金井市 増田幸太郎氏編集・木偶の会発行 400円 |
<目次>
落下論(7)/中上哲夫 1 変身/野澤睦子 2
地区民大運動会/藤森重紀 5 家族絵画/藤森重紀 8
所有/落合成吉 11 あんた だれさ/天内友加里 13
忘れ村/乾 夏生 15 神野山の山桜/広瀬 弓 17
耳殻/仁料 理 19 一九四○年辰年の記憶(8) 日の丸弁当/土倉ヒロ子 23
ままこのしりぬぐい/川端 進 25 桜とブルーシート/田中健太郎 27
声の居場所/荒船健次 29 残照/増用幸太郎 31
読む 田中健太郎詩集『深海探索艇』/荒船健次 39
一九四〇年・辰年の記憶(8)/土倉ヒロ子
日の丸弁当
競技場に揚がる日の丸
会社の正面に翻る日の丸
学校が上げる日の丸
銀座通りをデザインするオシャレな日の丸
隣のお爺さんが厳粛に挙げる日の丸
眼にするたびに
心が痛むこともなかった
祖父と共に
冥土へ行ってしまった
我が家の日の丸
だが
浮かんでくる
私の日の丸
いや あれは
日の丸弁当
昭和二十七年
中学一年の昼食どき
アルマイトの四角い弁当箱
麦飯の真ん中に梅干し一個
梅干しを大事に 小さく箸でちぎり
麦飯に乗せてパクリ
A君の見事な食べ方
堂々と品良く
最後は種を美味しそうに
しゃぶっていた
しゃぶりながら もう眠っている
一家五人の大黒柱は
働き詰めで
学校が休息の場
先生が微笑む
クラスメートはそっと出て行く
A君の日の丸弁当
戦死した父親の分も入っている
母の思い
青葉風にくっきり浮かぶ
私達の日の丸弁当
私は戦後生まれで、「中学一年」で「一家五人の大黒柱」という生徒はいませんでしたが「日の丸弁当」は覚えています。私自身も「アルマイトの四角い弁当箱」の「真ん中に梅干し一個」という弁当を持って行ったかもしれません。記憶は薄らいでいますが。
「戦死した父親の分も入っている/母の思い」の「A君の日の丸弁当」は、これからも出現してくるような気がしてなりません。そういう時代にいま突入しているように思うのです。作品はそんなことを一言も言っていませんが、そう感じさせる力があるように思います。それにしても「先生が微笑む/クラスメートはそっと出て行く」というあたたかさが半世紀前にはあったんですね。その面でも貴重な証言だと感じました。
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