きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
2007.4.8 神奈川県真鶴岬 |
2007.5.4(金)
東京ミッドタウンに行って、夜は四谷コタンに行ってきました。私がむかし勤めていた会社の本社がミッドタウンに移って、もう関係はないんですけど一応覗いておくか、と思った次第です。本社1階の「FUJIFILM AQUARE」という処では「Professinal Photographer 200人展」というのをやっていました。浅井槇平、荒木経惟、岩合光昭、江成常夫、大竹省二、坂田栄一郎、白籏史朗、立木義浩、浜口タカシなど日本を代表する写真家が一同に会した写真展で、さすがに迫力がありました。しかし、嫌な気持で辞めた会社の企画ということもあって、手放しでは楽しめませんでしたね。己の狭量を恥入るばかりですが…。
もう開館してから1ヵ月は経ちますから、人も少ないだろうと思っていましたけど、とんでもない、一気に疲れる人出でした。わが市の「金太郎祭」でもこんなに混まないわな(^^; 人込みを逃れるつもりで新設の「サントリー美術館」にも行きましたけど、こちらも人が多かったです。昔の「サントリー美術館」に行ったかどうか、もう忘れましたが、入場料1,000円にはオヤ?と思いました。安いのです。案の定、あまり見るべきものはなかった、というのが正直な印象です。重文も何点かありましたけど、屏風絵などはほとんど銘が入っていませんでした。私の見方が間違っているのかもしれませんが、銘のない作品は価値が半減すると思っています。社長の個人蒐集ですから限界があるのは分かります。まあ、それで1,000円と思えば納得しようというものです。一応、見てきましたという感じですかね。
16時半に四谷のいつもの「太平山」に行って、18時半まで粘って呑んで、それから「四谷コタン」です。前座の3人が終って、お目当ての奥野佑子さん。実は太平山で3合近く呑んでいました。コタンに入ってからもバーボンを3回お替りして、だいぶ酩酊していました。新しい曲も何曲かあったようですが、メモも取りませんでした。ごめんなさい、です。
相変わらずコタンはフラッシュ禁止なので、ボケてしまってすみません。30枚ほど撮っても使えるのはほとんどありません。上の写真がなんとか雰囲気は判るかな?という程度です。一眼レフは重いのでコンパクトカメラにしたせいもあります。でも、写真は写真として、歌は良かったです。パンチの効いた歌声を酔った頭に響かせて、四谷の夜は心地好く更けたのでありました。
○詩誌『思い川』21号 |
2007.5.31 埼玉県鳩ヶ谷市 桜庭英子氏発行 非売品 |
目次
<詩>
薔薇座…桜庭英子 2 さくら…青山かつ子 4
夢路の角…桜庭英子 6 依頼…鈴木芳子 8
カンナの花…桜庭英子 10
<詩論/私論> 続・抒情の彼方−そこには何が棲んでいるのか−…三田 洋12
<瀬音> −志れ得ぬ詩歌−老いるとはロマンチックなこと?…桜庭英子 14
<エッセイ> 丘を渡る蝶々…桜庭英子 16
<詩>
ミネラル谷の火…高島清子 18 花のゆくえ…桜庭英子 20
海へ…平野成信 22 カマイタチ…桜庭英子 24
<今号執筆者プロフィール>…25
<後記>…編集子 26
<題字・装画 五月女喜八>
薔薇座/桜庭英子
つい うっかりしていたら
晩秋の空は
みるみるうちに
一面にグレーのショールを掛けはじめた
顔を覗かせていた星たちは
慌てて隠れてしまい
夢の名残りのように
もう
どこからも見えなくなっていた
けれども すっかり
ショールの色が濃くなる頃には
いちだんといい香りで
仄かに星が匂いだすのだ
たしかに
中天の辺りで
鉄砲百合座のトランペットや
コスモス座の風のそよぎや
小犬座の遠吠えが
かすかなメロディーを奏でている
−そんな筈はないさ−
と
きみは言い張るけれど
わたしには
どうしても聞こえてしまうのだ
薔薇座の花びらが散る音まで・・・
星座には疎いので、うっかり「鉄砲百合座」や「コスモス座」というのがあるのかと思ってしまいましたが、途中でこれは作者の造語だと気付きました。もちろん「薔薇座」なんてありませんよね? 「小犬座」はあったかな?
造語は造語として「薔薇座の花びらが散る音まで」「聞こえてしまう」という感性には脱帽です。「グレーのショール」「ショールの色が濃くなる」という詩語も佳いと思います。「いちだんといい香りで/仄かに星が匂いだす」というフレーズもこの詩人の感性の素晴らしさと云えましょう。巻頭作品としてふさわしい詩だと思いました。
○詩誌『地平線』42号 |
2007.4.30 東京都足立区 銀嶺舎・丸山勝久氏発行 600円 |
<目次>
M−6…山田隆昭 1 沈丁花…福榮太郎 3
魚…田口秀美 5 黄昏白書…小野幸子 7
三角橋…沢 聖子 9 仏像…いわ・たろう 11
書評 金子以左生詩集「阿佐緒私抄」に寄せて…中村不二夫 13
バラに…鈴木詢子 15 その人に…川田裕子 17
今日一番輝いている君へ…大川久美子 19 雪…樽美忠夫 21
声…杜戸 泉 23
評論 民族と民俗の実存−岡本禰太『黒潮』三部作について…山川久三 25
メロディーの響き…飯島幸子 27 ぼうふら食堂…野田新五 29
愛…山川久三 31 決戦・馬上の長篠…中村吾郎 33
装着される朝…秋元 炯 35 暖冬顛末書…丸山勝久 37
書評 機智の饗宴−山川久三「文学対話」を読む(その1)…金子以左生 39
同人名簿/編集の窓…42
編集後記…44
その人に/川田裕子
降りしきる雨
止まない冷たい雨
買ったばかりの傘
もう無くしてしまい
体濡らしてあるく人
雨のつめたさに
唇さえも凍らせて
愚痴ばなしも出来ないと
さらりと笑う人
背中をまるめて
背負った荷物は月日の重み
人生なんぞ相性があわぬ
ぼくには翼があると
人目など何処吹く風
悠々と空飛ぶ人
映画を眺めるように
観客になった私は
雲を散らした空に向かって
そっと声援を贈る
「人生なんぞ相性があわぬ」というフレーズに魅了されました。人生≠ノはいろいろな形容詞が付きますけど、この言葉は初見です。詩語として遺るかもしれませんね。
「ぼく」の人間性も出ているように思います。「買ったばかりの傘/もう無くしてしま」ったり、「さらりと笑う」のはある種、達観しているのかもしれません。それに「そっと声援を贈る」「観客になった私」のあたたかい目も感じました。
○詩誌『環』124号 |
2007.4.30 名古屋市守山区 若山紀子氏方「環」の会発行 500円 |
<目次>
さとうますみ/鳥を待つ 2 安井さとし/土偶 5
菱田ゑつ子/しずくの日 8 東山かつこ/聞き屋 10
神谷鮎美/檸檬 12 加藤栄子/横浜路の趙さん 14
若山紀子/ぽけっとにいれた 16 高梨由利江/万華鏡 覗いて 18
<かふえてらす> 20
さとうますみ 神谷鮎美 菱田ゑつ子 東山かつこ 加藤栄子
<あとがき> 若山紀子 23
表紙絵 上杉孝行
ぽけっとにいれた/若山紀子
気配を感じて振り向くと
いない
いないのだった
いつもそこに寝そべって
わたしを見ていたお前
あれからもう何か月か経ったのに――
まだそこに居る よね
たちまち滲んできた頁を閉じて
窓を開ける ※
いい天気だよ テツ
散歩に行こうか
尻尾をちぎれる程振って
飛びついてきたテツ
ぐったりして 目だけで
話していたテツ
最後は紙オムツを買ってきて
丸く穴をあけて
尻尾を出してあげた
それがおかしいといってわらった
ごめんねテツ
存在するということは 存在しないということ
存在しないということは 存在するということ
にひとしいと
やっと今気づいた
存在しないのに いつも存在しているお前を
抱き上げて
お使いに行こう
水分がぐんぐん増えてきて
砂時計の砂がどんどん落ちていく
ゆうれい坂を通ると
椿の花が ぽとぽとと落ちていた
その鮮やかないろが
眸に沁みて
ひとひら拾ってぽけっとにいれた
※十七年間一緒に暮らした愛犬
素晴らしいタイトルだと思います。最終連が良く効いています。そこから採ったタイトルは、まさに詩です。実在か創作かは判りませんが「ゆうれい坂」という地名も奏功していると思います。
大きさにもよりますが犬の17年は人間の85歳ぐらいになりますから、長生きだったと言えるでしょう。私の家の犬は14歳近くで、人間で言えば70歳過ぎで、私の年齢をはるかに超えてしまいました。いずれ「存在しないのに いつも存在している」ものになります。そのときにこの作品を思い出すような気がしてなりません。佳い詩を見させていただきました。ありがとうございました。
○詩と批評『逆光』63号 |
2007.4.25 徳島県阿南市 宮田小夜子氏発行 500円 |
<目次>
春を呼ぶ/嵯峨潤三 2 抗う/藤原 葵 4
東向きの窓のある・倉庫/藤原 葵 6
阿波の徳島・狂詩曲(ラプソディー)
見るのもよろしい
でもあなたは跳ばなくてはなりません
……ウィスタン・ヒュー・オーデン/木村英昭 8
何か?/細川芳子 12 ひとつで 野に/細川芳子 14
蔓日々草/大山久子 16 巡礼/大山久子 18
「アールグレイの朝」/沙海 20 車走にて/和田弥生 22
心のリズム/近藤美佐子 26 ペットボトル/近藤美佐子 28
幻視の旅路 四/香島恵介 30
『水戸黄門』−定時制の教員劇−/ただとういち 36
スタームービーズ−定時制の映画会−/ただとういち 38
貧乏物語/鈴木千秋 40 小説について−乾いた風−/宮田小夜子 42
シリーズ 詩(詩人)との出会い(29) オーデン詩集との出会い/木村英昭 48
コラム〔交差点〕外来語の罠 54
あとがき 58
表紙 嵯峨潤三
何か?/細川芳子
水を掬おうと上げた柄杓に
風が乗った
なんともいい重さ
でしんと 腰を下ろして
柄杓にすっぽり納まった風の姿を
柄杓を持った手が
見る
いい手ごたえを逃すまいと
手はじっとして
風を見つめるばかり
見つめても
見つめても
重さでしか表せない風
に つい聞いてしまう
なつかしい重さ?
新しい重さ?
期待の重さ?
期待に走ることを
手は
切なくも思う
小指の辺りで
「水を掬おうと上げた柄杓に/風が乗った」ことを「柄杓を持った手が/見る」という繊細な感性に驚きます。それも「重さでしか表せない風」なのだと謂うのですから、この感覚は並ではありません。最終連の「手は/切なくも思う/小指の辺りで」というフレーズも佳いですね。詩人とはいかに繊細な人種であるかを改めて感じた作品です。
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