きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり
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2007.4.8 神奈川県真鶴岬




2007.5.16(水)


 日本詩人クラブの新理事による第1回目の理事会が池袋ルノアール「マイ・スペース」で開かれました。
 その前に神楽坂の事務所で内装屋さんと打ち合わせをしました。メンバーは法人担当顧問となった中村前会長と、引き続き理事長を務める北岡さん。それに総務担当理事の船木さんと私です。机や椅子、書棚、ホワイトボード、カーテンなど最低の備品を発注しました。あとは追々買い揃えたり、会員からの寄付を仰ぐようです。

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 写真は事務所の外観。9階建てビルの4階フロアー全て借り切りとは言ってもご覧のように狭い建物です。矢印を付けておきました。でも、自分たちの事務所が持てるというのは嬉しいです。左下にテナントの看板が見えています。そこに「日本詩人クラブ」と名が入るわけです。これも嬉しいこと。今回は内部の写真は撮りませんでしたけど、備品が揃ったら公開しましょう。

 新理事会は予定時間通りに、特に問題もなく全ての議事が終了しました。ただ、詩界・研究会とメーリングリストによるオンライン研究会は調整の必要があります。海外の詩人とのネットワークも議題に出ましたので、そんなことも今後は組織的に考えないといけないようです。インターネットの時代ですからEメールによる海外交信は楽になりましたけど、それに伴う組織の意識変化も求められます。その辺をどう調整していくのかも課題になるでしょう。旧態依然とした組織では「詩の国際的交流を促して、世界平和の確立に貢献する」(規約第3条)ことができないのかもしれません。



会報『「詩人の輪」通信』17号
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2007.5.15 東京都豊島区
九条の会・詩人の輪事務局発行  非売品

<目次>
名札/青木はるみ              九条を守ることは人類の責務/うめだけんさく
この責任は誰が取るのだ/マルヤマ・トシロウ 昭和二十年/泉 渓子
爆音を平たく熨して/石黒 忠        饅頭物語/ゆきなかすみお
お仏壇/北村愛子              気になるです/小久保菖敬
ゆるがぬ平和を/吉田笙子          九条はお守り/磐城葦彦
祖父/里山法子
明るい会場で新鮮な学習――五月三日の福岡・詩人の輪憲法の集い/草倉哲夫



 名札/青木はるみ

全身麻酔の手術から覚めた時
命拾いしたという実感で震えた
手術に臨む直前
手首に私の名前を書いた固いテープが
カチリ と音を立てホッチキスで止められた
私という固有の命と他者の命が
まちがえられることのないように

カチリ その瞬間
国民学枚の生徒だった私の服に
縫い付けてあった名札が目に浮かんだ
子ども心にも空襲では
命が量として消滅することを知っていた
多くの犠牲と敗戦とそして憲法九条に守られ
私という固有の命も存続していたのに
私という固有の命が
自分の事情で死に直面して初めて
命の重みが理解されたのである

私は震えている 高熱によってではない
腹部も深いところを刺し続ける錘のような
痛みのせいでもない

 「子ども心にも空襲では/命が量として消滅することを知っていた」というのは体験者でなければ判らないのかもしれません。同じように「私という固有の命が/自分の事情で死に直面して初めて/命の重みが理解され」るものなのかもしれません。そうして初めて「憲法九条に守られ」ていることが実感となってくるのでしょう。私は正直なところそこまでの実感はありませんけど、理屈で考えて九条の会・詩人の輪に加えさせていただきました。「震え」るところまで行けるかどうかは体験次第だと思います。体験がなければ「命の重みが理解」できないというわけではありませんから、私は私なりに参加させていただこうと思いを新たにした作品です。



一人誌『粋青』49号
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2007.5 大阪府岸和田市
後山光行氏発行  非売品

<目次>

花(9)       宇宙規模(10)
未来年表(12)    はなみずき(14)
ポピー(15)     漂流する朝・6(18)
スケッチ(9)(17)
創作★地下鉄の電車から(4)
エッセイ
●絵筆の洗い水【25】(16)
●舞台になった石見【39】天然コケッコー くらもちふさこ著(20)
あとがき
表紙絵:さくらんぼと李(すもも)(05年6月)



 

汚れた水からも
必要なものだけを吸い上げて
けがれることもなく生きている

朝晩満員電車で通う人々のなかで
人々も私も
精一杯生きていることを実感する

わずかなすき間からでも
遠く輝く太陽のひかりをめざして
養分をたくわえて伸びる
やがて咲く花がある

 「汚れた水からも/必要なものだけを吸い上げて/けがれることもなく生きている」花と、「やがて咲く」「朝晩満員電車で通う人々」。いずれも「わずかなすき間からでも/遠く輝く太陽のひかりをめざして/養分をたくわえて伸び」ているのだと見る視線に、作者のあたたかな人間性が滲み出ています。逆に花は「汚れた水」が必要であり、人間もまた多少の汚れは必要なのかもしれません。その上で美しいものを咲かせるのでしょうか。そんことを感じさせられた作品です。



詩と文tab4号
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2007.5.15 横浜市鶴見区
倉田良成氏発行  非売品

<目次>
詩篇
後藤美和子‥一色/01            石川和広‥プラグ・到着/02〜04
野村龍‥巻貝・預言・声・夕凪/05〜07    高野五韻‥告解/08〜09
倉田良成‥花よりほかに/10〜11

木村和史‥義父の死/12〜14         高野五韻‥倍音的/15〜16
倉田良成‥食物語彙考/17〜19
あとがき集/20〜22             面‥和田彰



 声/野村龍

野の花が
泉から香りのよい水を汲む

太陽から
ふっくらとした手紙が届く

爽やかだから
言葉がやわらかく伸びて

魚達が
ゆっくりと立ち昇る午後

雪は
秋のあざやかな舌のうえで溶ける
溶けていく

 正直なところ第3連の「言葉がやわらかく伸びて」以外は何が「声」なのかよく判らない作品ですが、妙に惹きつけられます。特に最終連の「秋のあざやかな舌のうえで溶ける」雪というイメージは鮮やかで、晩秋の紅葉した山に新雪が積もった光景を感じさせます。ここに遣われた「舌」から声に繋げていくのかもしれません。こじつければ各連とも「声」に関連させられもしましょうが、私はそこはあまり考えなくてもいいんじゃなかろうかと思っています。それぞれの連が見事に屹立しています。



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